第2話
コメントにてご指摘有りましたのでご報告。
黄泉比良坂は「よみのひらさか」とルビを打っております。
日本神話では漢字は同じですが「よもつひらさか」と読みます。
別の世界の話としておりますので敢えてそこを変えておりますのでご注意ください。
◇~~~~~~◇
面白いからもっとやれと言うように、各TV局・新聞各社など全てのメディアが彼をよいしょして民意を煽った。
その動きはNETにも波及して、NET民たちも彼を持ち上げることでその動きは加速する。
それはまるで英雄かのように持て囃した。
政権与党G民党のふんぞり返る政治家たちに一撃を与えたような気分に民衆は酔ったのかもしれない。
彼のその破天荒ぶりと演説の上手さから国民人気も高く、彼のライフワークと言われた郵政民営化までも成し遂げたが、割を食うのは弱者でしかなかった。
多くの者は彼を持て囃したが、全てと言う訳だはなく、この狂気を不安視する声もあったが、この時は極少数の意見であった。
しかし、第三次改造内閣まで組閣した中泉も2006年に首相を退任した。
次にG民党総裁選で
中泉路線を継承し後継者的な立場の船出で、国民人気も高く今までにない若さの総理大臣に多くの国民が期待を寄せた。
所信表明演説では「日ノ本を、世界の人々が憧れと尊敬を抱き、子供たちの世代が自信と誇りを持てる『美しい国、日ノ本』とする」と力強く語った。
この演説に感銘を受けた者も多かった様で多くの国民が彼に更なる期待を寄せた。
しかし、体調の悪化を理由に
期待が高かっただけに残念感は否めないが、病気と言うことで国家元首の立場を離れることを了承することしか出来なかった。
急遽、次にG民党総裁及び内閣総理大臣として担ぎあげられたのが
有力視されていた者を押しのけての総裁就任で、中泉政権下では官房長官を勤めたが、年金未納問題で叩かれその職を辞任した経歴の持ち主で、その際に「速き事風の如く」と言って官邸を去ったのは有名な話だ。
不安視もされたが彼に日ノ本の舵取りを任せることとなってしまった。
就任早々に彼の口から迷言が飛び出した。
「背水ノ陣内閣」と言うセリフで自分の内閣を表したが、政治家は何時も背水ノ陣で挑むべきものであって、態々言う必要も無いと普通は思うが、それを言う程に日ノ本の政治家は欲に塗れ私利私欲の為に保身を謀る者たちの集まりであったからだろうか?
いや、何時もは適当にやっているから「背水ノ陣」と思う位必死に今回は頑張りますと言うことであろうか?
さて、この当時の政局は衆議院は与党(G民党)が過半数を取り、参議院は野党が過半数を占めると言う事で「ねじれ国会」と揶揄された。
副田総理はそれを解消すべく民民党(通称:セミ党)の代表の
結果は燦燦たるもので、内閣不信任決議が衆議院で可決される程の混乱ぶりであった。
この決議は戦後3人目となり、日ノ本国憲法下では衆議院からは初で違う意味で歴史に爪跡を残した。
そんな時代に一人の男の子が生を受ける。
「おめでとうございます!元気な男の子です!」
「ウォ~~~!!良し!!良し!!良し!!」
「お父さん・・・お静かに!」
「あ・・・看護婦さん・・・すみません・・・」
病室に入るその子の父は自分の妻に笑顔を向ける。
その男の妻も笑顔で返す。
「元気な男の子です」
「うん、聞いた!」
「名前はどうしますか?」
「う~ん・・・
「どうして薙?」
「全ての困難を薙ぎ倒す!!薙ぎ払う?」
「ははははは~貴方らしいわね」
「決まりだな?」
「はい、今日から貴方は『
日ノ本の何処にでもある産婦人科でそんなやり取りが行われていた。
2008年、突然の緊急記者会見で「国民生活の為に、新布陣で政策実現を期してもらいたい」と言うセリフを残し副田総理は内閣総理大臣及びG民党総裁を辞任した。
何をやったのかよく印象に残らない様な内閣であった。
次にG民党総裁の座に就いたのは
そのまま内閣総理大臣となった。
首相就任の際に「日ノ本を明るく強い国にする」と述べ、総理大臣では初めてダンジョンの視察を行った。
2009年に行われた衆議院議員選挙で民民党(通称:セミ党)に政権を明け渡すこととなったが、在任中には世界的な金融危機もあり中々難しい情勢を乗り切ったのではないかと思うが、国民の印象にはあまり残らない内閣となってしまった。
これは
失言が多いなどと言われるが、ちょっとした言い間違いなどを事更に大きく取り上げるマスコミの方が異常なのではあるが、この時マスコミに先導された者たちはそれを大々的に攻めた。
次の政局ではG民党に変わり民民党(通称:セミ党)が政権を担うこととなった。
7色のマニフェスト等と呼ばれ大風呂敷を広げた公約を掲げこの元野党の民民党(通称:セミ党)を中心に連立与党が組まれ民民党(通称:セミ党)の代表、
後の専門家たちからは事更に評判の悪い内閣で、「無能内閣」などと揶揄された。
「アイムソーリー、俺総理!!」が言いたいだけで総理を目指した変人のような男であっためか、はたまた、三歩歩いたら忘れる鳥頭が原因かは知らないが、総理大臣の彼より事業仕分けなるものを行った
さて、この事業仕分けで煽りを食った1つがダンジョン事業だろう。
この時代になると日ノ本以外(AUSA)の企業も参入し採掘や探索を行うようになっていた。
そして、ダンジョン内での色々な研究がなされていたが、この事業仕分けで予算を削られて他国に研究成果で後れを取ることとなった。
彼女の迷言として有名なのが「2番じゃダメなの?」である。
どの業界でもそうであるが、1番の恩恵と言う物がある。
2番に転落すればその恩恵に預かる事は出来ないのにそれすら解らない者が国会議員のそれも政府内に居る事自体が狂っているのだが、何故かこの時批判する国民は少なかった。
無駄な税金が無駄な関連組織に流れることを嫌い、逆にこれを支持した者も多かった。
しかし、今まで以上に政治に期待しない者が増えたのはこの時期の少し後だと言われているが、この政権が原因かの真相は定かではない。
口の悪い者は「
政権はそのままに総裁が
この政権下で最も大きな事件は西日ノ本大地震ではないだろうか?
出雲を中心に大地震が起こり、西日ノ本が壊滅状態に近い様な被害を出した。
原因はダンジョン、「
ダンジョン内ではある事件が起こっていた。
ファンタジーもの等の読み物を読む者ならこの事態に直ぐにピンと来るかもしれないが、内部でモンスターの大量発生が起こりモンスターが溢れ出した。
それより少し前に大きな地震が発生したことから内部で何らかの変化があり、それが原因で大地震となり、その原因の影響でモンスターが溢れたのではと言われるが、原因は定かではない。
ダンジョンが原因の為、ダンジョン震と呼ばれることとなる。
地震と地震の影響の津波とこのモンスターパレードで多くの命が失われた。
内閣自体も右往左往するのみで機能不全を起こし二次災害を引き起こしたと後の世の専門家たちは語った。
事業仕分けにより閉鎖が決まった研究内容の一つに「モンスターの発生原因と対処方法」と言う物などがあったようであるが、研究されていれば・・・
時代はさらに混迷を迎える。
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