第4章 種を滅ぼすものたち 20
クララ・フォンティーヌの精神世界から現実世界へと浮上してきた俺は、まず自分の右腕に回復魔法をかけた。表面上のダメージは無いが、精神世界で負った傷のため、右腕はほぼ動かせない。もちろん回復魔法でも症状の改善は見られなかった。肉体が傷ついているわけではなく、俺の心がこの腕は深い火傷を負っていると思い込んでいるだけなのだから、仕方がないところではある。
「アンリ、大丈夫?」
ネージュが不安げに聞いてくる。
俺の動きが成功したという感じではなかったからだろう。
「あんまり上手くやれたとは言えないかな。右腕もしばらく使えなさそうだ」
「かえ……して……」
現実のクララ・フォンティーヌが俺に腕を向けてくる。手首から先がだらりと落ち、手首から先の感覚がないのだと分かる。
手首から先の力が無く、両腕を伸ばすその姿にはなんだか既視感があった。
全身の皮膚が焼けただれるような重度の火傷を負った者は腕を体に当てると激しい痛みがあり、また皮膚同士が癒着してしまうため、前に差し出していたという話を聞いたことがある。ちなみにそれだけ広範囲の火傷を負うと、もう助からない。
幽霊などを思い浮かべるとき、それらが両手を前に伸ばしているのは、この光景を幻視するのか、ただただ生に向かって手を伸ばしているというモチーフなのか。
いまクララ・フォンティーヌが求める物は、俺の収納魔法の中にある。
どんなに伸ばしても手は届かない。本来ならば。
だがクララ・フォンティーヌが魔法使いとして覚醒しているのならば、俺の収納魔法へのアクセス手段も見つけ出すかもしれない。
対魔法使いについて考えてこなかったのは怠慢だったな。黒マントの魔法無効化の無効化ができないかの研究を優先してしまっていた。それも結局間に合わなかったけど。
相手が魔法使いかどうかを確かめる術は、今のところ思いつかない。見た目では判断できないし、探知魔法のような相手を探る魔法を使っても多分ダメだ。自分と他人で特に反応に違いは無い。
アルデによれば魂の強度に大きな違いがあるはずなので、それを探知できないか試してみるしかあるまい。
幸い、俺は魂の存在を知っている。それは記憶を内包する何かで、肉体とは別個に存在しており、肉体が死んでも魂は離れるだけだ。
擬似的なものであれば作り出せるし、精神世界で散々触れてきた。
いつも使っている生体探知では駄目だ。あれは非常に細かいことを言うと、呼気を検出している。呼吸し二酸化炭素を吐き出すなら、生き物で無くとも引っかかる。まあ生き物以外で呼吸するものってなんだ?ってなるけど。
少なくとも魂を感知しているわけではない。
あれこれ考え検証した結果、対象に触れていれば魂を感知できるという結論に至った。魂は生き物の精神世界という個別の宇宙みたいなところにいるので、外部から非接触で読み取るのは俺には無理だ。その代わりに触れさえすれば、精神世界に侵入しなくとも魂を読み取るくらいはできる。
まずは観測所の一般従業員と、ネージュの魂の強度が違うことを確認してから、クララ・フォンティーヌの頭に触れた。別にどこでもいいのだが、手だと向こうからの干渉を受ける可能性もある。
「なるほど」
クララ・フォンティーヌの魂強度は一般人に毛が生えた程度だ。ネージュには遙かに及ばない。やはり急いで摘出したのは正解だった、というわけだ。
そしてクララ・フォンティーヌが黒い宝石を今も必死に求めている理由も分かる。彼女はまだ足りていないと理解しているのだ。今の彼女は、彼女自身の基準において人と言えるだけの魂の強度が無いのだろう。
一方でそれが感覚的に分かるほど鋭敏になっている。魔法使い一歩手前……、一歩ってことはないな。もっと手前だ。
だが第一歩目を踏み出している。
彼女が自らを鍛えれば、その先に魔法使いに至る道は続いているだろうか?
