第3章 帰らずの迷宮 12

 それからどれくらい時間が過ぎたのか。


 仮17層から進むこと、仮30層を越えた辺りで地図を書くための羊皮紙が無くなり、探索は手探りとなった。

 こんなことなら黒板とチョークを持ち込んでおくんだったな。


 仮16層では15層より強化されたドラゴンしか出てこなかったが、仮17層以降は様相が変わった。

 遺跡系ダンジョンであることに変わりは無いが、仮17層では猪系の魔物が出現し、仮18層では植物系と、各階層ごとに隣の層と捕食被捕食の関係性があるように思える。


 考えてみれば15層でドラゴンの腹を割いたとき、魔物の死体が入っていた。

 リポップすることから、このダンジョンの魔物は魔力の高まりによって生じるようだが、その後は食事を必要とするのだろう。

 そして制作者はそれを考慮した上でこのダンジョンを設計している。


 またそのことから魔物は階層間を移動することもありうる、と推測できる。

 安全地帯を遠く離れた今、比較的安全そうな行き止まりを見つけることも必要になった。


 魔物の強さには階層ごとにばらつきがあるが、比較的弱い魔物は集団でいるというように、難易度は上がっていく設定だ。

 なので俺たちは安全マージンを取りつつ、先に進むことになる。


「こんなことならいっそ16層でアンリくんに天井を撃ち抜いてもらうという手もあったのかもね」


 レオン殿下がため息交じりにそう言った。


「試してみる価値はあったかも知れません。ただ迷宮の崩落がどの程度の規模になるか分かりません。命を賭けて試してみるのは他に手段が無くなってからでいいかと思います」


 そもそも魔法対策が施されている以上、そんなことは迷宮の製作者も想定済みだと思うのだ。

 現在俺たちが居る帰らずの迷宮下層は、上層の真下に建造されてはいないだろう。


「それにしたって15層までと思わせておいて、さらに15層以上進ませるというのは意地が悪い……」


「最初は魔法使い殺しかと思いましたが、こうなると逆の可能性もありますね」


「というと?」


「魔法使い以外は進めないように作られているのではないか、と。魔法使いなら魔法で水は得られますから」


「魔法使い以外は途中で水が尽きてお陀仏というわけか。それでも魔物の血を飲んでなんとかなるかも知れん」


「少しは渇死を引き伸ばせるでしょうね。ですからそれでもなんともならないくらいに進ませるのではないでしょうか」


「しかし魔法使いがいるとは言え50層を超えるとなると精神的に持たんぞ」


「私が制作者なら60層をひとつの目安にします。我々が仮に16層と呼んでいるそこを1層目とする可能性を考えれば、仮の75層までは進むべきではないかと思います。ということを念頭に仮の100層、あるいは仮の115層を意識してください」


「その心は?」


「60は案配のいい数字です。1、2、3、4、5、6、10、12、15、20、30で割り切れるので、階層ごとに法則性などを持たせたい場合に具合が良いのではないかと」


「なるほど。時計をイメージすれば、確かに分かりやすいな」


「そうですね。私たちにとっても馴染みの深い数字です。その上で115層を目指すのは、当然ながら100も私たちにとって馴染みのある数字だからです。制作者がひとつの区切りとして100を考えても不自然ではありません。それと」


「まだあるのか」


「75層に到達点が無かったときに、75層を目指していた場合と、115層を目指していた場合ではどうでしょうか?」


「なるほどな。それは必要な考え方だ。だったら1015ということもありうるのではないか?」


「もちろんです。ですが、実際的ではありません。115を越えたのであれば、別の手段を考えてもいいのではないでしょうか?」


「別の手段、とは?」


「それは、まあ、その時に考えましょう。思いついていたらやっていますよ」


「そうだな。すまない。頼り切りになってはいかんと思っているのだが」


「ということで、どうでしょうか? レオン殿下」


「私に振るのかい……」


 疲れ果てた顔でレオン王子が言う。

 しかしレオン王子が自らの名誉を賭けて迷宮に挑戦し続けるというのなら、決断を下すのはレオン王子でなければならない。

 そうでなければ彼が収納魔法に入らずにここにいる理由が無いのだ。


 正直、自分たちだけならどんどん先に進みますよ。


「……115層を目標にしよう。116層が確認できたら16層まで戻って天井を抜いたり、他の方法を考える。仮に天井が抜けたとして、上に上がる手段はあるのかい? 空を飛ぶ魔法は使えないと聞いたけど」


