第4章 種を滅ぼすものたち 2
王位継承権争いに突っ込んだ片足を引き抜いて、やることはいくつもある。
まずシルヴィは一旦実家に戻ってもらった。
学園がちょうど夏期休暇期間中だったということもあり、家族と一年半の不在を埋めてもらうためだ。
一方で俺はネージュとマルーを連れてストラーニ領へ飛翔魔法で帰郷した。
マルーには教育が必要で、王都では被差別民族である彼女に十分な教育を施すのは難しい。
ストラーニ領でも獣人は珍しいが、辺境地であることもあり、王都に比較すれば程度ではあるが市民に多様性がある。
領主邸の庭にいつものように降り立つと、それに気付いた使用人たちが慌て出す。駆け寄ってくる者、邸宅の中に報せに行く者など、反応は様々だ。
「アンリ様、ご無事でしたか!」
「と……、いや、父上はどちらに?」
本当の家族を優先したいが、他の使用人たちに示しが付かない。
「ご在宅です。どうぞ中へ」
いつもどおりのネージュと、まだ飛翔魔法の余韻で足下の覚束ないマルーを連れて邸宅へ入ると、すぐにジルさんが現れた。
彼は俺の姿を確認すると、すっと頭を下げた。
「お帰りなさいませ。アンリ様。ネージュ様。領主様のところにご案内します」
以前のジルさんとは態度が異なっているような気がした。前回帰郷したときはまだ子ども扱いされていたが、それを感じない。
まあ、成長期の1年半だ。
クローゼットの衣服を買い直す必要があるほどには身長も伸びた。
いや、それだけじゃないな。
ジルさんに感じていた底知れない不気味さが、今はそれほどでもない。
いや、まだ感じるんだけど、多少のことなら対処できるという自信がある。
特に屋内というのがいい。
魔法障壁を固定する足場に事欠かないからだ。
内壁に食い込ませて、60? いや30もあれば十分か。
一瞬で廊下を魔法障壁で埋め尽くせば、ジルさんを身動きできなくすることは容易い。
後は彼が如何に不意打ちできるか。どれほどの速さで暗器を俺の命に届かせられるかの勝負だ。
まあ、実際にそうなるとは思っていないが、勝負にはなるという自分に対する自信が俺の態度に表れて、それを読み取ったジルさんが俺に対する態度を改めたのかもしれない。
もっともそれすらジルさんの手のひらの上、という可能性もあるけれど。
「無事だったか、アンリ、それからネージュ殿も。ということは王都は無事なんだな」
ストラーニ伯爵は以前と変わりなかった。
「陛下に聞きましたよ、父上。買って下さっているようで何よりです」
「あれは多少張ったところがある。心配していた。よく帰ってきた。レオン殿下は救えたのか?」
それから俺と一部ネージュから帰らずの迷宮で起きたことをストラーニ伯爵に説明していった。それから王位継承順位が一旦白紙に戻ったことも。
「なるほど。情勢が複雑だな。帰らずの迷宮が討伐されたのは間違いないのか?」
「ええ、それは保証します」
「となると、何事もなければレオン殿下が継承権1位になるだろう。男子の長子が優先されるのが基本だからな」
「以前のレオン殿下はかなり切羽詰まっていたようですが?」
「第2王子のクリストフ殿下は才気溢れると評判だからな。王国の貴族の二大派閥と言えば? 分かるか、アンリ」
「色んな分け方があるとは思いますが、派閥となると領主貴族と、宮廷貴族ですか?」
「力関係をどう見る?」
「そうですね。簡単に答えられないですが……」
王都にいる限り、宮廷貴族が幅を利かせている。彼らは常に王都にいて、国王との連絡も密にできる。学園の教師陣も宮廷貴族の次男3男ということが多い。王都における影響力は宮廷貴族が圧倒的に高い。
「どちらかというと領地貴族でしょうね」
宮廷貴族が影響力を発揮できるのは王都に限る。
一方で領地貴族たちは、広い土地と民を実質的に支配している。
これはこの世界の情報伝達速度が遅いからだ。
王都から離れた地を治めることはできない。故に領地貴族たちが国王から与えられた裁量権は広い。というか、ほぼ丸投げだ。
国としては適正な税を納め、いざというときに兵を出せるのであれば、なんでもいい。
数年に一度、監察官がやってくるが、ほとんどの場合はちょっと土産を持たせてやれば問題ないと報告してくれるそうだ。
この部分の腐敗によって領地貴族は財を貯め込んでいるし、それがなくとも徴兵できる領民がいるというのが大きい。
王国には常備兵がほとんどいない。
戦時でなければ徴兵も行われないし、戦時でもまずは冒険者ギルドから徴発を行うのが一般的だ。
そして以前近衛兵が言っていたように、王都周辺に迷宮はないし、魔物の脅威もほとんどない。王都にも冒険者ギルドはあるが、依頼も冒険者も少ないらしい。
つまり王都は近衛兵のような一部を除き、民衆から徴兵しなければ臨時の兵員を集められない。
一方、領地貴族は、特に迷宮のあるような領地では、冒険者を大量に徴発できる。戦い慣れた冒険者たちと、初めて武器を握るような徴募兵では、数以上の差が生まれるだろう。
なので実際のところ詳しくはないが、領地貴族のほうが力関係では上なのではないかと思う。
監査官が黄金色のお土産で満足するのも、領地貴族に敵対するのが危険だからという個人、あるいは国の思惑があるのかもしれない。
「というのが私の推測です」
