第4章 種を滅ぼすものたち 15

 よく考えて見れば身近な人物が死ぬのは初めてかも知れない。


 大氾濫で多くの人命が失われたことは知っている。だけどアドニス村では犠牲者を出さなかったし、その後のピサンリでの防衛戦でも俺の目の届くところで死んだ者はいない。

 両親は故郷を離れてアドニス村に定住したから、祖父母の死にも触れていない。そもそも生きているかもしれないけど。


 帰らずの迷宮でも目の前で死んだ者はいない。マルーくらいだろうか、危なかったのは。いや、バルサン伯爵も迷宮で会った時は死にかけてたな。だけど死んではいない。


 それに対していま冷たく床に寝かされているのはこの1年ほど、観測所で共に金属書の翻訳作業に取りかかった仲間だ。後に意見が対立はしたが、俺はベルナール・ルブランがどういう人物なのかある程度知っている。


 ベルナール・ルブランは聖光教会の敬虔な信徒で、考古学への傾倒も教会遺物の捜索に絡んでいる。聖光教会の歴史はフラウ王国よりもずっと長いので、各地に残る遺跡や遺構から聖典の記述を裏付ける証拠が見つかったりするんだそうだ。

 強面だが人当たりはいい。しかし頑固者でもあり、自分の意見を中々曲げることはない。だがそれは良い面を取れば、困難なことでも諦めずにやり通すことができるということでもある。

 卵料理が好きで、彼が望んだため夜食のラインナップには常にオムレツがある。ちなみにフラウ王国にはトマトのような作物が伝来していないため、ケチャップはない。彼がオムレツに付けるのはバターと塩だ。

 愛煙家でどこにいるときでもパイプから手を離さない。今も煙草の葉が詰まったパイプが机の上に残っていた。


 好きか嫌いかで言えば、仕事に向ける直向きな姿に好意を抱いていた。頑固すぎるところは嫌いだった。総合すれば僅かに好に寄る。


 にも関わらず、その人の死に衝撃を受けるわけでもなく、動揺もしていない。驚きはあったが、戸惑いが勝った。


 ミシェル・アラールの言うように自殺を考えるような人間とは思えない。では本当に誰かが自殺に見せかけて殺害したのだろうか?


 しかし誰が?

 なんのために?


 動機という意味では意見の対立していた俺や、ジャン・レノアが怪しい。あるいは検証派の他の誰かという可能性もある。


「まずは自殺が可能だったかを検証しましょう」


 検証派のトップらしく、ジャン・レノアが言った。


「自殺が不可能であったのなら他殺ということになりますし」


 俺は気になることがあって、遺体の傍に膝をついた。ベルナール・ルブランの手をとって爪を見る。


「ベルナさん、遺体を綺麗にしていただいた際、遺体の手は洗いましたか?」


「私がやった範囲ではしていないですね。ですが他の使用人が洗ったかも知れません」


「アンリ、何やってるの?」


「殺されたなら抵抗してるはずだろ。爪で相手を引っ掻いていれば、皮膚の欠片くらいが爪の内側に残ることがある。かも知れない」


 前世知識なので正確なことまではわからない。皮膚片と言っても顕微鏡で見なければ分からない程度かも知れない。


「で、どうなの?」


「まあ、あれば殺人だった可能性が上がる、くらいの話だよ。ついでに引っ掻き傷の付いた人がいれば、怪しいって絞り込める。けど、爪の方は判別できないな」


「変わってください」


 ミシェル・アラールがまるで奪い取るように遺体の手を取った。爪に顔を近付けて観察するが、望むような結果は得られなかったようだ。


 一方でジャン・レノアは室内を物色している。紙や、衣類、箱などが散乱しているが、触れることはしない。


「鍵を開けてから床にあるものを動かしたりはしましたか?」


「いくらかは」


 ベルナさんが答える。


「ルブラン先生を下ろすためや、寝かせる場所が必要でしたので」


「つまりルブラン先生の足下にも物があったということですね」


「足場になるほどではなかった」


「首を括る時に足先で蹴飛ばし、散乱させた可能性はありませんか?」


「椅子があるのにわざわざ不安定な足場を使う理由がないだろう」


 なんか俺を除け者にストーリーが進行してる感がある。

 ちょっとは口を挟んでおくか。


「密室だったのは間違いないですか?」


「鍵は掛かっていた」


「鍵を開けたのは私です。間違いなく密室でした」


 ベルナさんの証言は信用に値するが、密室かどうかを決めるのは決して扉の鍵ではない。


「私が言いたい密室とは、誰も出入りができない状態のことです。窓の鍵はどうでしたか?」


 現在は換気のためであろう開け放たれている窓が、扉を開けた時はどうなっていたのか。機密文書を扱う関係上、観測所の窓にはすべて内鍵が取り付けられている。それがひとつ。


「もうひとつ、ルブラン先生が持っていた鍵は室内にありましたか?」


 ベルナール・ルブランを殺害して、外から鍵を掛ける。これができるのであれば密室とは言えない。そういう意味では使用人たちの目さえ掻い潜ればマスターキーを誰でも手に取ることができる観測所の環境は、決して密室があるとは言えないだろう。

 それに加えてベルナール・ルブラン自身が持っていた鍵がどこにあるか、という話だ。


「窓は閉まっており、部屋の鍵は机の上に、マスターキーは絶対とは言えませんが、取った際に違和感などは覚えなかったですね」


 そう違和感だ。違和感がある。何かが胸にチクリと刺さっている。


「つまり部屋は完全な密室だったと」


「そうだ」


 ミシェル・アラールは大仰に頷いた。


 これだ。ミシェル・アラールはベルナール・ルブランの死を、自殺ではなく他殺だと主張しているにもかかわらず、部屋が密室であったことを前向きに認めている。


 密室殺人。

 ミステリではもうトリックが無いと言われるほど使い尽くされたテーマだが、これは犯行が不可能だと思わせるものである。もちろんミステリのテーマになっている以上、なんらかの抜け道はある場合がほとんどだ。


 だけどミシェル・アラールが密室殺人にしたがっている理由はなんだ?


 他殺であると言う彼の主張からすると、わざわざ密室であったと証言するより、密室ではなかったとするほうが都合が良い。

 ミシェル・アラールがバカ正直に答えているだけかも知れないが、彼はそういう性格ではないと俺は知っている。


 つまりミシェル・アラールにとってベルナール・ルブランの死は他殺で、なおかつ密室殺人であるほうが都合が良いということになる。


 ああ、そうか、答えは本人が口にしていた。


 ミシェル・アラールの目的は観測所に官憲を招き入れることだ。そして彼が得られる結果は、金属書の翻訳内容が外部に漏れることである。


 だから彼にとって事件は難解で、解決できないものであるほうが良いのだ。


 ではミシェル・アラールはベルナール・ルブランを殺したのか?


 可能性は低いと思う。官憲を招き入れるための殺人に、ベルナール・ルブランを選ぶ必然性はない。あくまで信仰派による殺人であったという前提においてであるが、どうせ殺すなら対立している検証派か、抵抗されにくいであろう絶望派から犠牲者を選ぶだろう。わざわざ信仰派のトップを殺害する必要は無い。


「ね、アンリじゃないのよね?」


 シルヴィが耳打ちしてくる。

 俺は慌てて首を振った。疑われているのだとすれば心外すぎる。


「アンリなら本当に完璧な密室状態だったとしても、自由に出入りできるでしょ」


 はい。できますね。ただ転移魔法は秘密にしているのでミシェル・アラールの計算のうちには入っていないはずだ。


「魔法でパッと解決できないの?」


 普通の声音に戻ったシルヴィに聞かれる。


「うーん、なにかこういう魔法があればってのはある?」


 俺の思いつく魔法の中ではこの状況を簡単に解決できるものはないが、それは俺の思い込みかも知れない。他人から提案を受けて初めてそういう魔法が使えるという確信を持つということもあるのだ。


「物品が喋って証言してくれるとか」


「面白い考えだけど、ちょっと無理だな。それっぽく演出はできるけど、あくまで俺が喋らせる形になってしまう」


「光ので、ここで何があったか映し出すとかは?」


 ネージュもアイデアを出してくれる。


「自分の見ていない過去の投影は無理だね」


 とは言ったが、実際には少しであれば可能だろう。ただ必要となる魔力が膨大で、時間が過ぎていればいるほど必要魔力は膨れ上がる。この辺りの魔力を全て使い尽くしても1時間戻せるかどうかというところだ。


 あれ、これ逆転させれば未来予知ができね?

 魔力の消費量に見合っているかと言えば、見合っていないが、不可能ではない。

 わざわざ光魔法で投影する必要は無い。ただ自分が見るだけなら。という条件付きではあるが。


「可能かどうかは別として、確かに自殺である可能性は低いように思います」


 部屋の検分をしていたジャン・レノアがそう言う。


「それじゃ、皆の話を聞きに行こうか」


 自殺として処理するのは難しくなったが、犯人を捕まえてしまえば官憲の介入は避けられるかも知れない。ベルナール・ルブランには悪いが、これはもう真実を明らかにするための調査ではなく、ただただ観測所の秘密を守るための戦いだ。

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