「幸い土魔法は使えます。足元から土壁をせり上げれば上階に到達することは可能でしょう」


「それが駄目だったら?」


 救いを求めるようにレオン王子が言う。

 だが救いの言葉は無い。


「115層の先に向かうしかないでしょう。道が閉ざされたわけではないのです」


「その時は……、いやその時に言おう。軽々しく口にするべきではないな」


 レオン王子の心は折れかけている。

 だがまだ折れると決まったわけではない。

 彼の精神が絶望に負けることのない鋼の強さを見せるかも知れないし、逆に折れずに曲がってそれでも耐えるかも知れないのだ。


 帰らずの迷宮はレオン王子の心を試していると言っていいだろう。

 バルサン伯爵は意外と元気っすね。


「父上が見ているからな。この迷宮で無様は晒せんよ」


 父親の魂がついていることがバルサン伯爵の心の支えになっているというわけだ。

 俺にネージュとシルヴィがいるようなもんだな。


 ちなみにこの二人、完全な男所帯となった一行にも関わらず風呂を要求してくる鬼畜である。


 ここにいる男たちが禁欲して何日になると思ってんですかね。

 俺という抑止力が無かったら酷いことになってますよ。


 まあ、俺がいなかったらそもそもここにいないんですけどね。


 もちろん男性陣も交代で風呂に入っているので、迷宮に潜って相当な期間が過ぎているとは思えない清潔ぶりである。


 なお洗浄魔法がありますが、衣類に使うのに留めている。

 案外、風呂に入る時間を確保するということが、精神的な疲弊をわずかでも軽減させているのではないかと思うのだ。


 しかし迷宮に入ってどれくらい過ぎたのだろう。

 感覚的には半年くらいは過ぎているような気がするが、時間感覚は完全に失われていて、なんの根拠も無い。

 加えて言えば、俺の収納魔法の性能を考えると、帰らずの迷宮内では時間経過が歪められている可能性すらある。


 外に出たら入ってすぐ出てきたように思われたり、文明が滅ぶほど時間が過ぎているということもありうるということだ。


 でもまあ、特に意味も無さそうなのでそのままというのが一番可能性が高い。


 あー、留年かなあ。

 出席日数とかじゃなくて、勉強に追いつけないもん。


 完全に死んだと思われているだろうし、面倒なことになりそうだなあ。

 まあ、レオン殿下が生きて出てきた場合の面倒さに比べたら、随分とマシだ。

 彼の派閥は完全に崩壊しているだろうし、そこに迷宮の討伐という功績をひっさげて帰還してきた場合、王都の貴族たちの勢力図が滅茶苦茶になりそう。


 そういうことも意識しているのか、この迷宮挑戦が始まってから一番精神的に辛そうなのはレオン王子だ。

 俺が意識して意思決定を強要しているからでもあるだろう。


 いや、考えてみて欲しい。

 その意思決定によって振り回されているのは所詮は10人だ。


 収納魔法に入っている人員を含めても60名程度。

 自分の命もかかっているとは言え、たかだかその程度のことで追い詰められてしまうようでは次期国王として相応しくない。


 例えばこれが戦争ともなれば数万人からが国のために命を賭けることになる。

 国王は彼らの命を預からなければならない。


 レオン王子が王になったとして、その重圧に耐えられるのか?

 戦わずして降伏する道を選んでしまうんじゃないか?


