第6話 他人の目
私は、世の人が言う自分探しの旅……というものには若干懐疑的であった。
探したところで、自分は自分の中にあるし、自分の中にしかいない。
自分と向き合わなければ見えてこないのに、旅に出るってどういうことや? と、そういう理屈であった。素直に、現実逃避の旅と銘打ってくれたほうがいっそ清々しくて潔いと思っていたほどであった。
ま、それはともかく………。
…………………
数年前の出来事────
………その日も、スーパーのレジで会計を済ませて出口に向かって歩き出した時……。
前を歩く、うら若きOL風の女性が下げていたビニール袋から、ぼろぼろとこぼれ落ちていく商品の数々……
女性が落とした、その商品は……こともあろうに大量のカップ麺でした。
今思うと、その時とった私の行動が適切だったのかどうか、という後悔もあります。
私はとっさに、ヘンゼルとグレーテルの道標のように点々と落ちているそのカップ麺を拾い集めながら追いつこうとしましたが………数が思いのほか多く、しかもその女性は気づかずに歩いていってしまいます。
このままでは追いつけない……!
そう判断した私は、ちょいと大きめの声で呼び止めました。
しかし、女性は止まりません。
もとより、公衆の面前で見ず知らずの中年から呼び止められるとは思っていなかったのでしょう。全く気づかないまま、歩きつづける彼女……
結局、私の声で状況に気づいた店員さんが女性を呼び止めてくれて、私はカップ麺を拾い集めながらその人に追いつきました。
ようやく気づいた女性は、状況を察して私に駆け寄りしゃがみこんで、拾い集めた大量のカップ麺を改めてビニール袋に詰め直しました。
私は、小さく……
「……大丈夫ですか?」
そんな声をかけていた。
すると、女性は、
「……大丈夫じゃないです」
と、恥ずかしそうに慌てたように……そして、どこか追い詰められたように───。
小さく小さく答えました。
そして、小さく頭を下げて……そそくさとその女性は店外へと去っていきました。
拾ってあげられたことは、良しとして───
……まあ、どう見ても恥ずかしかったのでしょう。
商品を落とした、というのは不可抗力にしても、若い女性が大量のカップ麺……(これだって、別にいいじゃないか、とあたしなんかは思うのですけど)そして、なにより公衆の面前で呼び止められたこと───。
あの後、色んな方法を再度検討してみたのですが、やはり落ちている麺が多すぎたことと全く気付かずに歩いていたこと……。
……店員と協力して、無言で拾い集めてから追いかけて手渡せばよかったのかな、とも思うけれど────。
ただ、一つ気になったのは、あの女性……多分疲れていたか、心此処に非ずという状態だったのではないのかな……と思うような部分もあったりします。
思い起こすと……明らかに、袋の持ち方に神経が通っていないようなぶら下げ方をしていたのと、歩き方に全く生気がなかったのが気になりました。お昼休みの時間帯だったこともあり、仕事の合間に急いで済ませようと店に来ていたのかもしれません。
「……大丈夫じゃないです」
と彼女が発した言葉の真意が、単に恥ずかしい……ではなく、会社で何かがあって平静ではいられないような心理状態だったのかな、と感じられるところもあったのです。
───当たり前ですけど、その後彼女がどうなったのかは知る由もありません。
……………………
集団で行動している時にでも、今までの私は困っていそうな人を見かけたら反射的に声をかけてしまっていました。
そして、当然一緒に行動していた人からは嘲笑されたり非難されたり、といったことが普通でした。
彼らからすれば、知人の前で善意の行動を取ることは「ええカッコしい」らしいのです。あるいは、集団行動の和を乱す行動である、とも。(そ知らぬふりをしているのだからお前もそれに倣え、ということらしいです)
────当然、私はそんなもの全く納得してませんでしたけど。
コロナ禍を経て、思い切ってこれまでの周囲の人間との関係を見直して、単身行動を常とするようになってから、心の赴くままに行動できるようになったことは、とても幸せなことです。もちろん、善意に似たエゴにならないように、節制には常に気をつけて、相手にとって迷惑になっていないか考えてから声がけするようにしております。
あの時、私が彼女に声をかけられたのは、隣町のスーパーで周りには私の知人がいなかったからでもあるでしょう。逆に、彼女にとってはホームタウンでもあり周囲に知人がいたのかもしれません。……そりゃ、恥ずかしいでしょう。
知り合いがいないというのは、苦難でありさみしいことでもあるとは思いますが、知人の目が気になって、常に心が鎖に繋がれているような心理というのも、ありうるのではないかとも思います。そして、それはとても苦しいことでもある、と………。
自分探しの旅……、自分の生活圏を離れ自分を見つめ直す───。
本来の意義としてはそういうことだったのかもしれないと、今改めて思います。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます