第2章 魂喰らい 16

 リディアーヌはすぐに学園に復帰してきた。

 そしてすぐ何もかもが元通り――というわけにもいかなかった。

 なにせシルヴィには自分の派閥が出来上がっていたからだ。


 シルヴィの成績は元に戻ったが、それで彼女のことを見限ったクラスメイトは少ない。

 ほとんどの生徒は以前のようにシルヴィを取り囲んでいた。

 シルヴィ自身はやりにくそうにしていたが、彼らの期待を裏切ることもできず、たどたどしくも皆のリーダーを努めている。


 しかし一方で朝食や夕食の場ではリディアーヌとともにいるシルヴィの姿を見かけるようになった。

 なんとかうまくやれているようで一安心である。


 事件の詳細を国王は発表しなかった。


 詳細が分かっていないということもある。

 少なくともシルヴィが実行犯であったことは一般には知られていない。

 彼女の親にすら知らされなかったようだ。


 王都を騒がせた昏睡事件は唐突に昏睡者が目覚めたという形で、こうしてひっそりと幕を下ろしたのである。


 なおそういう訳だから、今回のことは俺の功績ということにはなっていない。

 リディアーヌと結婚するためのポイントは稼げていないというわけだ。


 いやー、残念だなぁ。

 などと思っていたら国王から呼び出されて、一対一での会談が待っていた。


「アンリよ、此度のことでは心から礼を言わせてもらう」


「いえ、リディアーヌ様が被害に遭われたのです。私が動いたのは私情でもあります」


「目覚めぬあの子を見た時、血の気が引いた。おまえがいてくれなければずっとあのままだったかと思うと、どんなに感謝しても足りぬ」


「陛下が軽々しく口にされることではないかと」


「それなのに私はおまえに報いることができんのだ」


 あ、人の話を聞いてねーな。このおっさん。


「リディアーヌ様のためにやったことです。リディアーヌ様がご無事なことがなによりの報酬でしょう」


「おまえはそう言ってくれるが、私の気が晴れんのだよ」


「シルヴィのことも見逃していただきました。彼女も私にとっては大事な友人です。私は十分な報酬を得たと思っております」


「おまえ自身がなにも手にはしておらんではないか」


「実利ばかりが報酬とは限りません。陛下が心の平穏のために私に何かをしてくださろうと考えていらっしゃるように、私も陛下のご配慮によって心の平穏を得たのです」


「……そうだと分かっておるなら私の心の平穏のために何かを要求しても良いのではないか?」


「そうは言われましても……」


 困ったな。

 本当に欲しいものが無いのだ。

 金には困っていないし、名誉や権力は別に欲していない。


「さ、先送りで……」


「つまり王を相手に貸しひとつというわけか。いいだろう。面白い」


「ありがとうございます」


 ふぅ、これでなんとか問題を先送りできたな。

 なにかくれるっていうのを問題って言うのもなんだが。


「それでリディアーヌとは親しくしているのか?」


「親しくしていただいています」


「そうか、あれは優秀だが少し変わっておる。仲良くしてやってくれ」


「是非もありません」


 あれを少し変わってるですませていいのかなあ。

 さすがのリディアーヌも親の前じゃ猫をかぶってるのかも知れんね。


 その後、昏睡事件の経過を聞いてみたが、皆、無事に元の生活に戻っていったようだ。

 長く昏睡していた者はリハビリに時間を費やす必要があったようだが、深刻な後遺症などは出ていない。

 なんとか今回は犠牲者無しに済ませることができたようだ。


「しかし黒マントか。アンリ、どう思う?」


「人ではないかと。魔物か、それに近いなにかだと考えています」


「逃げたということはまた来る恐れもある。なにか対策を考えねばならん」


「幸い、黒マント自身の戦闘力は大したことがありませんでした。直接の接触さえ避ければ普通の騎士でも数人いれば対抗できるかと考えます。ただ奴には飛翔能力がありますので、捕まえるのは難しいでしょう」


