第4章 種を滅ぼすものたち 4

 王都に帰還した俺は、早速金属書を翻訳するためハコの確保に動き出した。


 事が事なので、事情を知る人は少ない方がいい。

 なので今回も国王案件だ。


「例の書を解読するための拠点か」


「はい。都合の良い屋敷などがあればと思います」


 たぶん国王も忙しいだろうに、わざわざ時間を作ってもらってありがたい。他の待ってる人すっ飛ばして俺の順番が来るのは、なんか申し訳なくなるけど。


「実際的にどれくらいの広さが必要だ?」


「そうですね。古代語の研究者を可能な限り囲い込むとして、その身の回りを世話する者。屋敷を警備する者など、可能な限り人の出入りをせずに済むように、全員が住めるような屋敷を考えています。あ、それと庭があると助かりますね。私の出入りで」


「全員は持って行ってくれるなよ。お前の契約魔法で今後古代文明の研究ができなくなる恐れもあるのだ」


 そう言われて見れば確かにそうだ。

 そのことは考えていなかったので、とりあえず言葉を濁す。


「あー、いずれその辺の文章化、専門にしてる方をお借りしたいですね。実際のところ、古代語の翻訳ができる研究者ってどれくらいいるんですかね?」


「古代語と言っても種類はあまりにも多い。この国で一般的に伝わっている古代語であれば研究者でなくとも翻訳ができる者はいるだろうが……」


「そういえばシルヴィがちょっと読めてましたね。ということは学園で教えている古代語に近いのだとは思います」


「ならば研究者に限る必要はあるまい」


「そうですね。そうなると研究者数名に翻訳ができる者を10名から20名ほど、屋敷の管理に使用人たち、それから警備の人員ってところですか。あとそれから人員の精査をするために、なんといいますか、そういう仕事をしている部署に繋いでもらえたら助かります」


「どれだ?」


「どれ、とは?」


 国王の言葉の意味が分からずに聞き返すと、彼は心底嬉しそうに笑みを浮かべた。


「お前に隠していても仕方がないから話しておくが、王宮内でそういう仕事をしている組織はみっつある。公に人員の精査を行う人事院、それから軍務大臣の率いる諜報機関。諜報機関の方は存在していないことになっているので具体的な組織名などはないが、半ば公然と夜烏と呼ばれている。そしてもうひとつは王族に直接仕える組織で、ガルデニアと言えば、その組織を意味する」


「ガルデニアは領地の名前でありませんでしたか? ガルデニア卿に会ったことは無いですが、噂は聞いたことが」


「どんな噂があった?」


「いえ、本当に些細な、ガルデニア領は不作だったとか、ガルデニア卿は病弱であまり領地から出てこないというような。そう言えばあまり良い印象の噂は聞いたことがないかもしれませんね」


「ガルデニア卿が何歳で、跡継ぎがいるのかどうかや、実際の領地の位置などは?」


「いえ、その辺は全く……。実在しないということですか?」


「かつてはあった。今はもう無い。さて、お前の耳に届いたガルデニアの噂は、人の耳と口を挟んだものであったか、あるいはガルデニアの手の者が直接吹き込んだか、どちらであろうな」


