第4章 種を滅ぼすものたち 14

「場所は!?」


「ルブラン先生の自室です」


 俺たちは使用人をその場において走り出す。

 観測所2階のベルナール・ルブランの自室前には多くの人が集まっていた。それを力尽くで掻き分けて、部屋の中に押し入る。

 部屋の中にも多くの人がいたが、ひとまずは床に寝かされたベルナール・ルブランに意識を集中。見て分かる外傷は無いが、顔から血の気が完全に引いており、青白く変色している。首の周りは痛々しい縄の跡が残っている。

 魔力を回復魔法に変換して横たわったベルナール・ルブランに流し込むが、手応えはない。まるで石に回復魔法をかけているみたいだった。


「死後、いいえ、発見からどれくらいですか?」


「いち、いや、二時間くらい」


「なんでもっと早く!」


「その、遺体が汚れていて、そのままにしておくのは忍びなく」


 俺はようやく遺体から顔を上げて周囲を見回した。

 天井から吊り下がった、先の輪っかになった縄。そこでベルナール・ルブランは首を吊ったということか。


「汚れていて、とは」


「それは、排泄物などが……」


 死ぬと全身の筋肉が緩み、排泄物が出てくると聞いたことがある。ということは、今の遺体の状況はすでに整えられた後だ、ということになる。身内にしてみれば耐えがたい状況だっただろうから、理解はできるが。


「遺書は? なんて書いてありました?」


「それが、その、遺書は見当たらず」


「遺書が、ない?」


 そんなことがありえるだろうか? 俺は自殺の専門家というわけではないが、自殺するなら余程衝動的にやらない限り遺書はある気がする。


「発見時の状況は? 最初に見つけたのは誰なんですか?」


 前に出てきたのはベルナール・ルブランの従者としてこの観測所にやってきたミシェル・アラール、それとベルナさんだった。


「先生がお昼になっても起きてこなかったので、部屋に来ましたが、扉には鍵がかかっていました。それだけなら考え事でもされているのかと放っておくのですが、その、異臭がしたもので、メイド長にお願いして鍵を開けてもらったんです。そうしたら先生が、先生が……」


 観測所にはマスターキーがある。一応管理はベルナさんがしているということになっているが、使用人のエリアにあるキーボックスに入っているだけだ。


「扉を開けるとルブラン先生はその縄で首を吊っていらっしゃいました。それで私たちはお体を下ろして、身だしなみを整えさせていただきました」


 ベルナール・ルブランは家名を名乗っていることからも分かる通り、貴族だ。次男で自由に考古学の研究をしていたが、当主である父親が存命のため、まだ家に籍が残っている。

 ベルナさんたちの対応は貴族の死者への対応としては間違ってはいない。そもそも現場保存なんて考えはこの世界にはまだ無い。


 密室、首吊り、遺書が無いことを差っ引いても、まあ自殺で間違いは無いだろう。


「先触れを送って、遺体をルブラン家に届けよう。確か宮廷貴族だったよな?」


 一応防腐の魔法は掛けておいた方がいいだろうか?

 俺はそんな風に考えていたが。


「いえ、官憲に申し出て調べるべきです。ルブラン先生が自殺するはずがありません」


 ミシェル・アラールがそんなことを言い出した。


「自殺ではない、つまり殺人だと? 密室で、首を吊っていたんだろう?」


「部屋は見ての通り荒れています。それに私たちが先生を下ろすために使った椅子は、机のところにあったのです。ルブラン先生が自力で縄に首を掛けることは不可能です」


「ベルナさん?」


「アラールさんの言う通りです。私が部屋に入ったときには、部屋の中は荒れており、その割には椅子はちゃんと机のところにありました」


「ジャン・レノアの一派がやったに違いありません」


「なんだって! 言いがかりだ!」


 ジャン・レノアの派閥の人間から野次が飛んだ。

 よく見てみると、部屋の中にいるのは信仰派だけだ。検証派は部屋の外にいる。おそらく信仰派が入らせなかったのだろう。


「ひとまず皆さん、自室に戻って待機を。点呼を取ります。誰かいなくなっていたら、その人が怪しいでしょうし、そうでなくとも話を聞いて回りたいと思います」


「待ってください。アンリさん。貴方も容疑者です」


「俺が?」


「ルブラン先生は金属書の内容を教会に報告するべきだと主張し、あなた方は対立していた。動機はあります」


「俺が犯人なら跡形も残さず消し去りますよ。わざわざ縄に首を吊らせたりしない」


「ですが何か理由があったのかもしれない。人が死んでいるというのに官憲をすぐに呼ばない理由はなんですか?」


「自殺なら事を穏便に済ませたいからですよ。死者にとっても家族にとってもその方が良いでしょう」


 とは言ったものの、官憲が観測所に入ってくるのは困る。彼らは秘密保持の契約に同意しないだろうし、入ってこられた時点で官憲は金属書の内容を知ることができる。契約で縛っているのはあくまで観測所の外でのことだからだ。

