第3章 帰らずの迷宮 10
景色が引き伸ばされ、一瞬の後に圧縮される。
次の瞬間に部屋の景色は一変していた。
俺たちの周りには数十人の兵士たち。
バルサン伯爵が連れていた者たちではない。
武器を構えてはいるが、その腕に力はなく、その顔には悲壮感が溢れていた。
「バルサン卿!」
兵士たちを割ってひとりの男性が姿を見せる。
「レオン殿下! ご無事でしたか!」
頬がこけ疲れ果てていたが、それは見間違うはずもなくレオン王子だった。
その顔が歪む。
安堵と不安がないまぜになったような表情だ。
「生きてはいるが無事と言えるかどうか。すでに食料も水も尽きた。もはや決死の覚悟でこの部屋を出ていくしかないと思っていたところだ」
「ここは何処なのですか?」
「卿が知らぬことを私が知るわけもなかろう」
「まあ、とりあえず食事にしませんか? 幸い食料なら大量に持ち込んであります」
「アンリ君、君まで来ていたのか。食料はどこに?」
「魔法で持ち込んでいます」
俺はテーブルを出し、そこに食料を並べていく。
「水は魔法で出せますから、水筒を出してください。大丈夫です。慌てずとも食料は十分にありますから」
レオン王子一行が貪るように食料を口に押し込み、俺が満たした水筒を呷る。
飢餓状態にあった胃にいきなり食料を詰め込んだためか、あちこちで胃痛を訴える者が出たが、回復魔法で癒やしていく。
ううん、食事中に話を聞こうと思ったんだが、そんな雰囲気じゃないな。
そんなことを考えていると部屋の床が発光を始めた。
次々とバルサン伯爵の兵士たちが転送されてくる。
伯爵が部屋の中で消えたのを見て、自分たちも突入してきたのだろう。
なんとも厚い忠義心だ。
バルサン伯爵は兵士たちを整列させ、待機させた。
それが終わる頃にようやくレオン王子一行の食事が一段落つく。
「助かったよ。アンリ君」
「いいえ、私はそのためにここに来たのですから。レオン殿下も帰らずの迷宮のあの部屋からここに飛ばされたんでしょうか?」
「15層の扉の部屋ということならそうだよ。ドラゴンに歯が立たなかった我々はあの部屋に逃げ込んだんだ。それが気がつくとここにいて、行くも戻るもできず立ち往生というわけさ」
「一方通行の転移罠というわけですか……。この部屋の外はどんな様子でした?」
「私たちが見たものより、より大きなドラゴンが群れでいる。とてもではないが出ていけないよ。おそらく過去に同じ罠に掛かった者たちも同じだったんだろうね。その成れの果てがあれさ」
レオン王子が指差した先、部屋の片隅には白骨化した遺体が並べられていた。
そちらに視線をやったバルサン伯爵の目が見開かれ、白骨死体に駆け寄っていく。
「おお、父上、こんなところに……」
どうやら衣服で判別がついたらしい。
バルサン伯爵は涙を零して白骨にすがりつく。
彼はしばらくそうしていたが、やがて涙を拭い顔を上げた。
「アンリよ。すまぬが、父上を連れて帰ってくれないだろうか。墓に埋めてやりたいのだ」
「もちろんです」
俺はそこにあった遺体をすべて収納していく。
「一方通行の転移罠、待ち受けるのはドラゴンの群れ。まさに帰らずの迷宮というわけですね」
「ここからが迷宮の本番というわけか。我々はまだ入り口にすら立っていなかったのだな」
「しかし予想より遥かに大人数になってしまいましたね」
レオン王子の一行が30人前後、バルサン伯爵の一行も同程度で、60人ほどの集団だ。
食料には余裕を持たせてきたつもりだが、ここから出口――があるとしてだが――までどれくらいかかるのか分からない。
食料を無駄にはできない。
「レオン殿下、バルサン閣下、全員をこのまま連れて行くのは難しいです。できればこの場にいる全員を私の収納魔法に収めて、コストの軽減を図りたいのです。さらにそうすれば私の身に何か無い限りは安全でいられます」
「それは、どういう……」
レオン殿下もバルサン伯爵も顔を見合わせている。
意味が分からなかったようだ。
「いまご覧いただいたように私には収納魔法という、ものを、なんといいますか、入れておける魔法があります。そこに入っている間は意識がありませんが、私の身になにかが無い限りは安全を保障できます。もしこの人数が複数のドラゴンに襲われたとき、守り切れる自信がありません。もちろん殿下からすれば得体の知れないものでしょうが……」
「いや、分かったよ。何人か私の護衛に残してくれるなら、その提案に従う」
