第5章 黄泉返りの魔王 3
俺はリディアーヌを伴って王城の応接室に入る。
部屋の中ではひとりの若い男性――とは言っても俺よりは年上だ――が、足を組んで背もたれに背中を預け、メイドに話しかけていた。
俺たちを一瞥すると、その顔に軽薄な笑みが浮かぶ。
その目線はリディアーヌに釘付けだ。
「お待たせしました。アンリ・ストラーニです。はるばる遠方より、ようこそいらっしゃいました」
俺はその視線を遮ることはせずに、一礼して使者の正面に座る。
返礼する気配も無かったし、その時間も与えない。
リディアーヌは言葉を発さずに、カーテシーのみ済ませると俺の隣に腰を下ろした。
「用事があるのはアンリとか言う魔法使いだけなんだが」
その発音には訛りがあったが、聞き取れないほどではない。
というのも王国と帝国で使う言語はほぼ同じだからだ。
別にこの男が気を遣ってこちらの言葉を使っているわけではない。
そもそもこちらが名乗っているのに、名乗らないのはあまりにも礼を失している。
「初めまして。アンドレ・リェーネン様。私はアンリ様の婚約者です。無理を言って同席させてもらいましたが、お邪魔でしたら失礼いたしますね」
「邪魔とは言ってねぇよ。なんなら俺のものになれよ。そんな男じゃ満足できないだろ」
「あら、それは帝国貴族の籍を捨てるということでよろしいですか?」
「馬鹿抜かせ。俺が飼ってやるっつってんだよ」
「あらら、どうしましょうか。アンリ様」
俺に振らないでくれない?
とは言え、リディアーヌが振ってきたということは、ある程度は失言しても大丈夫ということだろう。まあ、相手が十二分に失言してるからなあ。
「リェーネン様。それは私から婚約者を奪うという宣言と受け止めてよろしいでしょうか?」
「奪う? 違うね。差し出す栄誉を与えてやると言ってるんだ。光栄に思うところだぞ」
国王が生かして帰せと言った理由が分かってしまったなあ。
もしかして帝国ってこんな奴らばっかりなん?
俺は笑みを浮かべた。
「もしその取引を受け入れたら私は何を得られるのでしょうか?」
「は? 栄誉つってんだろ。帝国貴族に恩が売れるんだぞ。這いつくばって礼を言うところだろう」
「なるほど。帝国のすべてと引き換えにでも彼女が欲しい、と」
隣でリディアーヌが堪えきれずに肩を揺らした。
本当にいつも楽しそうですね。
そういうところ、案外嫌いじゃないよ。
「は?」
「リェーネン様、彼は、私の婚約者はあんまり愛を囁いてはくださらないの」
あんまりじゃなくて全然だと思います。
「その彼がこう言っているのです。自分から婚約者を奪うなら帝国全土を敵に回しても良い、と。リェーネン様。彼からとびきりの愛の言葉を引き出してくださって、ありがとうございます」
隣に座ってるから顔を見られないけど、とびきりのアルカイックスマイルを浮かべてるんだろうなあ。
「伯爵家の養子風情が? 何ができる? 今ここで首を刎ねてもいいんだぞ」
いや、良くはないだろ。外交の場だぞ。
あと情報遅すぎない? 俺が男爵になったの、今年の初めなんだけど。
いや、まあ、帝国までの距離を考えたらそんなもんかも知れないけど、オルタンシアまでに情報収集とかしなかったん?
アンドレ・リェーネンは椅子に立てかけるように置いてあった長剣に手を伸ばしたが、それは主が抜き放つより早く鞘から抜け、主の前髪をカットして、くるくると宙を舞い、俺の手に収まった。
「おや、手元にはお気をつけ下さい。危うく誰かが怪我をするところでしたよ。こんな席で血が流れたら大事ですから」
俺は抜き身の剣をテーブルに置く。
今のは魔法の一種だ。
金属書によって、固定観念に縛られていた俺の魔法はかなり自由度が増した。
もともとこういうことができないかな? と思った時に、その可否を先んじて知れるのが俺に与えられた才能だと思うのだが、その最初の着想について俺は前世のファンタジーゲーム世界にかなり縛られていたのだと思う。
この世界の魔法はもっと自由に使える。
今のように物体に命じて、誰も傷つけずに手元に来い、というようなこともできる。
ちなみにこの魔法は魔力さえ使えば、射程も範囲もかなり広い。
正面に展開する軍勢から、一斉に武器を奪うということもできるだろう。
ただまとめて命じることはできるものの、その場合、種類は1種類に限られる。つまり一斉に剣を奪うことはできるが、その場合槍は残る。
ただ剣であれば長剣短剣大剣問わずに効果を及ぼすので、武器で全部まとめられないかなあ?
あ、ダメですね。
可否が分かるというより、不可が分かるという感じだ。
アンドレ・リェーネンはテーブルに置かれた剣に手を出せずにいる。
また突然不可解な動きをするのではないかと、恐れているのだと思う。
血の気が引いたからか、彼は自分の役割を思い出したようだ。
「畏れ多くも、偉大なる皇帝陛下より親書を預かっている。アンリ・ストラーニ、偉大なる皇帝陛下は貴様に帝城へ足を踏み入れ、直接頭を垂れることを許された」
アンドレ・リェーネンが中身を全部言っちゃった親書を懐から出してテーブルに置く。
「拝見させていただきます」
俺は手紙を手に取ると、封蝋を確認する。
開封された痕跡は無いから、こいつが勝手に開けて中身を確認したというわけではないようだ。
まあ、使者としては一応どういう内容なのかは知らされていて当然か。
これで中身全然違ったら面白いんだけどな。
印章は帝国皇帝のものに見える。
これ、リディアーヌと結婚するなら一応って感じで最近習ったヤツだね。
俺は封蝋を割って封筒から手紙を取り出した。
なんか隣でリディアーヌが肩を揺らしているのが視界の端に見える。
俺、なんかやっちゃいました?
俺は気にせず手紙の文面に目線を向ける。
残念ながら面白くは無かった。
アンドレ・リェーネンが言ったのと同じ内容を、似たような文面で書いてあるだけだ。文面の高圧さも同じようなものだ。
「なぜアルブル皇帝陛下は私にこのような機会を与えてくださるのですか?」
俺は顔を上げアンドレ・リェーネンに訊ねる。
文面で足りない部分こそ使者が運ぶべき情報だろう。
「
なんかぷるぷる震えながらアンドレ・リェーネンが言う。
その偉大なるって枕詞絶対必要なんですかね?
でもまあ、話は分かった。
俺の噂が帝国にまで及んだということだ。
まあ、今はシクラメンから帝国に渡るのは簡単だから、むしろ遅かった感すらある。
「お話は分かりました。ですが、すぐに返答はできかねます。しばしオルタンシアでの逗留をお楽しみいただければと思います」
「はあ? こんな田舎くさいところ長居できるか。俺は伝えたぞ。せいぜい首を洗って来るんだな」
わざわざ首を洗って斬られに行くヤツはいないでしょ。
などと思っていると、アンドレ・リェーネンは立ち上がって、剣を鞘に収めると、腰に佩いて足音も荒く部屋を出て行った。
まあ、生きたまま帰したし、合格でいいよな?
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