第4章 種を滅ぼすものたち 22
使用人に案内されて国王の執務室に入ると、国王はそわそわと奥の窓際を右へ、左へと所在なさげにうろついていた。俺たちが入ってきたことに気づくと、デスクの豪奢な椅子に座り、あたかもずっとそうしていたかのような態度で俺たちに向き直った。
「よく来た。アンリ、ネージュ嬢、話を聞こうか。観測所でなにがあった?」
「ご存じなので?」
「何かに襲撃されたことくらいはな。王城の最上階からだと観測所の屋根なら見える」
時の国王が愛人を囲うための施設であった野花の花壇、つまり現在の観測所は高い塀に囲まれていて、周囲が見えないのと同時に周囲からも見えない。これは建物自体が目につかないようにという王妃たちへの配慮でもあるのだろうが、屋根は見えるというのなら片手落ちだ。愛人に会いに行けない時でも屋根くらいは見て、心を慰めたかったのかも知れないが……。
結果的に観測所の屋根に空いた大穴は王城からでも確認できる。何かあったのは誰だって分かる。
「結論から申し上げますと、黒マントの襲撃を受けました。以前王都を騒がせたのとは別の個体です」
「なんということだ。被害は?」
「フォンティーヌ伯爵家の令嬢であるクララ・フォンティーヌが例の黒い宝石を植え付けられましたが、すぐに摘出しました。緊急的な対応だったため、ご令嬢には副作用として手首より先が動かないというような状況にあります。次第に治っていくとは思います」
「最小限の被害で済んだというところか」
「ええと、すみません。それとは別件で学者のベルナール・ルブラン氏が自殺されました。昨夜から今朝にかけての出来事と思われます」
「そうか、それらは連動していると思うか?」
「いいえ、偶然の一致だと思います」
そう言いながら、俺は本当にそうか?と疑問に思った。あまりにもタイミングが一致しすぎている。
考えてみればベルナール・ルブランは死を選ぶほど現状に絶望していたとも言える。彼の計画は前向きに自分の死を織り込んだものだったとは思うが、それでも死ぬ、殺される覚悟ができてしまう心理状態だった。
アルデはそれに引きつけられてきて、結果的に閾値を超えていたクララ・フォンティーヌにターゲットを変更したのでは?
「氏の自殺実行手段に問題があります。彼は自殺の実行役に従者を選んだのです」
「ああ、珍しいことではない。追い詰められた貴族が自死するときに他人の手を借りるのは珍しいことではない。首をくくるにせよ、毒を呷るにせよ、自分の意思ではどうにもできないということはあるものだ。ルブランは従者に遺書を残しておったろ?」
ああ、道理で遺書の文面がこなれていると思った。先例がたくさんあるのだろう。
「ええ、こちらになります」
俺は収納魔法からベルナール・ルブランの遺書を取り出して国王に渡した。国王は受け取って内容を確認する。
「当人の筆跡で間違いないのであれば、問題あるまい。照合はこちらでやる」
「実行者は観測所で業務を続けることを希望しています。実行役に選ばれたことで、彼の今後になにか不都合などはありませんか?」
「跡目争いのある貴族家で当主や、当主の息子が他人の力を借りて自死すると、さすがに疑われる。だがベルナール・ルブランはそうではない」
学者は親の家名を名乗ってもよいということになっている準貴族のような扱いだ。ルブランも例に漏れず、そういう学者の1人であった。
「遺体はルブラン男爵家に送ってやるがいい。今の当主はベルナール・ルブランの兄であったはずだ」
「承知いたしました」
「お前が関わっていることだからもっと大変な状況を覚悟していたが、それくらいなら許容範囲だな」
「ええと、陛下、実は今回黒マントと意思の疎通ができまして、事実確認はできていないのですが重要な情報がもたらされました」
「なんと! 話ができないということではなかったのか?」
「以前の黒マントが無口なだけだったそうで、今回のは王国語が堪能でしたよ」
「それで、彼奴らめはなんだったのだ?」
「連中自身も完全に理解しているわけではないようでしたが、今回の黒マント、名をアルデと名乗った個体によれば、人に我々が黒き宝石と呼んでいるそれを与えることで、なんというか生き物としての格を上げようとしているようなのです」
「格を上げる、だと?」
「アルデによると私が成功例、ネージュはちょっとだけ上手く行った事例になるようです」
「ちょっと待て、それは、事実であれば……」
