第2話「記録:リル・メリュアール・トゥアラ」

トゥアラ公の三女、リル・メリュアール・トゥアラ。第三次討伐隊の出征前に語る。記録開始。


「ラフィールお姉様が反逆したのに驚かないのかって? 私はその問いかけに驚きを隠せないわね……。あの方がどれほどに苦しんでいたかをご存じないなんて、まったくもって愚かしく、そして幸せなことだと思いなさいな」


リル・メリュアール・トゥアラは、ラフィール・メルバラと幼いころからの親しい付き合いである。その点について、疑いの余地はない。両家の歴史的経緯を見れば、それは決して望ましい状況ではなかったろう。しかし、少なくとも人類が魔族との組織的な最終決戦へ移行しつつある時期に、儚くも淡い青春を過ごせたことは、彼女たちにとっては幸いした。


残念ながら、この2人はこれから殺し合うことになる。第三次"全人類の敵"ラフィール・メルバラ討伐隊は、これまでの2回の討伐で得られた戦訓を組み入れ、さらには生き残りの魔族までも編成に組み込んでいる。おそらく、この世界の歴史における最大の会戦が行われるだろう。


ただ、リルはこのように言葉を続けた。「私たちは敗北する。間違いなく。そして、お姉様は生き残る。勝者として。圧倒的な勝者として。私はそれを確信している」と。そこには一切の自嘲さえなく、真剣な眼差しだった。


リル・メリュアール・トゥアラ、15歳。攻撃的性格は仲の良いラフィールに影響されたものかもしれないが、その才覚は戦力としてのみならず学術面でも傑出したものであり、魔族討伐後の人類種族の振興に寄与することが期待されていた。本来ならば、彼女が最前線に来ることは、人類どころか生命すべてにとっての損失になりかねない。


ところが、ラフィール・メルバラの叛乱、一部学者が言うところの「天敵種族としての覚醒」は、世界の政治機構を根底から揺るがした。2度の討伐失敗がその風潮を助長し、ついに「貴族たる者ならば率先して命を掲げ、大悪へ挑むべし」という原則だけが独り歩きし、彼女さえも戦場に向かわせることになった。


「私はそれを喜んでいるのだけれど?」


こうした無意味さを問いかけると、リルはそう返したものだった。


「死ねるのよ、お姉様の手で。今後、お姉様が死んでこの世界が再び元に戻ろうとするにせよ、お姉様が生き残って世界すべてが爆炎に包まれるとしても、私はきっと無意味な荷だけを背負って余生を過ごすことになる。でも、今、この機会に、私は能動的にお姉様と殺しあえる」


それは狂気のように思える。


だが、リルはこれも否定する。


「狂気とは、正気があってこそ成立するものじゃないの。この世界に、正気なるものが存在したことがあって? 異世界からの転生者を勇者などとおだて、祭り上げて、一部の人間の保身を理由として突撃させる所業が正気だとでも?」


リルはまことに少女然とした声で、とても滑舌が良い。立憲君主制へ移行し、貴族院の議員という立場に移行していたとしても、彼女はその明晰な頭脳が編み上げる明瞭な演説によって、幅広い層からの支持を集めていただろう。


「狂気こそが人類の、そして生命の基本よ。正気なるものは、死の瞬間に訪れる一瞬の空漠、駆け抜けていく魂素子の思い出の残滓に過ぎないわ。世界の"正しきもの"と"狂いしもの"、より単純に言えば"正しい"と"正しくない"を分けようとした時点で、すでに狂っているのだもの」

「孝廉なるトゥアラ!」


軍服を着た男がやってきた。中年と呼ぶにはまだ早いが、青年と呼ぶには少し遅い。そんな印象の男だ。伝統的な胸甲をつけている。よく通る声だが、やや枯れている。戦場で生きてきて、喉に癒えぬ傷を残したのかもしれない。


リルはその才覚を部隊編成前より知られ、さらには誰かの上に立つ責任を身命を賭して負うことを示した。演習においては多くの戦役を経験してきた将帥に互する判断の良さを見せ、ゆえに大小の差こそあれど尊敬を勝ち得ている。


