第3章 帰らずの迷宮 16
その後、俺たちは素材の換金のために冒険者ギルドを訪れた。
「一年半だった……」
ギルドの職員と話をしている最中に、何やら食い違いのようなものを感じて、詳しく話を聞いてみると、どうやら俺たちが帰らずの迷宮に入ってから一年半が過ぎているらしい。
「そんなもんだと思ってたけど?」
シルヴィは平然としている。
ネージュは言わずもがなですね。
「だって100層まで突破したじゃない。1層ごとに数日から、長くて10日ほど掛かってたでしょ。半年ってことはないわよ」
「言われてみれば、そうか……」
中での体感1日は実際の1日と食い違いもあるだろうけど、100層まで突破したことを考えると一年半は別におかしくはないのか。
俺たちは留年したなあって感じだけど、レオン王子やバルサン伯爵は大変だろう。
ついでにバルサン伯爵領がどうなっているかを聞いてみると、バルサン伯爵の想定通りというか、弟さんが伯爵位を継いでいるそうだ。
だったらバルサン伯爵を、バルサン閣下と呼ぶのはおかしいのかな? 次に会ったらどうすればいいのか。まあ、バルサン閣下って呼んどくか。
俺も慣れたもので、冒険者ギルドがパンクしない程度に素材を出して、売却益は元バルサン伯爵が取りに来ると伝えた。
その後、町で一番の高級宿を借りて、俺たちは泥のように眠った。
もちろん部屋は別ですよ。
ちなみに長いこと迷宮内で気を張りながら寝ていたためか、ちょっとした物音でも目が覚めるので、睡眠魔法を自分に使った。
まあ、実際のところ、睡眠魔法というよりは入眠魔法で、ずっと強制的に眠らせるようなものではない。
俺の運用でそう見えがちなのは、眠らせたら収納魔法に入れて時間を止めちゃうからだな。
そして朝の日差しを受けて目覚めた俺は、獣人奴隷少女のことを思い出した。
あぶねー。忘れてたぜ。
俺はベッドを整えると、その上に眠った状態の獣人少女を収納魔法から取り出した。
すっかり忘れていたが全裸だったので、慌ててシーツを被せる。
全裸にシーツだけかけられた女の子が眠っている横にいる男という、見られるとかなりヤバい絵面だ。
だが収納魔法内で意識を取り戻して排出されるのはかなりのストレスを感じるみたいなので、この方がいい。
すやすやと眠っているので起こすのは忍びないのだが、このままにもできない。
俺は彼女の肩に手を置いてその身を揺らした。
睡眠魔法は入眠魔法なので、その眠りが深いわけではない。
彼女はすぐに目を開き、俺に気付いた。
「おはよう」
「……おはようございます。あの、ここは?」
「ダフネの宿屋だよ。約束通り、地上だ。ただ思っていたより時間がかかっちゃって、あれから一年半が過ぎてる」
「そう、ですか。不思議な感じですが、分かります。眠る前に見た貴方様の姿より成長されているので……」
そうか。俺にとっては長い時間をかけた変化なので分かりにくいが、彼女にしてみればいきなり俺が1年半分成長しているのか。
彼女が身を起こす。
その裸体を隠していたシーツが滑り落ちるが、彼女は気にも留めない。
まるで溺れているかのように彼女は窓に手を伸ばす。
俺は彼女に手を貸して、その身を窓の近くに連れて行った。
「ああ、ダフネ。私の故郷。戻って来れた。生きて。見られた。ありがとうございます。ありがとうございます」
感謝は嗚咽となってほとんど言葉にはなっていなかったが、俺には伝わった。
彼女はその場に泣き崩れる。
その肩にシーツを掛ける。
彼女はシルヴィよりさらに幼い。
