第4章 種を滅ぼすものたち 19

 アルデと名乗った黒マントの少女によって、胸の中心部に黒い宝石を打ち込まれたクララ・フォンティーヌは意識を失って倒れつつあった。


 駆け寄ったシルヴィによって彼女が床で頭を打つことはなかったが、成人女性であるクララ・フォンティーヌを年齢に対して発育の遅れているシルヴィが受け止める形となったため、クララ・フォンティーヌの体がシルヴィに覆い被さるようになった。


 俺はクララ・フォンティーヌを浮遊魔法で持ち上げ、そっと床に横たえる。

 魔法が効く、ということは、まだ魔法無効化が発動するほど馴染んではいない、あるいは適正が足りなくて魔法無効化が発動していないということになるのだろうか。

 あくまでアルデの言葉ではあるが、一考はしておいたほうがいい。


 ネージュには魔法の効果があったように思う。シルヴィは無効化していた。

 俺は俺に強化魔法をかけられるので、俺も同じように黒い宝石で力を得たのだとすれば、同化が進むと魔法無効化能力が失われるのかもしれない。


 なんにせよ摘出するなら早いほうが良い。

 黒い宝石がクララ・フォンティーヌにどのような影響を与え、どのような力を発現させるかまったく分からないからだ。


 俺は混乱する観測所の従業員や使用人たちに囲まれながら、クララ・フォンティーヌのところで膝を突いた。


「シルヴィ、アラールさんを逃がさないで欲しい。ネージュ、フォンティーヌさんの精神に入るから、護衛をお願い」


 2人が配置についたのを確認して、俺はクララ・フォンティーヌに集中する。手を握り、その精神に入りこむ。


 誰かの精神世界に入るのは久しぶりだったが、絶望し、意識を失っているクララ・フォンティーヌの世界は暗い。

 俺は魔法で灯りを生み出して、周囲を照らした。


 その世界はゾッとするほど狭かった。

 俺の目の前にクララ・フォンティーヌが居る。

 触れられるどころか抱きしめられそうな距離だ。

 そしてそれがこの世界で可能な限り離れている状態なのだ。

 これ以上は1ミリだって外側に動けない。


 クララ・フォンティーヌは行き遅れの貴族子女である。行き遅れとは言っても19歳だったか、20歳だったか。この国の貴族女性としては確かに行き遅れではある。

 フォンティーヌ家は確か伯爵家だったかな。いいところのお嬢さんだが、いかんせん頭が良すぎた。

 この国の貴族では強い女性は好まれない。強さとは腕力だけではなく、知力や、あるいは気の強さというのも含まれる。自分より賢い女性は嫁に欲しくない、というのはいくらなんでも男性が弱気すぎない?って思うけど、男性が支配的な文化なのでしゃーない。

 本人も恋より学問に夢中という感じで婚約者そっちのけで学問にのめり込んだ結果、婚約破棄されたとかなんとか。まあ、伝聞ですけどね。


 目つきが少々険しいが、美しい女性だと思う。根本的にこの世界美男美女しかおらん感じだけど。バルサン伯爵? 太ってるだけで顔は整ってるよ、あの人。


 絶望派のトップだが、心から絶望しているわけではないと思っていた。派閥の長になるということは政治的なことが行えるということだ。だが彼女の精神体の瞳は暗く、何も映していない。この精神世界の有り様が彼女の絶望の深さを感じさせる。

 恐らくは絶望派の中で身分が高く、美しかったので、旗印として祭り上げられただけなのだろう。


 実体の彼女も髪や服は整えられていた。彼女は学者の身分ではないから、4人部屋にいたことになるが、同室の誰かが彼女の侍女のような役割を果たしていたと考えられる。


 精神体の彼女の胸部には黒い宝石が埋め込まれている。リディアーヌ程では無いが、状況も忘れて思わず目が行くくらいには豊満な胸部だ。いや、今はそっちじゃないな。黒い宝石のほうだ。


 力尽くにでも奪い取って収納魔法に収めれば、一旦は解決できるはずだ。


 だが宝石に手を伸ばそうとすると、彼女の手が宝石を守るように邪魔をした。両手で黒い宝石を守るように覆っている。強く、とても強く。精神世界だからそれは物理的な強度ではなく、精神的な強度だ。宝石を失いたくないという意思があまりにも強く、俺の手を近付けることさえできない。


