第5章 黄泉返りの魔王 4

「ギリギリ及第点だな」


 事の次第を聞いた国王は書類から顔を上げることもせずに言った。


「リディアーヌがついていながら、帝国皇帝の封蝋を割ってしまうとは……」


「だって可笑しくって声も出ませんでしたわ」


「駄目だったんですかね?」


「駄目もなにも、普通割らん。お前のマナー講師もまさかそんなことはしないと思って抜けておったのだろうな。考えてもみよ。実際に手間をかけたのはお前では無いにしろ、お前の意匠が押された印を親しくも無い相手に割り折られた気持ちを」


「ケンカ売ってんのか、って思いますね。はい」


 俺はしおしおと反省する。

 考えてみればテーブルにはペーパーナイフが用意されていた。前髪ハゲのアホの剣がテーブルにあったせいで、見落としていただけだ。


「これを理由に帝国は開戦してきますか?」


「いや、それは無い。さすがに弱い。周辺諸国に王国の醜聞として流す可能性はあるが、帝国の隣国はフリュイ共和国くらいだしな」


 一応あとレギュム連合国もあるのだが、こっちは魔族の支配地域なので外交的なことは行われていないはずだ。


「こっちに抗議文は来るだろうが、使者の酷さと、当人の未熟さを言い訳にしてしまいさ。繰り返し苦情が来るようなら、こっちも腰を上げざるを得なくなるがね」


 そこは甘んじて受け入れますよ。


「どちらにしても冬までには間に合わない、ですね」


「そうだ。だがそれではいずれ戦にはなる。そこで、だ。アンリ。お前、この使者が帝国に帰り着く前に帝都に行って、皇帝に謁見を済ませてこい。もちろんリディアーヌを連れて、あくまで親善の使者として」


「なぜですか?」


「それで穏便に済ませることができれば、その後で使者がなにを言っても覆らんよ。戦争は回避できる」


「まあ、追い抜くこと自体なら余裕ですね。なんなら今日中にたどり着いてもいいですが」


「それは早すぎる。帝国がそれほど詳しくないというのであれば、お前が飛べるのは可能な限り隠しておきたい。シクラメンまで行って、そこから馬車で帝都に向かえ。雪で身動きが取れなくなる前には戻ってこれるはずだ」


「それって、期間はどれくらいになりますか?」


「シクラメンから帝都までは馬車で2週間程度だ。現地で少し時間を使ったとしても、2ヶ月もかからないであろう」


 俺はリディアーヌ二ヶ月放置した婚約者から目線を逸らしつつ、主張する。


「あの2人に2ヶ月の不在をどう説明しろ、と」


「それはお前の問題だろうが」


 そう言われちゃうとぐうの音も出ねぇよ。

 正直に言うと付いてくるだろうなあ。絶対付いてくるよな。

 かと言って嘘を吐いて、後でバレるとめちゃくちゃ怖い。主にネージュが怖い。


「婚前旅行ですよ。皆で行きましょう」


 言葉の前半と後半の結論がねじれちゃってるんだよなあ。

 A=Bだけでは証明として不十分だ。


「ああ、ひとつだけ言っておく」


 国王が顔を上げた。真剣な顔だ。

 帝国からの使者についての報告のときは一切顔を上げなかったのに。

 流石の俺も背筋が伸びる。


「頼むから帝国を滅ぼしてくれるなよ。絶対だぞ」


 それは芸人的な前振り、ではないよな。


 言いたいことは分かる。


 帝国は王国にとっては魔族との障壁として機能している。

 帝国の北東側には魔族の国家、レギュム連合国が存在するからだ。

 帝国は常々レギュムからの侵攻を食い止めており、帝国が崩壊すればその領土に魔族が進出してくるのは明らかだ。そうすると王国と国境を接することになるだろう。


 王国は現在東側にも敵対的な国家があり、両面作戦ができるほどの戦力は無い。北方である帝国側はシクラメンで籠城戦をして持ちこたえる計画だから、魔族と国境を接するのは避けたいのだ。


 しかしそれにしたって過大評価しすぎだ。それとも過小評価か? そんなに短慮だと思われているのだろうか。


 だけど念のために聞いておこう。


「ちなみに帝国が滅んだとする条件はなんでしょうか?」


「お前……」


 呆れられてるな、これ。


「言い直す。帝国の政情が不安定になるようなことはするな。皇帝は高齢だが跡継ぎが決まっていない。いま皇帝が斃れたら帝国は割れる。変に皇位継承者とも接近するな。政争に巻き込まれる」


「つまり粛々と向こうの要求通り顔だけ見せてさっさと帰れ、というわけですね」


「交渉事があれば、リディアーヌに任せて良い。お前は変に気を回して何かをしようとするな。絶対だぞ」


 信用されてないなあ。まあ、実際に政治能力は無いと自負してるけども。


「ええと、そんなにやらかしそうに見えますかね?」


 うんうんと国王とリディアーヌが仲良く頷く。


「お前にはこの国の王位継承権を引っかき回した過去がある」


「あれは陛下に依頼された仕事だったではないですか」


「レオンを助けてくれとは言った。父親としては当然の判断だった。だが国王として正しかったかは、未だに分からん」


 一応、王国の王太子はレオン王子ということになった。その理由に帰らずの迷宮攻略の功績が大きく関わっているのは間違いない。


「レオン王子はどっちかというと陛下と似た性格だと思いますが」


「分かっている。だからこそだ」


 それは国王が自身の能力を否定していることにはならないだろうか?

 このおっさんは俺に対してはいらんことするけど、王国は平和に保たれている。大氾濫は、あれは黒マントの自供が得られたしな。つまり政治能力が高いのだ。

 平時であれば、今の国王と同じ路線が続く方が安心では?


「陛下は今の平和が長く続かないと思っていらっしゃるのですか?」


 悲観主義の国王のことだから、そういうことなんだろうか?


「そういうところだぞ」


 国王が言って、リディアーヌがうんうんと頷く。


 どういうことなの?


「その先は自分で考えよ。お前も今や独立した貴族なのだからな」


 いや、さっぱり分からんし。

 というか、上司の意向確認って大事じゃない?

 俺、働いたことないから分かんないけどさ。


「急げよ。雪が積もるとお前はともかく馬車が帰ってこられなくなる」


 そっちの心配かい。

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