「はい。私の中にも黒い宝石があり、それは完全に融合し外せないと。私自身では自分の中にそれがあるという実感はありません。なんらかの欺瞞である可能性もあります。その上で今お話しておかなければならないのが、アルデが格の高い者同士でなければ魔法使いは生まれてこないと語ったことです」
「つまりお前とネージュ嬢や、シルヴィ・コルネイユとの間には魔法使いが生まれてくる可能性があるということだな? リディアーヌとの間に魔法使いの子は望めないと……」
「そういうことになります。幸いリディアーヌ殿下との婚約は世間では候補止まりです。このまま候補から外すべきではありませんか?」
「アンリ、どこかその辺の下女との間に子どもを作ってみないか?」
「あんたもそれを言うのかよ!」
思わず突っ込んでしまう。親娘だなあ。
「失礼、以前リディアーヌ殿下に同じ提案をされたことがありましたので、びっくりしてしまいました」
「お前の内心が漏れておっただけのような気もするが、まあいい。他に聞いている者がいる場ではやるなよ。なんらかの罰を与えなければならなくなる」
不敬罪ですね、分かります。
「正直なところ、私の心情的に嫌ですし、万が一魔法使いが生まれてきた場合、とても面倒臭いことになるなあ、と」
「うむむ」
国王は頭を抱えて悩んでいる。そんなに悩む必要のあることだろうか。俺をリディアーヌの婚約者候補から外せば済む話だ。
俺が不思議に思ってるのに国王は気付いた。
「得心がいかんという顔だな。コルネイユ侯爵家は何代か前の話だが、王家の血が入っている。王族の娘を降嫁したのだ。その系譜であるシルヴィ・コルネイユに魔法使いの子が生まれたらどうなる? 国が割れかねん。お前の子の話だ。お前自身もそちらに付くであろうしな。割れて、そのままコルネイユ家に飲み込まれる。だがリディアーヌとの間にも子がいればどうなる? お前はどちらかを選ぶことになる。現在の王家が残る目が出てくる」
うーん、悲観主義者だなあ。というか、その子が男の子で、俺と別れたネージュと結婚、みたいなことにならなければ、その子で魔法使いの血はまた絶える。そしたらまた国が割れたりするんじゃないだろうか。確かにあまり面白い未来予想図ではない。
しかし――、
「自分の娘を国家の生贄にするのですか?」
「王族とはそういうものだ。リディアーヌにしてもこれまで享受してきたものの対価を払うときが来たのだ」
王族を含む貴族とは様々な特権と引き換えに、義務を負う。それは戦争への参加や、災害への対処、そして望まない者との婚姻も。
まあ、リディアーヌ自身は俺との婚姻を望んでいるようなことを言っていた。だがそれは魔法使いの子が生まれる可能性を含んだ話かも知れない。
いや、俺も悲観的になっているかな。
なんかリディアーヌからは恋慕を感じないのだ。あえて言葉にするなら情愛が近い。
まあ王女という立場のせいかもしれない。親に婚姻を定められる以上、恋をしても辛いだけだ。そういう気持ちに蓋をして生きてきた可能性はある。とは言っても、割と好きなように生きているように見えるので悲壮感とかはないんだけど。それも含めて演技の可能性だってある。
「なんにせよ、まだ報告できるような内容には至っていません。翻訳自体は語彙の対応表がかなりできあがってきましたので、文化的に特殊な言い回しや、まだ出てきていない言葉などが無い限りは作業速度は上がるでしょう」
「黒い宝石を使う以外に魔法を使えるようになる手段は見つかっていないのだな」
「おそらく、この先も見つからないでしょう。今後、翻訳されていくのは文化や歴史と言った分野に行きそうですので」
「分かった。定期報告を怠らないように。励め」
「ありがとうございます」
俺たちは国王の執務室から退出する。
ネージュがいたおかげで国王が冷静さを保ってくれて助かった。正直、魔法使いの遺伝がリディアーヌとの間には望めないという報告は、仮説とは言え、荒れるかもと思っていたのだ。
国王はネージュの前では威厳を保とうとするであろうという俺の計算である。
ひとまず突如荒れ狂った状況は静かに着地ができたようだ。事後処理はいろいろとあるが、それらはすべて流れに沿うだけでよい。状況の突然悪化などはないだろう。
そしてそれからさらに一年が過ぎた。
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