 ネージュも、シルヴィも、助けを求めていた。だから宝石を俺が手に取ることができた。だがクララ・フォンティーヌは強く、果てしなく強く拒絶している。

 何故? それは強制的に与えられた異物のはずだ。


「クララ・フォンティーヌ! それを手放すんだ!」


「いやだっ! 私は人になるんだ!」


 俺の声に反応したかのようにクララ・フォンティーヌは叫ぶ。

 アルデとの会話を聞いていたのか。黒い宝石で魂を補強することで人に至れる、と。それがクララ・フォンティーヌの望みなのか。

 確かに絶望派の絶望とは己が人では、まともな生物ではなかったことに起因する。生殖し増殖する人ならざる人に似たナニカが己自身だったというのは、確かに恐怖だ。

 魔法が使えることで自分の出自はともかく、自分は人だ、と無意識で思っていた俺は、アルデの言葉を「おまえも黒い宝石を与えられただけで魔法生物だ」という意味で受け取って強い恐怖を感じた。

 俺以外の人が感じた恐怖は如何ほどのものだっただろうか。そう考えるとむしろ全然気にしてないネージュ、シルヴィあたりがちょっと変わり者説ある。まあ、アルデの言葉を信じるならこの2人は人に至っているということになるのだけど。


 そもそも人に至るってなんだ?

 アルデは黒い宝石を使って人擬きの弱い魂を補強するのだと言った。しかしネージュやシルヴィからは俺が切除した。それでもなおこの2人が人に成ったというのであれば、黒い宝石は消耗品ではなく、繰り返し使用できる魔導具だということになるだろうか。


 ではなぜネージュとシルヴィの中に残していった?

 再利用できるのであれば持って帰るのが当然なのではないだろうか。


 それでも持って帰られなかった原因として考えられるのは、黒い宝石の力によって魂を補強するのには、相当な時間がかかるということだ。


 ネージュも、シルヴィも、黒い宝石が埋め込まれてから俺が切除するまで結構な時間が経っていた。埋め込まれたタイミングを見ていないから、埋め込まれた後、どれくらいでそれぞれの力を発現させたのかは分からない。

 だが入れてすぐに、というわけではどうもなさそうだ。


 ではクララ・フォンティーヌにはどれほどの時間が残されている?

 彼女が発現する力とは?


「貴女の言う『人』は、この世界ではもう滅んだ種なんだ。成って、その先にあるのは同胞のほとんどいない世界だ」


「イヤだ。私は種を滅ぼした者ではいたくない。そんな責任は負えない」


「貴女のせいじゃない。いまの人たちを作り出した魔法使いたちの自業自得だ。いいか。アルデは、あの黒マントは、あいつらの言う人が復活できたら、今を生きているこの世界の人々を皆殺しにするって言ってるんだぞ。あいつらの誘いに乗ることこそ、種を滅ぼす行為だ!」


「イヤだ。どちらもイヤだ。どうして神様、ああ、違う、私は作られたモノだから神様に祈っても意味がないんだ。だからこんな目に遭うんだ」


 ごう、とクララ・フォンティーヌの力が強まる。俺は世界の外縁に押しつけられ、押しつぶされそうになっている。

 暗く濁っていた瞳に光が宿る。


「私は成る。人にッ! 力を手に入れて自分の道を切り開くんだッ!」


 力強い宣誓。彼女の瞳がようやく俺を見た。俺の存在を認識した。切れ長の鋭い瞳が俺を射貫く。婚約者に対してもこういう感じだったのだろうか。いや、さすがにそんなことはないか。だけど彼女の強さははっきりと分かる。

 自分で道を切り開こうとする女性は、この国では驚くほど少ない。女性は男性の従属物であるという考えが一般的だからだ。


 あるいは彼女の望みを果たさせるべきなのでは?


 そんな考えが頭に浮かぶ。彼女自身は別に直接人を害するつもりはなさそうだ。

 だけどネージュは自らの意思とは別に、魔物を産み出し、引き寄せた。そういうことが発生する可能性はゼロではない。そのときに死ぬのは俺のよく知っている人や、家族かも知れないのだ。


「道を切り開くのに、こんな力は必要ない! 無理矢理にでも!」


 気合いで手を伸ばす。精神世界だから、本当に気合いだ。気持ちがすべての世界だと言っていい。一方でなぜかは分からないが、精神世界では魔法が使える。今も灯りの魔法でこの世界を照らしているし、身体強化を使って手を伸ばしている。


 だがクララ・フォンティーヌの精神体を攻撃することはできない。それはそのまま心の傷となるからだ。回復には長い、とても長い時間が必要となる。こればっかりは回復魔法も使えない。黒い宝石を引き抜くのはもう仕方ないとして、それ以外の傷を付けるのはやりたくない。


 指先がクララ・フォンティーヌに近づけば近づくほど、反発する力は強くなるようだ。強力な磁石の同じ極をくっつけようとしたような、そんな感覚。


 こな、くそっ!