いや、おそらくは閉ざされているのだ。そのための黒い宝石なのだ。
「あれは魔法の中に封じてある。俺が取り出さない限り、手に入ることはない」
「この、差別主義者め……。私たちが人に至るのが気に入らないのか……」
「自らを劣等と位置づけ、被害者ぶるのも差別の一種だとは思わないか? 少なくとも俺は自分が優等種だなんて言った覚えは無い」
「弱き者を救うのが力ある者の義務でしょ」
「高貴なる者の義務というのなら、アンタは義務を負う側のはずだ。フォンティーヌ家のお嬢さんなんだろ。施しをしたことは? 教会に寄進はしたか? 貧民街で炊き出しを手伝ったことは?」
「私はフォンティーヌ家の娘よ!」
「話にならない。アンタにアレを渡すことは到底できないな」
そう言うとクララ・フォンティーヌは怒りに身を震わせた。
「お父様に――」
「観測所で起きたことは、外部では一切表に出さない。アンタは同意して契約した。これも観測所で起きていることだ。お父様に伝える手段があるなら是非とも教えてくれ」
とは言ったものの、お父様のほうが来ちゃうと話せるんだよな。もちろん観測所は契約していない者は立ち入り禁止だ。物資を届けにくる商人でさえ敷地には立ち入らせない。
アルデには上空からの侵犯を許したが、あれは魔法使いか黒マントでないと無理な芸当だ。クララ・フォンティーヌがお父様に訴え出ることはできない。
「にしても、いろいろありすぎた。陛下への説明は必要だなあ」
クララ・フォンティーヌが押し黙ったのをいいことに、俺は一息ついた。
観測所は中央付近の天井を打ち抜かれており、また外壁にも大きな穴が空いている状態だ。ジャン・レノアの部屋はベルナール・ルブランの部屋と繋がってしまったし、修理が必要だから、契約を結ぶことのできる大工を探さなければならない。
そもそもあれだけの衝撃を受けて、建物自体が無事なのか、って思ってしまう。フラウ王国は日本みたいに地震の多い環境では無いから、とりあえず建っていれば平気みたいなところはあるけど。
「ということなんですが、どうしますか? アラールさん。ルブラン先生からの手紙の提出さえしていただければ、これまで通り観測所で働いてもらってもいいんですけど」
「はぁ? なに言ってるのよ、アンリ。こいつは1人殺してるのよ」
「死ぬ気の無い人を殺したり、自殺する勇気は無いさ。そうじゃなかったら、ルブラン先生を犠牲にするはずがないし、咄嗟のことにしても逃げだそうとしたりしない。この人はあくまでルブラン先生の指示に従っただけで、信仰派として強い決意があるわけでもない。だけどルブラン先生亡き今、その研究成果を一番理解しているのは従者である彼だ。だから役に立ってもらう。どうですか? アラールさん。まあ、正直辛いとは思いますよ。状況から貴方のことは多くの人が気付くでしょう。そうなる前に静かに事を終わらせたかったんですが」
大体アルデが悪い。
「こうなった以上、出て行かれるという決断をされても引き留めません。ただし契約の破棄はしませんので、そのつもりで。貴方はルブラン先生が亡くなった後、観測所で役に立つことができずに放逐された。世間はそう見るかも知れませんね」
「脅すのか?」
「提案してるんです。魔法に関する金属書はほぼ翻訳が終わりましたが、金属書自体はまだ山のように残っています。これを翻訳するために人手が必要なんですよ。俺としてはね」
ミシェル・アラールは口を噤み、じっと足下の床を見つめている。
手は強く握りしめられ、彼が葛藤の中にいると分かる。
彼が自身の未来を考えるなら残る一択だ。
だが人間がいつも理性的に判断できるわけではない。
むしろ感情が優先される場合が多いくらいだ。
「これまでに翻訳したものが世に出ることはないんだな?」
「ええ、魔法が使えるようになる手段があれば陛下には伝えるはずでしたが、ありませんでしたからね」
「魔法封じの道具については?」
「個人的に秘匿させてもらいます。どうせ俺しか作れない……、ものなので」
今はちょっとどうか分からない。
黒マントたちも魔導具作成はできるかも知れないし、クララ・フォンティーヌが魔法使いには至っていなくても、魔導具は作れるかも知れない。
「まあ、表紙を見ていった感じ、後は歴史とか技術、科学の本が多いみたいですから、これから先の分は公開することになるかも知れませんね」
正直、中身翻訳してみないとなんとも言えないけどな。
「公開できる翻訳書には、翻訳者たちの名前を入れる予定です。実績になります」
これは契約時にも説明したことだ。金銭だけでなく、名誉も手に入るかもしれないと煽って人を集めたところがある。偉い学者先生は金で動かない人も多かったからな。
「フォンティーヌさん、貴女もです。このまま絶望派として引きこもっていても、観測所が無くなる時まで面倒は見ますけど、なんの実績も残りませんよ。貴女は自分の力で未来を切り開きたいんじゃないんですか? 女性でも業績を残せると証明したいって仰ってましたよね。それはもういいんですか?」
「良くは無いわ。でも……」
クララ・フォンティーヌは手のひらを動かそうと苦心しているようだったが、その成果は現れていなかった。彼女の指や手のひら、つまり手首より先はぴくりとも動かないようだ。負傷ではなく、精神的外傷のせいだろう。そのうちに感覚が戻ってくるはずだ。
「ではこうしましょう。フォンティーヌさん。今後貴女が自分を律することができ、絶望派を立ち直らせ、事業を円滑に進めることができれば、あの宝石をお渡しすると約束します」
「本当に!?」
「陛下がいいと仰ってくだされば、ですが、個人的には契約してもいいですよ。ただしその場合は貴女は俺の監視下に置かれるものだと思ってください。それほどのあの宝石は危険なのです」
「分かった。分かりました。その条件を飲みます」
まあ、渡した後に奪わないとは言ってないけどな。
危なそうなら俺みたいに完全に同化する前に奪わなければならない。
「アラールさん?」
「分かった。文書を渡すし、仕事を続ける。ルブラン先生は自殺だった。外にはそう公表されるってことだよな?」
「それもルブラン先生の遺書の内容を陛下と精査してみないとなんとも言えませんが、その方向性で行きたいとは思っています」
「分かった。自分も条件を飲む。ここで仕事を続けるよ」
「ではそういうことにします。シルヴィ、フォンティーヌさんをしばらく手助けしてあげてほしい。両手と、それ以外にも不都合がでるかもしれない。医者に診せても意味は無いので、経過観察しつつ報告してくれないか?」
「了解よ」
「ネージュは俺と陛下のところに報告に行くのに付き合ってくれ」
「うん」
「ええ? 私も連れて行きなさいよ」
「陛下に、リディアーヌ殿下との間にできる子どもは魔法が使えませんが、自分との子どもは使える可能性がありますって報告する?」
「したくないわ。行ってらっしゃい」
本当は俺も行きたくねぇよ。
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