第3章 帰らずの迷宮 18

 さらに翌日、そう言えば集合時間が決まってなかったなと思いながら、宿で朝食を食べた後、迷宮前に向かう。


 マルーはこういう場に連れてきたら目を回しそうなので、シルヴィとネージュに預けてきた。


 現地に到着すると、すでに集まっている兵士は全体の半数くらいだろうか。

 レオン王子とバルサン伯爵の姿は無い。


 まあ、偉い人が先に来てるのも問題があるもんな。


 俺の姿を見つけた兵士たちは背筋を伸ばして二つのグループを作って整列した。


 つまりこういうことだよ。


「あー、楽にして欲しい。俺は伯爵家の養子だけど、平民だ。畏まる必要は無いよ」


 一同は手を後ろに休めの姿勢を取る。


 そういうことじゃないんだよなあ。


「アンリ様には命を救っていただいたご恩があります!」


「君たちがよく訓練されていることは分かった。だけど俺の気が休まらないんだ。それより俺も会話に入れてくれよ。近衛も領兵も一緒になって話をしていたろ。一昨日昨日でそんなに仲良くなったのか?」


 彼らは一年半帰らずの迷宮にいたが、その大半は収納魔法の中で眠っていた。ほとんど初対面のようなもののはずだ。


「バルサン領兵は精強で知られますから、訓練方法など情報交換を行っていました」


「へえ、バルサン領兵はどんな訓練をするんだ?」


「迷宮で訓練を行います。魔物を倒すだけではなく、兵士同士の対人戦から、単なる走り込みのような通常の訓練も可能であれば迷宮内で行うようにしていました」


「へぇ、興味深いな。実際の効果の検証などは? つまり迷宮内で訓練を受ける者と、そうでない者に分けて、その成長の違いを調べたりとか」


「そういうことはしていませんが、バルサン領兵はどこの兵士よりも強いです!」


「実際に手合わせもしてみましたが、バルサン領兵は見た目以上に強いですね」


 わりと脳筋なバルサン領の兵士を近衛兵が補足してくれる。


 ふむ。魔法的な残滓は感じないが、確かにバルサン領兵は肉体に含まれる魔力量が近衛兵と比べてかなり多いようだ。

 魔力の定着によって擬似的に身体強化魔法のような効果が出ている可能性がある。


 実際、収納魔法に入らずに戦い続けたメンバーは物理的に人間の範疇を超えている。


 あ、俺? 俺は魔法で使っちゃうから魔力が肉体に定着しないんだよ。たぶん。


「なら、悪いことしちゃったかもな。帰らずの迷宮は死んだ。今後はそういう効果は得られないと思う」


「それなら問題ありません。バルサン領には資源迷宮もありますから」


「資源迷宮? 聞いたこと無いな。どんな迷宮なんだい?」


「危険度が低くて、高価な素材が手に入りやすい迷宮を敢えて討伐せずに残しているんです。自然迷宮ですので、討伐して何かが得られるというわけでもないですし」


「自然迷宮? それもまだ習ってないな」


「帰らずの迷宮は人の作った、つまり人造迷宮でした。これはアンリ様もご承知かと思います」


「そうだね」


「一方、何も無かったところが突然迷宮化することがあります。こういうものを自然迷宮と呼んでいます。放置しておくと迷宮が成長して手に負えなくなるので、資源化できない場合は討伐することになります」


「つまり資源を回収している間は迷宮は成長しないってことかな?」


「目に見えるほどの早さで成長することはありません」


 つまり自然迷宮とは一種の魔物なのだろうか?

 魔力が集まっている場所からは魔物が自然発生するわけだし、可能性はある。


「今後は王都の兵なんかも迷宮で訓練することもありうるのかな?」


「それは難しいと思います。王都の周辺には迷宮はありませんから」


「ああ、人が多いからかな」


 人間には微々たるものだが魔力を蓄える性質がある。

 人の多い王都周辺では人間に魔力が吸われて迷宮ができるほどの魔力溜まりができないのかもしれない。


「人が多いと迷宮はできにくいのですか?」


「ああ、ごめん。俺の仮説ではそういうことになるだけだから、確定的ではないよ」


「ですが、確かに町の中や、街道沿いに自然迷宮ができたという話は聞きませんね」


「まあ、それは誰かに調べてもらうか」


 別に迷宮研究者になる予定は無い。

 帰らずの迷宮は面白かったけれど、今は満足を通り越してちょっと胸焼けしてる。


 その後は話題を変え、昨日は何をしていたかなどの当たり障りのない話をしていると、続々と兵士たちが集まってきて、お昼前くらいにようやくレオン王子とバルサン伯爵が現れた。