また、彼女が出征前に残したいくつかの論文とトゥアラ公爵家全体への功績をもって、「孝廉なるトゥアラ」と呼ばれていた。当初は「孝廉なるリル」だったが、彼女がそれを厭ったために、家名のほうに雅称がつく形を採用している。


その理由について、リル・メリュアール・トゥアラは「私は、常にトゥアラの人間であるために」と語っていた。


リルは、いくつかの指示を男に対して出した。彼女は第三次討伐隊の総指揮官ではないが、ひとつの部隊を任され、しかも遊撃的役割を期待され、多くの権限を委任されている。この部隊の構成はすべて人類種族だが、人類の統合軍が成立するまでは不倶戴天の関係だった国々に属していた者たちもいる。


過去の2回に及ぶラフィール・メルバラ討伐の失敗は、1度目の「単なる暴走した貴族の令嬢」という認識、さらに2度目の「魔王に匹敵するかそれ以上の脅威」という認識を完全に改めさせた。


すなわち、ラフィール・メルバラとは、「個でありながら群の性質を感じさせ、同時に憎悪と復讐心に満ちた、すべての生きとし生けるものにとっての天敵」という現在の認識へ至ったのである。その力の強大さを考えれば、もはや各国が最精鋭を温存しておく余裕などなかった。


今にして思えば、魔王城の攻略戦はまだ楽観的な見方があったものである。苦戦はするだろう。死人も大勢出るだろう。攻略に失敗すれば、再び魔族側に戦争の趨勢が傾くかもしれない。


だが、今はもうそれどころではなくなった。この第三次討伐隊が期待される成果を残せなかったならば、いったいどのようにして彼女を止めるべきか、誰にも想像できないくらいに追い込まれている。


その現実は、ほぼすべての人類種族、さらに少数派となった非人類種族に共有されている。ただ、今から勇気ある者が手をあげたところで、義勇兵として後方の兵站維持とその品質向上に役に立ちこそすれ、前線に立てば犠牲者数の統計をかさ増しする程度にしかならない。


"爆発"というもの。


この現象は、あらゆる物質にとって無惨な結果をもたらす。あらゆる生命が、それを痛感していた。いったい、ラフィール・メルバラはなぜ爆発によって災厄をもたらす者となり、全世界への戦いを挑んでいるのか。誰もが関心を持つ事柄であった。


リル・メリュアール・トゥアラは、そうしたラフィールの心を知っている様子である。出征前にはラフィールの変心、あるいは当初から抱いていた人類への憎しみが書かれている論文を提出したとされるが、現時点でそれは一般に公開されていない。


ゆえにこそ、今まさに死地へ赴かんとする彼女に話を聞きに来たわけだが、リルという少女もまたラフィールとは違った深淵に魅入られているようだった。


「私は人間を信頼していないのよ。魔族もだけど。生きている者を、ぜんぜん、信じていない」


指示を出し終え、こちらに向き直り、問いに応える彼女の目は、日食が起きた夜のように暗かった。


「災厄とは何なのかしらね。神が引き起こすのか、それとも悪魔が引き起こすのか。善なるものか、悪なるものか。その理論が解き明かされたとしても、避ける術がない。ならば、なぜそんな理不尽なものがあって、私たちは静かな滅びを強制されなければならないのか」


何も答えないでいると、リルは嘲弄を感じさせる顔をした。他人の才能について、見限ったような表情だった。


「お姉様は、この答えを明確に持っていたわ。まさかここまで、私の思った以上にやり切るとは想定外だったけれど。それでも、きっとどこかでやると思っていた。私もその時に死のうと思っていたから、今はとても幸せ。ここで死ねなかったら、永遠に私の魂素子は虚無を漂い、他の世界に行き着くことのない旅に出ることになるでしょうね」


この世界でも、こことは異なる世界でも、転生しない。それは絶大なる苦しみに思えた。魂子や霊子、あるいは魂素子の転生原則は、今もって多くの議論があるものの、少なくとも無数の「物質世界」を巡る還流理論として認知されている。


