第5話


猫宮扇。


この辺りの人で、知らない者はいないと言っても過言ではないほど、


有名なその名前。


『普通』とはかけ離れた美しい容姿に、


明るい性格。


そして、猫のように気まぐれ。


寝込み屋扇の異名を持つ彼の額は、


若干赤く感じられた。


「月見さんさ、今日行けなくてごめんね」


と、話し始めた彼は、にははと笑って、


「これ、治すのに時間かかっちゃって。」


そう彼が自分の額に触れた途端、


何もなかったその額に、朱い紋章が浮かび上がった。


「あっはは、さすが仙狐の妖術。一筋縄ではいかないね」


「扇くん…?」


「やっぱさ、月見さんってさ」


「な…何?」




「月見さんさ、思い出せてないよね」





***


家に帰ると、リビングのテーブルに、


「ちょっとでかけてくるね!」と書かれた手紙があった。


自分は、扇くんに言われた言葉を思い返す。


「思い出せていない」。


どんな意味があるのだろう。


意味が分からないのは____怖い。


無知である事は____怖いのだ。


どうしようもなく、恐ろしい。


「思い出せて、いない」


誰もいない、静かな部屋の中で。


私という『怪異』は言葉を反復した。


***


「ごめんごめん、遅くなったね」


彼女は、大きな買い物袋を持って、


家に帰ってきた。


今日はお弁当らしく、


テーブルの上に二つのパックを置いて、


食べよっか、と言った。


「ねここ、今日変な事なかった?」


「何、突然…。」


まぁ、ないよ。と嘘を吐く。


無かった訳ではないが、


言わないほうがいいだろうと判断し、


伝えることをやめた。


と。


彼女は、食事の手を止めて、


こちらを無言でじっと見る。


そして、にまりと笑って。



「…今日さ、一緒に寝よっか」



















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