 遅いことになにか言ってやろうかと思ったが、物資を積んだ馬車を何台も引き連れてこられては文句の言い様がない。

 どうやら俺が冒険者ギルドに預けた資金を使ったのだろう。

 今朝だけでこれだけの馬車は集まらないだろうから、昨日の時点で駆け回っていたに違いない。

 俺だけ働いてるわーとか思ってたけど、全然そんなことなかったわ。


「傾聴!」


 バルサン伯爵が声を上げる頃には兵士たちはすでに整列を済ませていて、その背筋を伸ばす。

 レオン王子が一歩前に出た。


「近衛の諸君、ほとんどの者に実感はまだ無いだろうが、我々が王都を出立して一年半が過ぎている。おそらく我々は死んだと思われているはずだ。だが我々は凱旋する。帰らずの迷宮を討伐したという実績を持ち帰るのだ。さあ、フラウ王国の精鋭として整然と胸を張って帰ろうではないか。アンリくん、先日売りに出した素材は持ち帰った全体のどのくらいだろうか?」


「そうですね。量でしょうか。価値でしょうか?」


「価値は難しいだろう。量でいい」


「まあ、かなりのどんぶり勘定ですが、深層100層のうちのとある1層で倒した魔物の百分の一ってところでしょうから、一万分の一ってことになります」


「私の取り分は一割だったな。……本当に一割ももらっていいのか?」


 いや、そこで心配にならないでくださいよ。


 実際のところ1割となると処分の方法が問題になるだろう。

 需要に対して供給が多すぎるからだ。


「そんなきっちりやってられませんし、殿下に求められたら素材なり、現金なり適時お渡しするつもりです。その方が都合がよろしいですよね? バルサン閣下はどうされますか?」


「ひとまず冒険者ギルドに預けてもらった分で大丈夫だ。残りは貸しにしておいてくれないだろうか」


「それは一割の残りの権利を放棄されるという意味でよろしいですか?」


 ここは明確にしておく必要がある。後からやっぱり、あれをくれ、それをくれ、と言われても困るからな。


「それでいい。値付けは任せる」


「商売上手ですね」


「計算高さも必要なのだ」


 バルサン伯爵が選んだのは、帰らずの迷宮で手に入れた魔物の素材で一割分、俺から助力を引き出せるということだ。


 基本的に大氾濫で大量の魔物の素材をしまい込んでいる俺にしてみれば、素材そのものはそれほど価値がない。部屋を満たす金貨に、バケツ一杯分を足したところで何が変わるというのか。

 金や魔物素材で俺は動かせない。


 だがそれを貸しだと言われるとちょっと話が変わってくる。

 俺には素材一割分をこの場に出して、借りを作ることを拒否することもできるが、それをすればバルサン伯爵との関係性が壊れる。

 今のバルサン伯爵は、すでに伯爵ではないし、なんの実権も持たないが、個人的にはバルサン伯爵との関係を無視できない。


 つまりこの貸しは俺を動かせる。


 俺がバルサン伯爵を評価していなければ成立しない賭けではあるが、事実俺はバルサン伯爵を評価している。


「では借りた証文代わりにこちらをどうぞ」


 俺は収納魔法から羊皮紙を取り出してバルサン伯爵に渡す。

 俺から受け取ったそれを一読する、バルサン伯爵の手が震え出す。


「アンリ、お前は、どうやって、これを」


「飛翔魔法の話はしましたよね。帰らずの迷宮では封じられていましたけど、ここから王都までなら二時間くらいですよ」


「そうか、助かる」


「まあ、困ったことがあったら呼んでください。気が向いたら手伝いますので」


「お前の力を頼らなければならないような事態は起こさないつもりだが、いざという時は頼む」


「ということはアンリくんは昨日王都へ? 父上に会ったのか?」


「ええ、まあ、報告しておかないといけないので」


 やべ、レオン王子には一声掛けておくべきだったかな?


「そうか、早馬を行かせたが、必要は無かったか。父上はなんと?」


「心配されていました。無事を喜ばれていましたよ」


 そう答えるとレオン王子はなんというか複雑な表情になった。

 実際、複雑なのだろう。

 誰かに心配して貰えるというのは嬉しいものだ。だが今回はその原因も自分である。素直に喜べない。


「父上だけではなく、多くの者に迷惑をかけてしまったな。さて話が遠回りしたが、迷惑をかけた筆頭である諸君にはそれなりの金銭的な報酬を約束する。立場についても陛下にお願いしてみるつもりだ」


 ああ、そうか。近衛兵も死んだ扱いになって職を失っている可能性があるわけか。

 レオン王子はこういうところに目端が利くんだよなあ。

 王様より助言する側が向いてると思う。宰相とか。いや、宰相だと心労で潰れそうではある。相談役とか、そんな感じ?


