第3話

がん直哉なおや総理は「日ノ本のがんになった」と言われる程にこの大事件で無能を曝した。

それが原因かどうか、多分、原因だろうが、癌直哉総理は退陣したが、解散総選挙となると負ける事が確定したような状態な為、頭だけを挿げ替えて与党の座を死守し、野谷のや圭彦きよひこ衆議院議員が党代表に選ばれ内閣総理大臣を継いだ。

彼のことを当時AUSAの国家元首であったバマオ大統領は「彼とは仕事が出来る」と言ったそうだが、有能として言ったとはとても思えない。

支配し易いと思ったのかもしれない。

日ノ本が利権を失う多くの要因を作った上、増税はしないことを公約としていたにもかかわらず、消費税及び各税を引き上げることを三党合意(民民党・G民党・公平党)で決めてから退陣した。

この時、国民を驚かせたのは国会に酒を持ち込み水・お茶の代わりにそれを飲みながら答弁し受け答えをしていたと言うのだから驚きだ。

途中で呂律が怪しくなる程に飲んだようでリアルタイムに国会中継を行ったNET中継では非難する書き込みで画面が埋め尽くされた。

この内閣は民民党が掲げた7色のマニフェスト政権公約を完全に無視した形で法案を通したことで国民から批判を浴び、政権与党の座をあっさりとG民党に返す結果を叩き出した。

この内閣の功績と言えるか解らないが、西日ノ本大震災で殆ど何も出来なかった負い目からダンジョン関連の法案等にはブラックボックス的に増税などをしなかったことがせめてもの救いだったのかもしれない。

2007年に産まれた伊佐野いさのなぎ少年は今年5歳となるが、西日ノ本大地震で両親を亡くし親戚を盥回たらいまわしにされていた。

震災孤児と呼ばれる身分となった彼は両親がかつて探索者として名を馳せたことを幼いながらも知り、次第と探索者に憧れて行った。

彼が小学校に上がる6歳となり自己紹介の場で紹介と共に自分の夢を語る様にと担任が言ったその事で事件が起こる。


「俺は最強の探索者になる!!」

「はぁ?探索者って社会の底辺じゃん!!」

「違う!!」

「え~お前馬鹿なの?」

「「「「「そうだ、そうだ~」」」」」


慌てた教師が場を収めようとしたが多くの生徒より不満の声が上がった。


「皆さん!静かに!!人の夢を馬鹿にするのは良くないですよ!!」

「「「「「え~~~でも~~~」」」」」


この事でなぎ少年は学校でいじめにあう。

その事で最終的に学校を去る結果になったが、彼は自分の意見を最後まで曲げることはなかった。

親がいない事でもいじめは更に加速したが、それに追い打ちをかける様にマスコミが西日ノ本大地震の事を取り扱った追悼番組を行ったことでの学校でなぎ少年は完全に居場所を失うこととなる。

マスコミは良かれと思ってかどうか知らないが、なぎ少年の両親含め元探索者や現役の探索者がモンスターパレードと戦い散ったことを紹介し彼らを英雄の様に言う一方、コメンテーターに「彼らがもっと頑張れば犠牲者がもっと減ったのではないか?」と言う問題提起なのか死体蹴りなのかよく解らない番組構成をしたことが端を発する。

勿論、この放送をしたTV局には批判の電話等が多く寄せられたが、NET上では「一理ある」等の意見も多く、一部の者たちから元探索者を親に持つ震災孤児たちに批判の矛先が向いた。

弱者と思えば言葉の棒で叩くほどに人々の心は荒んでいた。

政治不信や経済の停滞・下降と情勢不安から来るものかもしれないが、因果関係は不明であるが、この元探索者の遺族の子供たちに世間の矛先が向いたことは事実である。

それはなぎ少年にも矛先が向けられて、学校に行ける状態ではなくなり、仕方なく不登校となる。

子供と言うのはある意味残酷だ。

加減と言うのが解らず、時に相手に悪いなどの罪悪感を感じないままに信じられない様な事をすることがある。

少しの切っ掛けで加速し命の危険を感じる程のいじめにまで発展しつつあった。

その時の学校側は、時が解決するだろうと安易に考えていたことで取り返しのつかないレベルに達してしまうのであったが後の祭りである。

これはこの学校だけに限らず多くの学校の教師・教育委員会の者たちも同じで一つの社会問題化する。

この一連の社会情勢は加速し差別を助長して多くの震災孤児、特に元探索者を親に持つ子供たちの行き場を奪う形となった。

事態を重く見た政府はこの震災孤児たちを集め特別学校を設立し世間から保護せらるおえない程の大問題となった。

この時の政権はかつて病気を理由に総理大臣を辞職したあの男、亜部あぶ真造しんぞうが復活しG民党総裁に返り咲き内閣総理大臣となっていた。

2度目の内閣総理大臣に返り咲いた国政選挙では、G民党が圧勝したが、公平党と共に連立を組み、政権与党となった。

日ノ本は今まさにデフレスパイラル。

デフレ経済を克服する為に亜部あぶ総理が掲げたのは三本の矢と称された3つの経済政策で、デフレ脱却を目指した。

2013年この一連の政策を「アブノミクス」と呼び、流行語大賞に入賞する程に世の中に浸透した。

経済政策の1つに挙げられたのが「ダンジョン」での「探索者」たちのである。

低所得者探索者の収入増により底上げをする狙いもあったが当初、多くの者から批判を浴びることとなる。

今までの内閣を一部否定するような逆向であることも反対者が多かったのかもしれない。

今までの内閣はどの内閣も探索者からことを念頭にダンジョン政策を行って来た。

しかし、その事が原因でダンジョン離れが起こり、探索者は底辺の者がやる仕事と言う位置付けがなされた。

世界に唯一しかない有用な鉱山的な価値がダンジョンにはあるが、歴代内閣はそれを有効活用出来ていなかったのである。

一般人のダンジョン離れが問題視されていたのも確かであるが、それ以上にこの政策に対する抵抗は大きかった。

しかし、探索者たちの収入引上げ・地位向上はG民党の重鎮となった阿蘇あそ一郎いちろうも亜部総理と同様に必要と思っていた様で、協力して政策を推し進め、ダンジョンの有効活用を目指した。

亜部あぶ総理の肝入りで開始された政策の一つ、「国家戦略特区」と言う物がある。

ダンジョンが存在する出雲市にダンジョン探索者育成の学校がこの「国家戦略特区」の位置付けで開校された。

下は10歳から上は20歳の若者をターゲットにこの学校の入学者を募った。

しかし、当初予定よりも探索者を目指す若者は少なく計画は頓挫するかと思えたが、「D探法」を改正され、探索者を免許制にする代わりに、大幅に免税されることが閣議決定されたことで風が変わった。

勿論の様に野党は反対したが、与党の賛成多数でこの改正法案は可決し、探索者の収入増が見込めると言うことで、ダンジョン探索者育成の学校の合格者が定員割れを起こす事態は免れた。

奇しくもなぎ少年たちの通う特別学校はこのダンジョン探索者育成の学校に隣接しており、多くのこの学校の子供たちもそのダンジョン探索者育成の学校に活路を見出したのは皮肉としか言いようが無いのかもしれない。

なぎ少年はあれから10歳となり、最年少でこのダンジョン探索者育成の学校「出雲ダンジョン専門学校」に入学を果たす。

まだ義務教育を終えてない者にも手厚くサポートすることを謳い文句に開校したのでサポートは万全であった。

時代はまさに再度のダンジョンブームの到来の予感で浮足立った。

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