すなわち、人間は3次元世界ならびに4次元世界までの概念として存在するのであって、5次元以上の世界に到達したからには、また違った形で"現象"にアプローチすることになる。


ある学者はそれを"上の階梯へ進む"と表現し、違う学者は"高次への昇華"と比喩し、より別の角度を重視する者は"生命原理の脱構築"などと説明したが、もちろん、これはこの世界における「"死"以上の"謎"」である。リル・メリュアール・トゥアラはその賢明さをもって、13歳の時に新たな学説を論文として提出しているが、これもまた内容が公にされていない。


「たぶん、真実に近いんでしょうね」


この点を質すと、リルはけらけらと笑った。先ほどまでの嘲りの色はまったく消え失せ、貴族らしい気品も打ち捨て、「そのあたりの娘さん」の風情が勝つ笑い方だった。


「人間には耐えられる閾値というものがあるわ。それは肉体もそうだし、骨もそう。今のところ、多くの人間は家屋が降ってきたら潰されて死ぬでしょう? 閾値を超えるというのは、そういうこと。ああ、学問ごとにこの言葉の使い方が違うのは承知なさってくださいましね? これはあくまで、このリル・メリュアール・トゥアラが、わざわざ話を聞きにきてくれたあなたに伝えるための一般名詞に過ぎない。そこは理解しておいてちょうだいな」


リルは自らの頭を指さした。


「頭脳にも閾値がある。人間ひとつをとっても、王には王の、農民には農民の、商人には商人の、学者には学者の閾値があって、それを超えるともうダメ。一般的な用語で言うところの『狂う』状態を引き起こす。私はそれを『見えない世界に曝露する』と形容するけれど、これは"誰も知らない世界の真実みたいな枠組みとは違う"から、勘違いはやめていただきたいものね。あなたなら、大丈夫だと期待しているわ」


期待に応える旨を返すと、リルはその表情を引き締めた。


「お姉様はあらゆるものの閾値を超越したところへ向かい、そして、今の"形"をとった。もうこちら側へ戻って来ることはない。ありえない。この世に絶対はないけれど、原理的に不可逆であるものは存在する。とにかく、私は死ぬ。お姉様に少しでも食らいついて死んでみせるわ。もしかしたら、ほんの少しだけでも、世界の有機体に同情を抱いてくれるかもしれないから。私個人の感傷もあるけれど、そういう打算もないわけじゃないの」


それでも、とリルは続けた。


「私たちは間違いなく敗北する。この第三次討伐隊は無惨な結末を迎え、軍事的見地はおろか、一般的な見方からしても悲惨と呼べる損耗率を計上するでしょうね。そもそも、誰がどうやったら生き残れるだろうか。その方法さえ問題になる。今ごろ、出征を免れたやつらが賭けをやってても驚きゃしない。何人が生きて帰ってくるか。その生存者は、前線部隊に分類されるなかに存在しうるか……ってね」


これまでの2度の失敗以上に悲惨な敗北が待っているというのならば、あまりにも愚かな集団自殺に他ならない。それを止めることこそが貴族の、ひいては導き手となれる才覚を持つ者の義務ではないだろうか。


リルは、「そうね」と答えた。


「でも、生命は生きたがりでありながら、死にたがりでもあるの。そして、驚くほど多くの屍が積み上がって初めて、やっと理解できる現実もある。死ぬ者が特につながりのない他人で、数字としてでしか感じられないのならばなおさらで、数多の犠牲がないと脳の賢明な部分が働かない」


彼女は微笑む。これから死にに行くとは思えないくらい、可憐な笑み。


「じゃあ、『孝廉なるトゥアラ』としては、そこに貢献しなければならない。私はそうして義務を果たしながら、お姉様の手によって果てることができる。喜びとともに、この世界から旅立つわ。これ以上に納得できる死に方は、きっと無いでしょうから」


記録終了。


追記。第三次討伐隊は、リル・メリュアール・トゥアラの言葉どおり、壮絶な敗北を喫した。損耗率は限りなく100%に近く、死亡率は損耗率にほぼ等しい状態と言える。ラフィール・メルバラは、なお健在である。

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爆厄令嬢 真里谷 @mariyatsu2022

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