「諸君が未来を憂う必要は無い。今はただ胸を張れ。帰還するぞ。王都へ!」


 近衛兵たちが一斉に敬礼の姿勢になる。


「アンリくん、空の荷馬車を用意してある」


「あの幌のないヤツですね」


「そうだ。見栄えのよい何かをそこに置きたい」


「見栄えですか。うーん。やっぱりドラゴンですかね。深いところで出てきたドラゴンの首……は、載らないか。ほどほどのサイズはどれくらいの層のかな」


 大型の馬車だが、深層奥のドラゴンはマジででかかったからなあ。


「仮63層で出てきたドラゴンはどうだろうか?」


「とりあえず出してみますか」


 魔物の素材は階層毎にフォルダ分けしてあるから、何層か指定してもらえるのはありがたい。

 仮63層のドラゴンで首が無事な死体を出現させてみる。


「うん、いい感じじゃないですか。よく覚えていますね」


「はは、見ているしかできなかったからね。その分、見ていたんだよ」


 だとしても第何層かまで覚えているというのは大した記憶力だ。

 なんか商人とかのほうが成功しない? この人。


「ちゃっちゃと首を落としますね」


「いや、それはフリックにやってもらおうと思う」


「あー」


 近衛兵のほとんどは収納魔法の中で眠っていた。

 彼らは帰らずの迷宮の怖さを表面的にしか分かっていないし、またその間戦い続けた仲間がどうなっているのかを知らない。

 フリックは王子の護衛として眠らなかった近衛兵の一人だ。今の彼であれば仮63層のドラゴンの首を落とすくらいは容易い。

 仲間の一人がどれほど強くなったのかを示すデモンストレーションということだろう。それをする意味はあんまり分からないけれど、王子はそれが必要だと思ったのだ。


「お任せします。できるな?」


「一振りで落として見せましょう」


 まあ死体だからもう落ちてるんだけどね。首は。

 そういう意味じゃ無いよね。分かってるよ。


 フリックさんが剣を抜く。深層の奥の方で魔物の牙から削り出した剣だ。

 ドラゴン特攻ということはないが、仮63層のドラゴンに使うにはもったいないほどの硬さがある。

 そこに魔力の定着で肉体能力の上がった近衛兵が、その鍛え上げられた技量で剣を振うとこうなる。

 ドラゴンの首は落ちるのでは無く、飛んだ。

 勢いよく包丁を振り下ろした時に野菜の破片が飛んでいくかのように。

 小屋くらいの大きさがあるドラゴンの首は馬車の一台に向かって落ちていったので、咄嗟に魔法障壁でガードする。


「アンリ様、ありがとうございます。力加減を間違えました」


「これくらいは大丈夫だよ」


 多分だけど、6割の力で足りるところを8割出しちゃったくらいかな。

 強化魔法無しでこれだと思うと、やべーな。

 こちらは魔法有りでも接近戦で条件によっては遅れを取るかも知れない。


 でもまあ、まだシルヴィのほうがかなり上だと思う。

 彼女なら力加減を間違えたりはしない。切り口があんなに荒くはならない。恐らくは動かしてみなければ切れたことすら分からないような綺麗な断面になるだろう。

 ネージュだと首から先が無くなりそう。

 飛んでいくとかじゃなくて、剣圧とか、そういうので。


 一般の近衛兵たちが苦労しながらドラゴンの首を荷台に載せる。


「バルサン閣下はどうされるので?」


「お前が持ってきてくれた書状があるからな。まずは話し合ってみるさ」


「それがいいと思います」


 今のバルサン伯爵が本気を出したら、籠城とか意味を為さない。城門どころか、城壁だってぶち抜けるだろう。弟さんが理性的に判断できればいいんだけど。


「何を考えているのかは知らぬが、物騒なことにはならん」


「そんなに言い切れるものですか?」


「弟は担ぎ出されただけであろう。あれは芸術の道に進みたがっていた。だから問題は弟を担ぎ上げ、好き勝手やっているものがいるかどうかだ」


「なるほど。事前調査が必要ですね」


「そんなに厳密にやるつもりもない。私がこの書状を持って爵位の委譲を求めたときに反対する者がいるかどうかで判断する。調査はそれからでよい」


「反対せずに証拠隠滅する者が出るのでは?」


「それができるくらい有能なら今後も使っていい」


 おう、豪胆。領主ともなると、叛意を持つ者でも有能なら使うくらいの度量が必要なのかも知れない。


「アンリくん、準備ができた。君が良ければ同行をお願いしたい」


「私は二人と一旦合流します。その後で追いつきますよ」


 マルーをストラーニ領に預けてこないといけないしな。


「そうか。そんなに急がなくとも良いからな。王都に入るときに君の姿があった方がいい」


「そうか、お気遣いありがとうございます」


 俺たちの長期間にわたる不在について、殿下の要請があったから、という言い訳をしやすくしてくれようとしているのだ。


「では今度3人が揃うのは次の新年パーティだな。楽しみにしている」


 半年以内に伯爵位の委譲を終わらせると確信している口ぶりだ。当人たちの話し合いがすぐに終わったとしても国王の許可が必要だろうし、そのために王都に来なければならないだろうに。


「服の仕立て直しはお早めに」


「こいつめ、言ってくれる」


 この一年半でバルサン伯爵は結構痩せたから、リバウンドさえしなければ、服は全部仕立て直しだと思いますよ。


「ではご健勝で。殿下、先に失礼させていただきます。王都までには必ず合流いたしますので」


「ああ、我々も出発するぞ。準備はいいな」


 俺は飛翔魔法でその場から跳び上がる。

 こうして帰らずの迷宮から帰ってきた話は終わりを迎えた。


 気付けば俺は13歳になっていた。

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