 触れるのも難しく、触れたとしても黒い宝石を掴めるとは思えない。その上、宝石を守る手を引き剥がして、奪わなければならないのだ。


 だが、無理だ、と思った瞬間に、それは不可能だと確定する。精神世界とはそういうものだからだ。逆に自分の力が相手の拒絶より大きいと思い込むことができれば、少なくとも今よりも力が出る。

 つまり根拠無く自分に自信のあるタイプは精神世界ではむちゃくちゃ強い。

 俺みたいに頭が良いわけでもないのに、あれこれ考えるタイプは弱い。


 これは精神的な強度の問題だ。

 上記の2パターンに限らず、強い信念を抱いた者は果てしなく強くなるし、心折れた者の世界は、精神世界そのものが不安定になり危険だったりする。


 そして俺にクララ・フォンティーヌへの個人的な思い入れが無いのが、多分、この精神世界での俺の弱さに直結している。なんとしても助けなければという切迫感が無いというか。彼女が力に目覚めると、直近においてはネージュやシルヴィが危険に陥るとは分かっているのだが……。


 そして今のクララ・フォンティーヌは人に成るという強い欲望に取り憑かれている。それは熱と圧となって彼女の精神体から吹き出し、辺りを焼き尽くすほどだ。俺が焼かれずに済んでいるのは、これが一種の幻覚であると認識しているからだ。

 あれこれ考えて精神世界で弱くなるのは何も自分だけで無い。自分に襲い来る精神世界の脅威も、俺の周りでは強度が下がる。


 とは言え、流石に限界だ。

 俺にとってクララ・フォンティーヌという個人の存在はそれほど優先順位が高くない。このまま暴走して周りに危険を撒き散らかされるよりは!


 迫り来る炎を氷漬けにする。驚くべきことに、炎が燃え盛るその形のまま氷に変わった。これは俺の魔法と言うよりは、クララ・フォンティーヌの持つイメージだ。彼女は魔法をそういうものだと思っているということだ。


 ちょっと期待しすぎじゃないかなあ。


 って思うが、クララ・フォンティーヌは現実世界でもこれができると確信しているのかもしれない。つまり彼女は魔法使いになろうとしているのだ。


 もしそうなるのであれば、金属書ではないところから人を魔法使いにする手段を見つけてしまったことになる。だがこれは公開できない。不確定要素が大きすぎて、あまりにも危険だからだ。一発ミスれば大氾濫の再来である。今この瞬間もそのリスクに晒されているのだ。


 一応、この一件も観測所で起きた事件なので隠蔽ができる。そうするしかない。


「ごめんな」


 俺は魔法使いだが、なんでもできるわけではない。悪人では無いつもりだが、聖人君子ではない。大切な人が傷つくのを恐れる、矮小な子どもなのだ。


 それを言い訳に、俺は風の刃でクララ・フォンティーヌの腕を切り裂いた。

 さっきの氷と同じだ。クララ・フォンティーヌは魔法に期待を抱きすぎているが故に、この精神世界において発現するタイプの魔法は威力が増している。切り傷を与える程度のつもりだった、風の刃はクララ・フォンティーヌの手首を切断した。現実世界に戻っても彼女はしばらくの間、手を使えないかもしれないが、コラテラルダメージだ。


 俺は左手でクララ・フォンティーヌの体を抱き寄せるようにして、右手で黒い宝石を掴みに行った。手首が切断されたことで、守るという概念が薄れ、俺の指先が黒い宝石にかかる。

 掴んで、俺の腕ごと魔法で爆発させる。めちゃくちゃ痛かったが、爆発を受けたクララ・フォンティーヌの胸部から黒い宝石を奪い取ることに成功する。俺は手早くそれを収納した。


 あとはクララ・フォンティーヌが人に成っているかどうか、だけだ。

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