 こんなことが起こる可能性はミュゲ子爵も想定していなかった。


「観測所の中に犯人がいるんですよ!」


「だから一旦、皆さんに部屋に帰っていただいて、平静になっていただいて、点呼とお話を聞きたいわけです」


「だからそれをなぜ貴方が仕切るんですか! 官憲にやってもらうべきでしょう!」


「騒ぎにして自殺だったら恥をかくのは貴方とルブラン家ということになりますよ。アラールさん、貴方も同行して構いません。それからレノア先生も。あとはベルナさんには残ってもらって、他の人たちは自室にお帰り下さい」


 絶望派の面々は何人かいるが、肝心のクララ・フォンティーヌはいない。まあ絶望派は自身こそ自殺するかも知れないが、人を殺すようなことはしないだろう。

 しないよな?

 いや、分からんな。

 絶望派は人が魔法生物であり、それによって神の子ではなかった自分たちの価値が下がった、あるいは無価値であるとすら思っている節がある。それが他人に適用されれば、他人の命にも価値が無いはずだ。


 その後、なんとか人々を解散させ、部屋には俺とシルヴィ、ネージュ、ミシェル・アラール、ジャン・レノア、ベルナさんが残った。


 前世でミステリを好んで読んだわけではない俺だが、それでもそれに準えると、ちょっと歪な状況だと言える。まあ、あくまで俺が語り手だとすれば密室を開ける段階で同席していないのがマズい。また俺はどちらかと言えば事態の解決を望んではいない。自殺で済むのが一番だからだ。だからどちらかと言えば犯人側の動きをすることになるだろう。

 人狼ゲームで言うならば、狼ではないが、狼を勝たせる役割。狂人だっけ? そんな感じ。

 まあ、それもあくまで狼、つまり殺人犯がこの中にいるとしての話ではあるけれど。


 本当に自殺不可の状態だったのかこの目で見ていないのは大きい。ミシェル・アラールとベルナさんは椅子が机のところにあった、つまり足場がないと証言しているが、部屋の荒れ具合からして、他の物を足場にした可能性もありそうだ。


「ルブラン先生を最後に見たのは何時で誰になりますかね?」


「私のはずです。暗くなるまで部屋でお手伝いをして、その後退出しましたから」


「その時の先生の様子は?」


「いつもとお変わりなかったように思います。少なくとも思い詰めたりしているようには見えませんでした」


「ルブラン先生は寝るときはいつも鍵を?」


「さあ、それは、分かりません」


「開いていた可能性も、閉まっていた可能性もあると」


「そうですね」


「それよりも自殺が本当に不可能だったかをまず確認しませんか?」


 ジャン・レノアが言う。


「ルブラン先生はこの縄で首を吊っていたんですよね?」


 そう言って未だに天井からぶら下がる縄を指差す。


「ええ」


「確かになんらかの足場がなければ届きそうにないですね。とは言え足場が椅子でなければならない理由もないでしょう」


「お前は犯人側だからそんなことを言うんだろう!」


「私たちがルブラン先生を殺してなにか良いことでもありますか?」


「ある。ルブラン先生は最終的には金属書が破棄されるべきだと考えていた。お前たちのように金属書の内容を全て試してみたい奴らにとってルブラン先生は邪魔だったはずだ。だから」


「だからと言って殺したりするはずがないじゃないですか。そんなことをすれば大事になる。金属書の内容が国王陛下や教会に公になって、禁書扱いされるのは間違いないですから」


「それだ。ルブラン先生は教会へ報告する手段は無いか悩まれていた。そこがお前たちと意見の異なるところだ。そこで争いがあったんじゃないのか? それがこの部屋の状態だ。お前の部屋は隣だろう? 私が退出した後にこの部屋を訪ねるのは簡単なはずだ」


「衝動的に殺して、自殺のように見せかけた、と? それこそ無いですよ。それなら足下に椅子を転がしておきます」


 うーん、自殺で済ませられるように会話を誘導したいけど、俺そんな頭良くないから、何言えばいいのか分からん。そもそもそれをしたら殺人犯が観測所に残ってる可能性もあるわけで、それも怖いっちゃ怖い。真相を知った上で、自殺扱いにしたいんだけどなあ。


 床に横たわったベルナール・ルブランの遺体は何も言わない。


 死霊術? 記憶無いから意味ないよ。

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