「まあ、そこそこ正しい。今は大きく分けたから、実際に武力を持つのは領地貴族のほうという認識で構わない。その上でレオン殿下やクリストフ殿下がどちらの派閥に属しているか知っているか? お前の場合、リディアーヌ殿下も入れておくか」
「いえ、その、勉強不足でした」
考えてみれば俺は領地貴族であるストラーニ伯爵の養子だから、領地貴族側に属している。レオン王子がどちら側かも知らずに助けに行ったのは間違いだったか。
いや、でもあの状況で行きませんとは言えなかったしなあ。
「レオン殿下はどちらかというと領主貴族派だ。第1王妃が領主貴族の娘だからな。領主貴族の中でも東部のタカ派だ。クリストフ殿下は宮廷貴族派のタカ派。リディアーヌ殿下は宮廷貴族派のハト派だな。あくまで母親がどこに属しているか、という話ではあるが」
「では私とリディアーヌ殿下の縁談は領主貴族にとってはあまり良いものではないのですか?」
「そうとも言い切れない。それぞれの派閥の中にまた派閥があるからな。ストラーニ領主としては帝国と事を構えるのは避けたい。よってアンリがリディアーヌ殿下と結ばれることで、宮廷貴族のハト派と繋がりができるのは悪いことではない」
「そうですね。東部はきな臭いらしいですし、あっちで戦争が起きて兵力を持って行かれた際に帝国が連動して動くと面倒そうです。ですが、王位継承権の筆頭2者がどちらもタカ派なんですね」
「帝国との戦争からそこそこ経つからな。あの戦争で王国の領土は大きく広がった。その旨みだけを思い出すのだろう。この10年ほどでタカ派の勢力がずっと強くなった」
「この国は戦争に向かいますか?」
「すぐにはない。陛下はうまく天秤を釣り合わせようとしているようだし、まだ壮健だ」
「まあ、確かに」
「それにレオン殿下に貸しを作れたのも良かった。タカ派とは言え、今後お前の意見を無碍にもできないだろう」
「となると、レオン殿下が第1位が望ましいと?」
「ストラーニ領主としてはそういうことになる。帰らずの迷宮討伐の功績があれば盤石だろう」
「継承順位は頻繁に見直されるものなのですか?」
「陛下の一存で決められることだから、その時の国王陛下次第だな。とは言え前回と今回は状況も特殊だったし、そんなにあるものではない。何が気になる?」
「クリストフ殿下にとっては一度手に入れた継承権1位が零れ落ちていったわけです。なんとしても1位でありたいと望むでしょう。この半年の間に何か行動を起こすのでは?」
「行動は起こすだろうな。まあ、その辺はアンリにはあまり関係のない話だ。クリストフ殿下から力を貸してくれと言われても、うまく断わってくれ」
「父上の名前をお借りしても?」
「構わない」
それはつまりストラーニ伯爵は明白にレオン王子に付くということだ。もちろん養子である俺にもそれが求められる。
うーん、悪い人では無いんだけどなあ。
「それでそろそろ本題に入ろうか。無事を報告に来ただけではないのだろう?」
「継承順位の話を前菜にしていいような話ではないのですが、このマルーという少女にメイドとしての教育をお願いしたいのです」
俺たちの後ろで緊張して立ち尽くす獣人少女を紹介する。
「彼女は帰らずの迷宮を探索する冒険者の奴隷でしたが、連中が強敵を相手に逃げる際に囮に使われ、死にかけていたところを私が救いました。救った責任を取るべく、いずれ私が雇いたいと考えています。王都でも通用する使用人として育ててはいただけないでしょうか? もちろん教育に必要な対価はお支払いいたします」
「ジル?」
「アンリ様、教育期間はどれほどをお考えですか?」
「可能なら……、あ、いや、卒業するまでかな」
この後、王都に戻り次第、金属板の翻訳作業のために家を買う予定だ。マルーをそこに配置できたらと思ったが、いくらなんでも性急が過ぎる。
彼女にはいずれ住む用の家を買ったら、そこをお願いしよう。
「時間が足りませんな。厳しく指導することにしましょう」
あ、それでも時間が足りないんだ。半年とか言わなくて良かった。
ジルさんがマルーを連れて部屋を出て行く。
マルーは救いを求めるような目線をこちらに向けたが、手を振り、頑張れと心の中でエールを送るに留める。
「さて、彼女の身元についてはどうしたものかな」
「問題になりますか?」
「お前がただの貴族の養子であればどうとでもなる。だがリディアーヌ殿下の婚約者候補から候補が外れるのだろう? 手元に置く人員は徹底的に調べられる。他国の間諜を紛れ込ませるわけにはいかないからだ」
「例えば別邸にいてもらうというのは」
「そんなに甘いものでもない。実際に彼女が他国の間諜という可能性は?」
「仕込みでできることではありませんでしたよ」
「そうかな? お前の魔法の力を確認するために払う代償として、奴隷ひとりの命など安いものだ」
「安い……。そうですね」
奴隷は安い商品ではない。扱いにも法的な制限がある。だが諜報活動という国家間の駆け引きの経費としては、本当に安い買い物だろう。
自分自身を正しく評価するのであれば、俺は戦略兵器に相当する。
その情報を得て、その身内に入りこむのに、奴隷ひとりの命を賭ける。
ありえる、のか?
俺は頭を抱えた。
「嫌な話ですね。分かりました。彼女の身元を検めたいと思います」
疑うのではなく、信じるために調べることも時には必要なのかも知れない。
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