着せられるような服は収納魔法にも無いな。
「もう心残りはありません。この命、どうぞ好きにお使いください」
「そんなことを軽々しく言うもんじゃないよ。かと言って放り出しもしない。それは約束する。その上で聞くんだけど、君の所有権はいまどうなっているんだ?」
「分かりません。あの冒険者たちが私のことを知れば、自分たちのものだと言い出すでしょう」
「棄てて逃げたんだ。その時点で所有権は放棄されていると見なしても良さそうだけど」
「難しいことは分かりませんけれど、首輪の鍵が所有の証です。結局のところ首輪が外れなければ、いずれ私は死ぬでしょう。短い間になりますが、誠心誠意お勤めさせていただきます」
この世界では魔法は一般的ではない。
奴隷と言っても魔法的な契約で縛られているわけではなく、ただ枷があり、その鍵を所有者が持っているということにすぎない。
幼い彼女の場合、成長に伴って首輪が首を絞めるだろう。
このままではいずれ死ぬかもしれない。
「うーん、分かった。じゃあ最初の命令だ。動かないでじっとしていてくれ」
俺は彼女の首輪を検分する。
金属製で、南京錠がかかっている。
幼い子ども用にあつらえられていて、成長に伴い取り替えなくては首が絞まるのは間違いない。
うーん、当然ながら室内でレーザーは使えない。
熱量を与えて金属を溶かし切るにしても、彼女を負傷させずにやるのはちょっと難しいかな。
そう。ちょっと難しい程度だ。
俺は南京錠部分を彼女の背中側に回し、魔法障壁を張る。
魔法障壁とは、その名の通り障壁として作用する。
壁だ。
結界のように内外を隔絶する作用ではない。
そして魔法障壁は途中に物体があっても透過して発生する。
発生した後は、透過していた部分が固着するため、俺は地面に突き刺すように発生させて壁のように使用することも多い。
彼女に接触する部分を、その背中に触れるぎりぎり外側を、撫でるように変形させて魔法障壁を生成させた。
これにより南京錠を含む首輪の一部のみが障壁のこちら側に存在する状態だ。
「たぶん大丈夫だけど、もしも熱くなったらすぐに言って」
魔法障壁によって分断され熱量は伝わらないはずだ。
炎の魔法を鉄が溶ける程度の出力にして、南京錠に横から当てる。
ゆっくりと、だが南京錠が表面から溶け始める。
落ちる鉄の滴は別の魔法障壁で受け止める。
言葉にすると簡単そうだが、事はそう単純ではない。
魔法障壁というものは維持に心を注ぐ必要がある。それを2枚。
プラス適温の炎を維持しなければならない。
あんまり熱量を上げると他への被害が出始めるからね。
時間をかけて南京錠を焼き落としたが、首輪部分が溶接されたようになってしまったので、こちらも溶かしてしまうことにする。
最初からこうすりゃよかったやんけ。
今度は冷却し、常温に戻したところで魔法障壁を解除する。
俺は彼女の首からそっと首輪を取り外す。
「はい、もう動いていいよ」
「え? え? なにを?」
流石に首輪が外れたことは分かるのか、彼女は自分の首を指で確かめる。
「あの、これでは私は奴隷ではなくなってしまいます」
「君はさっきダフネを故郷と言った。家族がいるんじゃないのか?」
「はい。でも冬を越すだけのお金が無くて私は売られました。帰る場所はもうありません」
「そうだな……」
よく考えてみれば戻ったところで彼女の姿は一年半前のままだ。
そんな彼女を家族が果たして受け入れるだろうか?
一緒に行って説明をする?
それで娘を売らなければならなかった家族の境遇に何か変化が起こるのか?