「おまえでも無理か?」


「難しいです。せめて魔法が通じればいいのですが……」


「頭の痛い話だ」


 その後も色々と話し合ったが、結局黒マントに対する有効策は思い浮かばなかった。

 俺と話し合うよりもっと優秀な人と話し合ったほうが有益だと思います。




 さて、シルヴィの授業の成績が元に戻ったと言ったがひとつだけ例外がある。

 それが剣術の授業だ。

 なんでも体が覚えてしまっているらしい。

 ひょっとしたら元々剣術の才能があったのかもね。


 俺?

 俺は相変わらずへっぽこですよ。


 対黒マントのことを考えると剣術も上達しているにこしたことはないんだけどな。

 上達しないものはどうしようもない。


 努力は続けているんですよ。


 そしてシルヴィに対抗心を剥き出しにしているのがネージュさんですわ。

 キスの一件を知られてからこうですよね。

 他の成績では全部勝ってるんだからいいだろうに。

 そういうものでもないのかしらん?


 とは言っても中級のネージュでは、上級のシルヴィとは模擬試合の機会さえ無い。

 まだ直接的な対決は避けられている。


 うーん、俺はどちらを応援するべきなのか。

 ネージュを応援するべきなのだが、この件に関してはシルヴィが可哀想でなあ。


 あ、はい。すみません、先生。

 素振りします。


「ホントにあんたは剣術だけは駄目ね」


「悪かったな。俺なりには頑張ってるんだよ」


「なんて言うか動きがバラバラなのよね。もっと大きな体を動かそうとしてるみたい」


 シルヴィに指摘されてドキッとする。

 俺の元の体はデブでハゲだったが、それはさておき、当然今の体よりはずいぶんと大きい。

 なんだかんだその体で20年くらいは過ごしてきたのだ。

 今の体に慣れたつもりではいるが、感覚にズレが生じていてもおかしくはない。


 それにしてもそれを見抜いてくるとは、こいつ本当にシルヴィか?


「変なこと考えてるでしょ。はぁ~、あんたの考えてることなんて大体お見通しなんだからね。ほら、相手してあげるから打ち込んできなさいな。素振りじゃ動きは良くなっても感覚は身につかないわよ」


「それじゃお願いするよ」


 そしてシルヴィが変わったことがこれだった。


 なんと俺に優しいのである。


 最初は熱でもあるんじゃないか?

 また黒い宝石にやられたんじゃないか? 

 と疑ったらすっごい怒られた。


 なんでも世界の見え方が変わったらしい。

 俺にはよく分からないけど、黒い宝石の後遺症でないことを祈るばかりだ。


 剣術の授業だけでなく、他の授業のテストでシルヴィが俺に負けたとしても、


「ふん、なかなかやるじゃない。でも次は負けないからね!」


 と言った具合である。


 教室の名物だった地団駄を踏んで悔しがるシルヴィの姿は見られなくなった。

 でも一応俺の点数を気にはするのね。

 おかげで俺もやる気を維持できてるけど。


「恋、ですわね」


 と、シルヴィがいない時にリディアーヌが言った。

 シルヴィが恋をしてて、その相手が俺だと?


「まさか、ありえませんよ」


「いいえ、前からシルヴィのアンリ様に対する態度はおかしいと思っていたのです。いくら私の名誉を守るためと言えど、あそこまでアンリ様に噛み付く必要があったでしょうか? そして年越しからの態度の急変、文化祭では私の代わりにカロリーヌ役を買って出たと言うではありませんか。シルヴィは自らの想いに気付いてしまったんですわ」