力無くレオン王子は言う。
飢餓状態は脱したものの精神的に疲弊状態で、あまり物事を考えられないのだろう。
「できれば殿下にも収納魔法に入っていていただきたいのですが」
「そういうわけにはいかないよ。頼む。これ以上私に恥の上塗りをさせないでくれ」
レオン王子は王位継承権の第1位だが、その立場は揺らいでいる。
実績を得るために乗り込んだのがこの帰らずの迷宮だ。
そこで命惜しさに魔法使いの子どもの庇護に入り、守られていたでは面目が立たない、ということだろう。
「危険ですよ」
「分かっているさ。初めから命を掛けるつもりだ」
いや、死なれたら俺が困るんですけどね。
「私もレオン殿下を置いて安全を確保するわけにはいかないな」
「……分かりました。レオン殿下とバルサン伯爵様はそれぞれ護衛を3名選んでください。それ以外の人たちは収納します。ネージュ、シルヴィ、君たちは」
「あんたを守るって言ってるでしょ」
「シルヴィの言うとおり」
まったく頼もしい恋人たちだよ。
護衛の選出には少し時間がかかった。
収納魔法に入るほうが安全だと言うのに、自分こそ護衛として残るという者が多かったためだ。
特にバルサン伯爵の連れてきた手勢はそういう傾向が強い。
ネージュやシルヴィの宣言を聞かれてしまったのが良くなかったのかも知れないね。
彼らの忠義心に火を付けてしまったのかも。
レオン王子の連れてきた兵士たちは疲れ切っていて、楽になれるのなら、という者も少なくなかった。
そしてレオン王子はいかにも強そうな騎士三名を、バルサン伯爵は盾を持った兵士、槍を持った兵士、それから弓持ちを一名。
バルサン伯爵は護衛を選んだというより、自分が戦う支援ができる者を選んだという感じがする。
まあバルサン伯爵自身が残ると言った理由もレオン王子の護衛を自ら果たすためだろう。
あんまり人数多くても守るのが大変なんだけどな。
「では残りの人たちを収納します。そのためにまず睡眠魔法で眠ってもらいますので、横になって気持ちを落ち着けてください。眠気には逆らわないで」
何十名もの兵士たちが装備を身に着けたまま横になる。
彼らは不安そうだったが、俺の睡眠魔法にやがて寝息を立て始めた。
俺はさっさと彼らを収納していく。
終わってみれば残ったのは俺を含め11名。
部屋の中はすっかりがらんとしてしまった。
「そういえばレオン殿下、この部屋に立てこもっていたということは、この部屋は安全なのですね?」
「そうだね。魔物たちはこの部屋には入ってこようとしない。追われていても部屋に逃げ込めば途端に興味を失ってしまうみたいだ」
まあ、確かに転移させられた先に大量の魔物が待ち受けているとか、ただのデストラップでしかない。
その辺は配慮されているということなのだろう。
罠を仕掛けておいて配慮もなにもないとは思うのだが、ダンジョンの作成者の意図を感じる部分ではある。
「結果論になりますが、転移罠によって殿下は助かったと言えるのかも知れませんね」
「それは否定できないな。もっとも助かったのかどうかはまだ分からないよ」
王子の言うことは正しい。
ひとまず合流こそ果たしたが、出口は分からず、自分の転移魔法は使えない。
地図もない未踏破の迷宮を出口を求めてさまよわなければならないのだ。
「ひとまずここを拠点と考えて、敵の強さを計ってみましょう。最悪の場合でも部屋に逃げ込めます。いいですか、皆さんは守りに徹することだけを考えてください。逃げ回ってもいいです。とにかく私の魔法で敵を仕留めるまで耐えてください」
全員が頷いた。
素直でありがたい。
全員がドラゴンとの実戦を経ているから、敵の脅威度はきっちりと把握している。
油断すれば死ぬ。
油断しなくとも死ぬ。
ただの人間にとってドラゴンとはそういう敵だ。
「囮役として狼たちを召喚します。レオン殿下たちは初めて見るでしょうが、驚かないでください。それから実戦中は狼たちを助けようとはしないでください。生きているように見えるでしょうが、彼らはあくまで魔法生物です。我々を生かすための駒です」
後半は皆に教えるというよりは自分に言い聞かせるために言う。
なんせ狼たちは俺に愛情表現を向けてくるからな。
つい守りたくなってしまう。
だが優先順位はきちんとつけなければならない。
俺とネージュとシルヴィ、王子一行、バルサン伯爵一行、それから狼たちだ。