「今のは失言だった。忘れて欲しい。じゃあ俺は君を雇うよ」
「お給金をいただけるということですか?」
「ああ、具体的な話は今後詰めていくとして、最初の仕事は……」
俺はゆっくりと両手を上げた。
「俺の無実を証言して欲しい」
いつの間に扉が開いてたんだろうなあ。
怖くて振り返れないけど、二人分の気配、というか殺気が向けられてるわ、これ。
その後、なんとか2人を説得して俺の命は救われた。
俺に雇われた獣人少女の名はマルー。本当はマとルーの間で一拍挟まないと正しい発音ではないらしいのだが、微妙に発音しにくいのでマルー呼びになった。
シルヴィとネージュに彼女のサイズを測ってもらって、ダフネの古着屋で町人の普通の身なりに合う服をまとめて購入する。
「で、どうするつもり?」
「ストラーニ領でメイドとして学ばせようかなと思ってる。将来的に使用人は必要になってくるだろうし、今のうちから仕込んでおいて、将来はメイド長かな」
「うーん、まあ、ギリギリアウトかしら」
「ダメだった?」
「今のアンリはストラーニ家の養子で貴族階級からしてみれば身分のある平民くらいの扱いなのよ」
「そうだね」
「だから今のアンリが雇うのは問題ないわ。でもアンタは将来的に、その、私と、そうなるでしょ」
「そうなるよう努力するつもりだよ」
「私は侯爵家の娘よ。アンリには上級貴族に叙爵されるくらいになってもらわないと困るの」
「それで?」
「上級貴族は獣人を、それも奴隷を雇ったりしない。ましてやメイド長なんてありえないわ」
「なんで? 貴族って奴隷買ってそうくらいに思ってたけど」
「下級貴族だとそういうこともあるかもね。でもそれでも下働き程度よ。例えば家のメイド長は伯爵家の令嬢だったわ。若い頃から家にメイド見習いとして入って、まあ、色々とあって今はメイド長として他の貴族令嬢たちをビシバシ指導してる。私の言いたいこと分かる?」
「侯爵家ともなると使用人も貴族の子女なのか……。そうなると、まあ獣人で奴隷が長というわけにはいかないか」
この世界、この国家では、悲しいかな、種族による身分差が存在する。
まあ同じ人間の中でも貴族と平民に分かれているのだから、おかしな話ではない。
一般的に立場が下として見られる獣人でしかも元奴隷を長に据えたら、誰がその下で働きたいと思うのか。ってことだ。
「それにアンリが軽んじられる原因にもなりかねない。奴隷を雇わなければ人も集まらないのか、とかね」
「俺自身は好きに言ってもらって構わないんだけど、その時にはシルヴィやネージュの評判も下がっちゃうか。うーん。うーーーん。シルヴィ」
「なに?」
「さしあたってマルーは俺の作る家のメイド長候補だ。彼女がそれに相応しい優秀さを身に着けた時は、悪いんだけど、悪評は飲み込んでくれないか」
これは俺の心が日本人の感性を引き継いでいるからかもしれないが、人種差別はどうにも気に入らない。
種族や血ではなく、能力で篩に掛けられるべきだと思う。
もちろんマルーをメイド長にするというのは、彼女がそれに相応しい能力を身に付けたら、という条件が付くし、その場合でも他の候補と比べることになるだろう。
そして獣人で、元奴隷で、俺自身が命を救ったからというのは加点対象にはならない。もちろん減点もしないが。
彼女は自分の能力を以て自分がメイド長に相応しいと認めさせなくてはならない。
なお彼女にはそうなるように努力をしてもらう。
これは雇い主としての命令だ。
「彼女の存在はアンリの貴族としてのキャリアを揺るがすかも知れないわよ」
「シルヴィとのことが無ければそもそも爵位にも興味ないんだけど」
「まあ、いいんじゃないかしら。別にそれを理由に爵位を剥奪とかはできないでしょうし、別に爵位のあるなしで私からの評価が変わるわけでもないしね。ただ本当に相応しいだけの能力を身に付けたらの話よ」
「もちろん。優遇はしないさ」
「分かった。ただし悪評なんて上書きしてやるわ。そういうつもりでいるからね」
まったく頼もしい限りだよ。
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