 一応、俺、あなたの婚約者候補なんですけどね。

 まあ、リディアーヌにそんな常識は期待していない。

 面白いかどうかが何よりも優先するのだ。


 そしてシルヴィの態度の急変は黒い宝石のせいなのだが、その辺のことはリディアーヌには秘密になっているので説明できない。


「アンリ様はシルヴィのことをどう思っていらっしゃるのかしら?」


「まあ、憎からず思っていますよ」


「ではシルヴィのことも娶りますの?」


「いくらなんでも気が早すぎやしませんか?」


「アンリ様にとってはそうかも知れませんけれど、私たち貴族の娘にとっては決して早すぎる話ではありませんわ。10歳ともなれば婚約者が決まっていてもおかしくないですもの。自らの恋に身を焦がせるのも今のうちですわ」


 その言葉はリディアーヌの実感がこもっていて、俺にはちょっと重かった。

 特にリディアーヌの婚約者候補という立場にいる身としては、すぐに返す言葉が出てこない。


「ですから、シルヴィがアンリ様に恋をしているのだとすればアンリ様も誠実に応えてあげて欲しいですわ」


「……婚約者候補にかける言葉とも思えませんが……」


「どうせアンリ様はネージュ様のことも娶るのでしょう? シルヴィが増えたところで大した違いではありませんわ。それにシルヴィは私の友達ですもの。友達の幸せを願うのは当然のことではありませんか」


 それからリディアーヌは誰にも聞こえないほど小さな声で付け加えた。


「――それにシルヴィを娶るのであれば名誉侯爵位は必要ですものね」


 ごめん、聞こえちゃった。

 んん? でもどういうことだ?


 そりゃもし俺がシルヴィを娶ろうとすれば名誉侯爵にはなってないとマズいだろう。

 それはつまり俺とリディアーヌが結ばれた後、ということで。

 それをリディアーヌは望んでいるということか?

 そのために俺とシルヴィが結ばれて欲しい。

 そうすれば俺がシルヴィを娶るために、リディアーヌとの婚姻に前向きになるから?