「なるほど」


 ガルデニアは相当に手が広いようだ。


「人事院で調べられるのは、表向きの範囲ですよね。でしたらガルデニアの力を貸りたいところです。軍務大臣にはあまり知られたくないもので」


 金属書の中身は魔法の使用方法に関する技術が含まれている可能性がある。

 軍の関係者にそういうものが存在するかも知れないと言う可能性すら見せたくはない。

 俺が国王に伝えたとして、それを国王がどう扱うかは別だけど。


「ということだ。任せてよいか?」


 国王がそう言った瞬間、ネージュが謁見の場であるにも関わらず声を張り上げた。


「後ろ! 至近! 1!」


 帰らずの迷宮で戦闘に最適化された思考は完全にネージュの声に対応した。

 振り返りもせずに俺とネージュを守るように魔法障壁を展開。

 そこからの多重障壁。

 強い、抵抗。だが押し切れる。力尽くで多重障壁を織り上げていく。


 振り返る。

 そこに居たのは無数の障壁で縫い止められ、膝を突いて臣下の礼を取った一人の女性だ。

 だが見た目に惑わされたりはしない。


 気配の無い状態で後ろに立たれたのだ。

 ネージュに鋭い感知能力が無ければ、彼女は俺たちを後ろから葬ることも可能だった。


 とは言えすでに立場は逆転した。

 無数の魔法障壁によって身動きができなくなった彼女であればどうすることだってできる。


「アンリよ。彼女を解放してやってくれ。私の仕掛けた戯れだ」


「陛下……、火遊びにはお気をつけ下さい。ほんの僅かな火が町を覆い尽くすこともあるのです」


 戦闘に傾きすぎた心を落ち着かせながら言った。

 過剰反応だったとは思う。

 だが考えても欲しい。

 俺たちは1年もの間、一瞬たりとも気を抜けない迷宮の中で研ぎ澄まされてきたのだ。その感覚は一朝一夕では抜けない。


「分かった。肝に銘じよう」


 俺はネージュに剣を収めさせると、メイド服に身を包んだ女性を拘束する魔法障壁を解いていく。

 俺もそうだが、ネージュもかなり気が立っているようだ。表情が分かる程度には顔に出ている。


「さて、気配を消していらっしゃったようですが、それはどのような方法ですか?」


 無駄だと思うが一応聞いてみる。

 魔法的な探知に対する対策法があるはずがないから、一般的な意味で気配を消していたのだろう。その結果、俺の受動探知をすり抜けたということになる。

 うーん、能動的に使用した探知魔法もすり抜けられるのか、是非とも知っておきたい。


「申し訳ありません。それは秘密にさせてください」


 鈴の鳴るような声だった。

 恐らく意識的に声音を変えている。


「ではどの程度緩めましたか?」


 接近によってネージュに感知されたという感じではなかった。

 もっと前から彼女はそこに居て、俺たちが気付かなかっただけだ。

 ネージュが気付けたのは彼女が意図的に気配を漏出させたからに違いない。


「優秀な斥候程度には。正直、気付かれるにはもう少し必要かと思っていました」


 帰らずの迷宮ではネージュは主に斥候のような役割を担っていた。

 もう一人の相方のほうが戦闘に特化しすぎていて、そうするほうが効率が良かったからだ。

 もちろん召喚した狼たちによる事前索敵は常にあったが、それをすり抜けてくるような潜伏型の敵の発見はネージュが習得していった。

 しかしそのネージュでもガルデニアが本気を出せば発見できないようだ。


「分かりました。お願いしたいのは身辺調査ですが、問題はありませんか?」


「専門分野と言ってもいいでしょう。お任せ下さい。つきましては1名をその屋敷に常駐させてよろしいですか?」


「屋敷に出入りする人員には契約の魔法に同意してもらいます。それでよければ」


「陛下、常駐員と連絡員、2名がアンリ様の契約によって制限を受けることになります。お許しいただけますでしょうか?」


「構わん。魔法に関する知見が得られる可能性があるならば、防諜に手は抜けないからな。契約の文面についてはミュゲ子爵を紹介する。法の専門家だ」


「ミュゲ子爵なら万が一にも不平等な契約を提案はされないでしょう。非常に厳格な方ですので」


 まあ、王族所属のガルデニアの言葉だ。

 こちらでも精査することにしよう。


「ありがとうございます。そうなると後は屋敷ですね」


「王家の人間が使う別邸に空きがある。現在は最低限の使用人で管理しているだけだが、王家の人間以外が近寄ることもないし、そこが良いだろうな。必要に応じて人を増やせば良い」


「その使用人たちも契約の対象となりますが問題はありませんか?」


「構わない。王家の使用人たちは皆ガルデニアの精査を受けた者たちだ。安心してもらっていい」


「ありがとうございます。対価はどうしましょうか?」


「古文書の解読内容の全てをすぐにとは言わないが、期間を定めていずれ王家には公開するよう契約魔法とやらに追加してもらいたい」


「王家を揺るがすような内容が含まれている可能性もありますが?」


「だから公開対象を王家に限定しているのだ。魔法文明とやらが存在していたとして、その痕跡が今日こんにちに残っていない以上、我々の信じる歴史とは必ず齟齬があるはずだからな」


「期間は、そうですね。ミュゲ子爵閣下と相談の上、ということになりますかね?」


「それが良い。もちろんミュゲ子爵には事前に漏らせない秘密についての話であること。魔法によって他言できなくなることを伝えておこう」


「お心遣いありがとうございます」


「子細は追って誰かを使いに出す。下がって良い」


「そう言えば――」


 ガルデニアの女性の名を聞いていない、と言おうと思って彼女がすでにこの場にいないことにようやく気が付いた。


「どうした?」


 国王は嬉しそうな感情が隠し切れていない。口元が笑っている。

 火遊びはするなっつったのに、まあ、火遊びではないか。


「いえ、なんでもありません。失礼いたします」


 謁見の間を退出してから、ネージュに聞く。


「あの女性ひと、いつの間にいなくなってたか分かった?」


「目を離した一瞬でいなくなってた」


「そうか。気付いた時に探知魔法を打ったんだけど、それらしい反応はなかったんだよな」


「あの人は危険」


「確かに。国王陛下が俺みたいな存在をあまりにも野放しにしていると思ってたけど、そういう保険があったからなんだろうな。やろうと思えばいつだって俺を殺せるってことか」


「もっと強くなる」


「現状でもネージュは規格外だと思うけど、まあ、バルサン伯爵たちみたいな規格外が他にも沢山いるってことだな」


 それは一つ収穫だと言える。

 自分たちだけがこの世界で突出して強いのだと思っていたが、そうとも限らないということだ。


 根本的にこの世界の人間たちは、俺の前世の世界と比べればずっと強いし、その中でも迷宮で鍛えてきた者たちはずば抜けている。

 そして王都周辺に迷宮はないということだったから、それとはまた違う鍛え方が何かあるのかもしれない。


「油断しちゃいけないな」


 どうやら魔境なのは迷宮の中だけではないようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る