「また全員に身体強化の魔法を掛けます。直撃でも当たりどころが良ければ死なないくらいの助けにはなるでしょう。ただ身体能力が飛躍的に向上するので、逆に振り回されないように注意してください」
注意事項はこれくらいだろうか。
とにかく一回ぶつかってみて問題点を洗い出すしか無い。
俺は狼たちを呼び出し、全員に身体強化の魔法を掛ける。
「いいですね。それじゃ行きますよ」
バルサン伯爵の護衛が扉を開ける。
すぐそこでドラゴンの群れが待ち構えているというようなことはなかった。
通路の感じは14層、15層と同じような感じだ。
つまりドラゴンが歩き回れるだけの広さがある。
俺たちは続々と安全地帯である部屋から外に出る。
狼たちを走らせ、周辺を警戒すると同時に、ちょうどいい獲物を探す。
右に向かった狼たちから警戒の反応が返ってくる。
ぐんぐんとこちらに近づいてくる。
「どうやら狼たちが魔物をここまで引っ張ってきてくれるようです」
「よし、戦闘準備だ!」
右側の通路から地響きが轟く。
床とか抜けたりしないんかね。
まず狼たちの姿が見え、それを追ってくるドラゴンの姿が見えた。
そう、ドラゴンだ。
レッサーではない。
「な、大きい!」
接敵までこれだけ時間があったら魔法で先制できるな。
だけどそれじゃ意味がないから、今回は速度を落とさせるだけにしよう。
俺はドラゴンと俺たちの間に土壁を生み出す。
ドラゴンは止まりきれず、頭から土壁に突っ込んだようだ。
土塊が飛び散り、ドラゴンは土壁を突破こそしたものの、その速度は大きく減じていた。
「10秒、耐えてください」
「魔法とはそんなに掛かるものなのか!?」
「いいえ、練習ですから」
「練習!?」
「はは――、エルダードラゴン相手に練習か。言ってくれる」
あ、バルサン伯爵の中ではエルダードラゴンってことになったんですね。
自分がかつて倒したのがレッサードラゴンだとは認められないようだ。
いや、それも俺が言ってるだけなんですけどね。
そんなことを言っている間にドラゴンが襲い掛かってくる。
まずは噛み付きだ。
だが狼たちはぱっとふた手に散ってそれを避けた。
それからようやく俺たちの姿を見つけたようで、ドラゴンはそのまま巨体でこちらにぶつかってくる。
だが一度勢いを失っているため、その速度は避けるには容易い。
尾が薙ぎ払われる。
王子の一行を狙ったそれを騎士たちは二人がかりで盾で止めた。
身体強化の力もあるだろうが、安定感がある。
ドラゴンはゆっくりとこちらに振り返る。
攻撃の好機にも見えるが、誰も手を出さない。
守りに徹するという方針をきちんと守ってくれている。
ドラゴンが大きく息を吸い込んだ。
「ブレス!」
それぞれが盾を持った者の背後に隠れる。
ネージュとシルヴィは俺のそばにくる。
当然、魔法障壁で守る。
レッサードラゴンのブレスとは違い、ドラゴンのブレスは持続性のある炎の息吹だ。
盾の背後に隠れようと焼かれることに違いはない。
俺はドラゴンとの間に土壁を出してブレスを遮る。
襲い来る炎が止まり、盾に隠れていた面々は大きく息をついた。
ドラゴンは土壁に数度体当たりをしたようで、土壁が大きく揺さぶられる。
「まだか! アンリ!」
言われてみれば10秒はとっくに過ぎていた。
ついに土壁を破って姿を見せたドラゴンにレーザーをぶち当ててその身を両断する。
「ブレスへの対処は課題ですね」
ドラゴンの死体を収納しながら言う。
「一瞬でドラゴンを屠れるというのにブレスへの対処が必要なのか?」
「魔法の発動に一秒以上は掛かります。一瞬とはとても言えません。複数のドラゴンに囲まれる状況を想定してみてください」
「だがあのブレスばかりはどうしようもない。普通のドラゴンのブレスならなんとか対処できるのだが……」
「とにかくブレスを吐かれたら真っ先に対処しましょう。ブレスに対しては5秒耐えてくだされば十分です」
「5秒ならなんとかなるか」
バルサン伯爵はなんとか気持ちを立て直したようだが、レオン王子はまだ放心状態だ。
「レオン殿下、無理はなさらないでください。収納魔法に入れば一番安全です」
「ゆ、誘惑しないでくれ。……もう、大丈夫だ。行こう。生きてここを出なければ」
レオン王子は大丈夫とは言い難いけど、取り乱したりしない辺り、まだなんとかなりそうだ。
そうして俺たちの先の見えない迷宮攻略が始まった。
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