第4章 種を滅ぼすものたち 6

 ミュゲ子爵にアポを取ったところ彼の邸宅で話をすることになった。王宮内ではガルデニアに聞いてくださいと言っているようなものだし、ありがたい。


 貴族街の端のほう、下級貴族の邸宅が集まった周辺にミュゲ子爵の邸宅はあった。


 貴族の邸宅とは思えないような質素な外観で、出迎えに出てきた使用人から案内されて中に入ってみても印象は変わらない。使用人の数も少ないようだ。


 事前に調べていたことを思い出す。


 ミュゲ子爵の両親はすでに亡くなっていて、本人に婚姻歴は無い。

 落し胤がいるわけでもないようだ。

 女性に興味が無いわけではないようだが、法の遵守を訴え続けた結果、どの貴族からも距離を置かれてしまい、婚姻が難しくなった。

 そして遵法精神からも分かるその精神性から、婚姻もしていない女性と関係を持つことができなかったのだろう。


 リディアーヌから貴族の務めは血を残すことだと聞いたばかりだが、ミュゲ子爵家は断絶しかかっていると言っていい。


 使用人に案内された一室でミュゲ子爵は待っていた。

 40代のはずだが、もう少し若く見えるのは独身貴族を謳歌しているからなのか。彼は椅子に座ったまま、手にしていた本を閉じてテーブルに置き、こちらを一瞥する。


「本日はお時間をいただきありがとうございます。アンリ・ストラーニです」


「クロード・ミュゲだ。噂の魔法使い殿から頼られれば応えないわけにもいくまい。まずはかけたまえ」


 革張りのソファではあるが、上等なものではない。ミュゲ子爵家の経済状況はあまり良いとは言えなさそうだ。まあ、方々で敵を作りまくってるから仕方がないかもしれない。


「お茶を用意してくれ」


 ミュゲ子爵が使用人にそう命じる。

 使用人が頭を下げて退出すると、ミュゲ子爵は早速本題に入った。


「なにやら契約書を作るに当たって協力が欲しいと聞いているが」


「ええ、はい、そうです。人を雇う際に秘密保持契約を結びたいのですが、その詳細を決めるのにお力を借りたいと思っています」


 そう俺が言うとミュゲ子爵は露骨に肩を落とした。

 視線がテーブルに置いた本に向いている。俺との話よりも、本の続きが気になるらしい。


「私の協力が必要なほどの案件とも思えないが?」


「私自身に契約に関する知識が無いことと、魔法による契約を行うため専門家の知見が必要なのです」


「ほう、しかし私は魔法については何も知らないが」


「強制力のある契約になる、とお考えください。些細な認識の違いが、契約相手の一生を縛ることになりかねません。改正できない約束事なのです」


 ミュゲ子爵が俺の方を見る。やっと興味を持ったか。


「ふむ、まるで悪魔との契約のようだな」


「性質としてはそのようなものだとお考えいただければ分かりやすいかと」


「つまり文言に見逃しは許されないということか」


「そうです。例えばですが、今日のこの会合を秘密にするため、『ここで話した内容は一切外部で語ることができない』という契約をした場合――」


「私たちは今後屋敷で話をしたこと一切を外で話せなくなる恐れがある、一方で屋敷の中であれば誰を呼んで、どんな内容も話すことができる上に、外でも文字にして伝えるのは問題ない。ということになりかねない。で、合っているかね?」


「まさしく」


 ここに来る前に考えてきた問答だが、ミュゲ子爵は一瞬で答えに辿り着いた。


「両者の認識の違いによって契約の履行のされ方が変わるというのでは信頼性が薄いのではないかね?」


「いいえ、契約の文言は人間の認識には左右されません。何故ならこの契約は両者の間に交わされるものではなく、世界に対して宣誓される類いのものであるからです」


「世界に対して? よく分からない例えだな」


「魔法使いではない閣下に説明するのが非常に難しくはあるのですが……。いえ、こう言えば分かりやすくなるかもしれません。魔法による契約とは神への宣誓です。その文言をどう解釈するかは、当事者ではなく、神が行うことなのです」


「神が存在する、と?」


「たとえ話です。とは言え、私は神の実在を信じているので、例えとしては不適切でした。魔法の作用ひとつひとつに神が手間をかけるはずもないので、神の存在と、魔法契約の例えは切り離して考えていただければ幸いです」


 あるいは神は仕組みのようにすべての事柄に関わっている可能性もある。

 なにせ直接見ていないので、神という存在がどのような形で、どのように世界に関わっているかは知らないのだ。


「つまり契約の内容を解釈する第三者がいて、それが解釈したとおりに契約の履行を強制する、ということか。まさしく悪魔の契約なのでは?」


「神の御業か、悪魔の仕業かは問題ではありません。私にはそれを行う能力があり、それを利用する意思があるということです。しかしながら第三者に解釈の余地を残したくもありません」