 そう思われてしまうだけで国王としては失格だろう。

 この程度のことなら黙って付いてこいと言えるくらいの豪胆さがあって欲しい。

 おそらくそこがレオン王子が次期国王として支持を集めきれない部分なのだろう。


 そう考えると下手に迷宮討伐の名誉をレオン王子に与えるのは怖いな。

 名実ともに次期国王に確定してしまうかもしれない。

 もちろんレオン王子はそれを望んでいるのだろうけど、それが国にとってより良いとは限らないのだ。


 だが俺の一存でどうにかしていい問題でもない。

 結局は迷宮を討伐できるか。

 そしてその時までレオン王子の精神が耐えられるか。

 というところに行き着く。


 まあ、もちろん最優先は迷宮からの脱出なんですけどね。


 それを考慮するなら俺としては一番気楽なのは迷宮を討伐できずに、脱出できることになる。

 王位継承権の問題は俺の関与するところではなくなるし、国王からの命令も無事遂行できたことになるからだ。


 個人的には迷宮討伐してみたいんですけどね。

 というより、せっかくここまで来たんだから、一番奥まで行ってみたい。

 帰らずの迷宮下層は完全に未踏破領域だ。

 なにが待っているか分からない。

 分からないんだよなあ。


 これだけ大掛かりな迷宮を用意して、その奥に隠したのは財宝か。

 それとも知識か。

 あるいは禁忌か。


 思わず胸が躍る。

 そして今まさにその渦中にいるのだ!

 これでワクワクしなくてなにが男の子かってなもんだ。


「アンリ、楽しそう」


「おっと、まさか」


 慌てて口元を引き締める。

 楽しんでていいような空気じゃないのは分かってる。


「隠そうとしても無駄よ。足取りで分かるもの」


 シルヴィからも突っ込まれる。

 そんなに分かりやすいですかね。


「どうして君はそんなに余裕があるんだい……。君だって自分の身がこの場にいる全員を支えていることは分かっているんだろう?」


「皆様の命を軽んじているわけではないことはどうかお分かりください。全力で皆様を守るつもりでおります。そういう意味では、守りきれているということ自体が、私の余裕なのでしょう。今の手応えであれば115層と言わず、1000層でも踏破して見せます。1000層を超え、皆様を守りきれないというのなら収納魔法に入っていただいて、その上で深淵まで歩き切ってご覧にいれましょう。皆様の恐れが命を失うというものであるのなら、どうか私を信じていただけないでしょうか? 必ず皆様を地上まで連れて帰ります」


 まあ、本当にどこにも脱出手段が無くて詰むという可能性もあるっちゃあるんですが、それでも迷宮の外に向けて掘っていけばそのうち転移魔法の妨害範囲の外に出られるんじゃないかなあって思います。

 最悪、斜め上に掘っていけばいつか地上に出られるでしょ。

 今すぐやれって言われたら迷宮探索が終わっちゃうんで、言いませんけどね。


 などと腹の中で思っているのが、心の余裕の正体である。

 つまり脱出できないなんてことはほとんど思っちゃいないのだ。

 その上で、皆を迷宮探索に付き合わせるためにそのことを隠している。

 本当の悪は俺ですわ。


 だって仕方ないやん。

 この機会を逃したら3年以上待たないと迷宮に挑戦できないのだ。

 降って湧いたこの機会。

 最大限に楽しませていただきますよ。ふへへ。


「どうしてそこまで自分に自信が持てるのだい?」


「私を信じてここまで付いてきてくれる人がいるからでしょう。それも二人も」


「アンリに任せておけばすべてうまく行く」


「私はそこまで思っちゃいないけど、まあ、私の命くらいは賭けてやってもいいわ」


 俺は笑みを隠してはいられない。

 愛する女性二人にここまで想われて、自信を持てない男がどこにいるだろうか。


「これで何故自分を信じられないということがありましょうか。彼女たちが私を信じてくれる限り、私はこの迷宮が地獄に通じていようとも踏破して見せますよ」


 とは言ったけど、ホントに地獄に通じてたら逃げ帰って穴掘りしますわ。

 重要なのは気構えだからね。

 あと外面だと思います。


 というか、レオン王子も天井を抜くと言うアイデアには至ったんだから、地上まで掘り進めるというところに気付いてもいいと思うんだよね。

 俺からは言い出さないんだから、次に気付いた人の功績でいいと思うよ。それは。


「分かった。私も君を信じることにしよう」


「ありがたき幸せ」


 そうして迷宮攻略は進んでいく。




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父の容体は安定したというか、意識不明のままで、このままいつまで続くか分からない感じになってしまいました。

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