 いやいや、まさかそんな。

 それじゃまるでリディアーヌが俺のこと好きみたいじゃん。

 ちょっとおっさん自意識過剰だわ。

 ちょっとコンビニで女性の店員さんと手が触れただけで、この人もしかして俺のこと、とか考えちゃうくらい過剰だわ。


 とりあえず俺は聞こえなかった振りをすることにした。


「まあ、もしシルヴィが本当に俺のことを好きだって言うのなら前向きに考えますよ。シルヴィのこと嫌いじゃないんで」


「だ、そうですわよ。シルヴィ」


「えっ?」


 リディアーヌの視線を追って振り返ると、そこには顔を真っ赤にして立ち尽くしたシルヴィがいた。


「べ、べべべ」


「べ?」


「別にあんたのことなんて、す、すす、す、きじゃないわよーーーーー!!!」


 シルヴィは教室の外にまで響き渡るような大声で叫ぶと、教室を飛び出していった。


 さすがの俺にも分かりますわ。

 否定の乗る好きすら言えないとか、シルヴィさん意識しすぎやろ。

 ツンデレ乙と言ったところである。


 そうかぁ、シルヴィがなあ。

 思えば遠くへ来たもんだ。違うか。


「アンリ、にやけてる」


「え、ウソっ!」


 慌てて頬を押さえるが、時すでに遅し。

 ネージュの手が俺の脇腹をつねる。


「こうなるとアンリ様が昏睡事件を解決できなかったのは痛かったですわね。貴族にも結構な数の被害者がいましたから、いい点数稼ぎになりましたのに」


 まあ、俺が解決したんですけどね。

 シルヴィのために公表はできないけど。


「アンリ様には早めに功績をあげていただかないと、私の他の婚約者候補がせっつき始めますわ」


「そう言われましても、なんらかの事件でも起きてくれないと功績のあげようがありません」


「そこでアンリ様がこっそり事件を起こして自ら解決するというのはどうでしょう?」


 マッチポンプじゃないですか、やだー。


「冗談でもそのようなことを言ってはなりませんよ。リディアーヌ殿下」


「では闘技大会でも開きましょう。アンリ様が魔法で参加者をばったばったと薙ぎ払えば、アンリ様と競い合おうと考える輩も現れませんわ」


 婚約者候補を輩扱いとはひどいっすわ。

 というか、他の候補者はそんなにリディアーヌのお眼鏡に適わないのか。

 まあ、貴族の結婚だからなあ。

 年齢差とかすごいのかも知れんが。


「闘技大会で魔法は反則でしょう。やられたほうが納得いきませんよ。きっと」


 そんなことで無駄に恨みを買いたくない。


「ではせめて約束してくださいませ。必ずや功績をあげ、私を娶ってくださると」


「誠心誠意努力致しましょう」


「アンリ様も貴族らしいお返事ができるようになりましたのね」


「そうイジメないでください。こればっかりは巡り合わせですので」


「そうですわ。アンリ様はいずれ冒険者になられるのですから、ちょっと先んじてダンジョンのひとつも制覇致しましょう。未踏破のダンジョンを攻略すれば十分な功績と言えますわ」


「ダンジョンへの立ち入りは冒険者の資格が無ければできないと聞いております。そして冒険者の資格が得られるのは15歳になってから。無理ですよ。リディアーヌ殿下」


「アンリ様は私とシルヴィを娶りたくはないんですの?」


「お二人を伴侶にできるとあらば無常の喜びであります」


「ならば急いでくださいませ。卒業まで待っていては手遅れになりますわよ」


「肝に銘じておきましょう」


 その後、次の授業が始まってもシルヴィは教室に戻ってこなかった。


 その次の休み時間にようやく姿を見せたかと思えば、俺に対して歯を剥いて、ガルルルルと威嚇しながらリディアーヌのところに寄っていく。


 ホントに俺のこと好きなんかな、この子。

 まあ顔が赤かったから、照れてるだけだと思うけど。


 それにしてもこの俺が恋愛ね。


 なんだか不思議な感覚だ。

 ネージュも俺のことを好きだと言ってくれているが、それは恋愛というよりは無償の愛で、俺自身もネージュに対しては恋愛というより家族愛のような感情だ。

 それに対してシルヴィには、なんだかお互いの気持ちを探り合うような、くすぐったいような気持ちになる。


 多分、この子は俺のことが好きなんだろうな、とか。

 この子といると楽しいな、とか。

 ずっと近くにいられたらいいな、とも思う。


 ああ、なんか猛烈に恥ずかしくなってきたぞ。


 おっさん、45年間生きてきてまともに恋愛とかしたことないからな。

 というか、俺もシルヴィのこと結構好きなんだわ、と気付いてしまった。


 そう気付くととたんにシルヴィのことが気になりだすのが不思議だ。


 思わず目線をシルヴィに向けると、目が合った。

 思わず目を逸らしてしまう。

 っていうか、目が合うってことはシルヴィもこっち見てたんじゃねーか。


 うわあああ、恥ずかしい。

 絶対変な顔してたぞ、俺。


 しかしこうして見るとシルヴィも結構可愛いんだよな。

 年齢以上に幼いから、そういう目で見れてなかったけど、いざそういう目で見るとかなり可愛いんじゃないだろうか。

 ネージュのせいで目が肥えている俺が言うのだから相当である。


 あんな可愛い子に好かれてるとか、おかしくない?

 俺、死ぬんじゃない?


「むぅ」


 ネージュの手が俺の頬をつねる。

 あだだだ、すみません。調子乗ってます。


 そんなふわふわした気持ちのまま、日々は過ぎる。


 おかげでシルヴィとの成績勝負は勝ったり負けたりしながら5月を迎え、色々あった一年生も終わろうとしている。


 俺は11歳になっていた。




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これにて第2章完です。

明日からは第3章「帰らずの迷宮」編が始まります。


引き続き作品フォローや☆☆☆での評価をよろしくお願いいたします!

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