「解釈の余地が存在しない文言で契約書を作りたい、ということだな。なるほど、面白い」


 部屋の扉が叩かれ、使用人がティーセットを載せたワゴンを運んでくる。

 使用人が慣れた手つきでワゴンからお茶を用意している間もミュゲ子爵は言葉を止めない。


「それで、具体的にはどのような内容なのかね?」


「非常に繊細な案件です。人払いを、また他言無用でお願いしてもよろしいですか?」


「ではこれを試金石にしよう。アンリ・ストラーニとクロード・ミュゲは王国歴304年タダレスク8日フラウ王国王都クロード・ミュゲ子爵家邸宅において行われた会話に関する一切を当事者以外に伝えることを禁じる、という文言が叩き台だ」


「当事者の解釈に余地がありませんか?」


「会話、というのも曖昧だな」


 ミュゲ子爵がお茶を口に含む。それを見てから俺もティーカップを手にした。


「下がってよい」


「はい」


 使用人が部屋を退出する。念のため俺は防音魔法を展開した。


「会話ではなく、ここで知ったことをアンリ・ストラーニとクロード・ミュゲ以外に伝えることを禁じるというのでは?」


「それでは事前に内容を知っていた場合に効力が無いと解釈できる。ここで見聞きし、また伝えた事柄を、とするべきだな」


「ではアンリ・ストラーニとクロード・ミュゲは王国歴304年タダレスク8日フラウ王国王都クロード・ミュゲ子爵家邸宅において見聞きし、伝えた事柄を、アンリ・ストラーニとクロード・ミュゲ以外に伝えることを禁じる、ですかね」


「まだ抜け道があるな。我々の会話内容でなければ伝えられる。君が封じたいのは我々の会話内容ではなく、その情報だろう? 会話内容に触れずに要素だけを伝えることが可能かもしれない」


「確かにそうです」


「ここで見聞きし、伝えた事柄と、それに類するあらゆる事柄、では範囲が広すぎるか」


「そうですね。閣下についてはそれでも良いかも知れませんが、私が困ります」


 ここでミュゲ子爵から聞いた文言を契約として利用する以上、俺はここで得た情報を外でも使うことになる。


「それについては例外規定を設けようか」


「例外規定ですか?」


「事前に決めた条件が満たされている場合は、その情報を扱うことができるものとするんだ」


「とんでもない大穴が空きましたね」


 それを認めてしまうとなんでもありになってしまう気がする。


「条件を詰めればそうでもない。ああ、あと解除要件だな」


「解除、ですか」


「そうだ。その情報が如何に秘匿されなければならないものだとしても、漏れてしまった後に我々が契約に縛られ続けるのは意味がないだろうし、永遠に契約に縛られ続けるというのも辛い。なんらかの契約の解除条件は組み込んでおくべきだ」


「なるほど」


「以上を踏まえた上で聞きたいのだが、契約というからには魔法で行われるそれにも同意が必要なのだろうか? 書類に署名を行うわけでもあるまい」


「一方的に対等でない契約を押しつけられるかどうか、ということですか?」


「そうだ」


「言葉による同意は不要ですが、精神的な同意は必要です。そうでなければ契約魔法自体が発動しません」


 やったことはないが、そうなると分かる。


「契約を拒否したい相手に不当な契約を押しつけることはできないということか」


 ミュゲ子爵の緊張が僅かに和らいだ。

 申し訳ないが、そういうわけでもないんだ。


「そうとも限りません。例えば武力で相手を制圧し、命を助ける代わりに契約を結べ、というようなことは可能でしょう。もちろん相手がその条件に心から同意する必要はありますが」


「天秤の傾きは関係ないのだな」


「実際のところ、ここで話し合う内容を外部に漏らさないという契約を本当に結ぶのであれば、ミュゲ閣下だけが対象になる文言にするつもりです」


「私からの同意はどう取る?」


「ご納得いただけるだけの金銭で」


「なるほど。そういうやり方もありなのか」


「必要なのは両者の同意だけですから、どんなに不平等でも同意さえ取れれば契約は成立しますね」


「では契約内容が不可能な場合はどうなる? 例えば金貸しの契約を結んだとして、返済期限を決めたとする。しかし返済日に債務者の手元に必要な金銭が集まらなかった場合などだ」


「契約の履行が物理的に不可能な場合ですね。契約の内容に返済できなかった場合の罰則を設けない場合、債務者は強迫観念に囚われ続けることになります」


「なんらかの強制力が働くわけではない?」


「精神的なものを超えることはないでしょう。契約違反は命を持って贖うとした場合でも、本人が自死できないよう拘束されている場合などに、他者がその命を奪いにくるような強制力は働きません。ちなみにその精神的な強制力は、まあ私が術者の場合はまず抗うことはできませんね」


「君自身も?」


「正直に申し上げると、多少の抵抗はできるかと思います」


 俺だけじゃなくて、ネージュやシルヴィ、バルサン伯爵なんかもある程度の抵抗はできると思う。レオン王子はどうかな。魔力への親和だけでなく、その人の精神性にも影響を受けそうだから、我の強くない人には強制力がより強く働くはずだ。


「話を戻すが、その精神的な強制力によって必要な金銭を得るため盗みや強盗を働く可能性は?」


「契約で縛っていなければそういう手段に走ることも考えられます」


「契約の文言に法に従う限りと加えるべきだな」


 問題はそこではない気もするが、本物の遵法マニアだな。この人。

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