第2章 魂喰らい 15
意識が現実世界に戻ると、俺はネージュに膝枕されていた。
シルヴィは?
ああ、ロープで簀巻っすね。
当然とは言え容赦ないっすわ。ネージュさん。
「アンリ、起きた?」
「ああ、ありがとう、ネージュ」
「ちょ、なにこれ。ひどくない? いくらなんでもひどくない?」
「あっちも目覚めたみたいだな。ネージュ、そんなに怖い顔しなくていい。もう決着はついた。シルヴィにもう力は無いよ。それに彼女も利用されていただけだ」
君と同じように、というその言葉は飲み込んだ。
シルヴィの精神世界にはネージュと同じように黒い宝石があった。
あれが元凶であるのは間違いがない。
そしてシルヴィは天使から力を受け取ったと言っていた。
それが事実ならネージュも同じように誰かから力を受け渡されたのかも知れない。
これの裏には黒幕がいる。
「ねぇ、解いてよ。逃げも隠れもしないってばぁ」
「ネージュ、解いてやって」
「もう少しアンリに膝枕する」
「あー、そういうことだからシルヴィさん、もうちょっと我慢してください」
「今更敬語なんか使ってんじゃないわよ。もう分かったから、煮るなり焼くなり好きになさい」
「んじゃお言葉に甘えて」
ネージュの膝枕を堪能させてもらうことにする。
いやぁ、精神世界戦は疲れますわ。
まだ物理的に吹っ飛ばすほうがいくらかマシである。
そういう意味ではシルヴィは魔法が効かない上に、殺すわけにも行かない面倒な相手でしたね。
結局ネージュを囮にしてしまったことも反省だ。
探知魔法に引っかからなかったことでほぼ確証は得ていたんだけど、俺の認識だけじゃ証拠にはならんからね。
なんらかの動きを見せてもらう必要はあった。
それにしても膝枕っていいもんだな。
安心感がすごい。
これが地面の上じゃなかったらもっと気持ちいいんだろうけどな。
ただベッドの上とかだと色々意識して逆に硬くなってしまいそうなので、今はこれくらいでちょうどいい。
「あの、いつまでそうしていらっしゃるのかしら?」
不意に聞き慣れない声がして俺は目を開けた。
うえっ、てっきり俺とシルヴィとネージュだけかと思っていたら、女生徒たちや女子寮の寮母さんまでいらっしゃるじゃないですか。
俺は今までどんな環境下で、ネージュに膝枕してもらってたんですかね?
「す、すみません。起きます。はい、起きました」
「むぅ……」
ネージュは不服そうだが、その鋼の精神はどこから来るんですかね?
俺には無理だよ。
起き上がって服を叩いた俺は、改めてシルヴィに向き合った。
というか、ロープでぐるぐる巻きになったシルヴィの前に立った。
探知魔法を使うとシルヴィの反応はちゃんとある。
少なくとも魔法無効化能力は失われている。
「解放するけど、逃げるなよ」
「逃げて何処に行くのよ。私が居なくなれば責は家族のところに行くでしょう? どちらにしても迷惑は掛けることになるんでしょうけど、私が責任を取れば少しはマシになるはずよ」
「できるだけ軽い処罰で済むように話はしてみるよ」
「……ありがとう」
「ってか、ネージュ、これ固結びにしただろ。解けないんだけど!」
「コツがある」
ネージュが結び目のところでなんかすると、スルッと解けた。
記憶失ってんのに変なコツは覚えてるんですねぇ。
まあ、この4年間で身に付けた生活の知恵なんかも知れないけど。
ようやく簀巻から解放されたシルヴィは起き上がって、それから俺たち一同に向かって頭を下げた。
「この度はご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした。すべての責任は私にあります。逃げも隠れもしませんので、今夜だけ寮にいさせてください」
「いえ、シルヴィさんにすべての責任があるわけではありません。彼女も被害者なのです。すべては黒マントが元凶なのです」
「と、言われましても」
「ねぇ?」
女生徒たちは顔を見合わせる。
「私たち、一体なにがどうしてこうなっているのかまったく分かっておりませんのよ。それよりどうして女子寮にアンリさんがいらっしゃったのかしら?」
あれ? 責められるの俺な流れ?
「それは、えーっと、あの、ネージュをシルヴィさんから守るためだったんですけど」
「意味が分かりませんわ」
うーん、どうするべきか。
シルヴィが昏睡事件の実行犯だったことを明かしても、シルヴィの女子寮での立場が悪くなるだけだ。
国王には明かさなければならないだろうが、その判断を待ってもいいんじゃないだろうか。
個人的にはシルヴィには責任は無かったと思っている。
もちろん彼女の心によって被害者が選別されたのは事実ではあるのだが。
「いやぁ、そのシルヴィさんがネージュと喧嘩になっていて、それでシルヴィさんがネージュのところに怒鳴り込んできたんだよな? なっ?」
「えっ? そ、そうですわ。ちょっとした行き違いがありましたの」
シルヴィには以心伝心で俺がどうしたいのかが伝わったようだ。
「それでシルヴィを捕まえた」
むんと胸を張って言うネージュ。
なんか微妙に俺のやりたいことが伝わってませんね。
シルヴィよりよっぽど付き合い長いのにね。不思議だね。
「そ、そうですか。ですが女子寮でこんな騒ぎを起こしてはなりませんよ!」
寮母さんがいい感じに締めくくってくれそうだ。
「はい、ごめんなさい」
「ごめんなさい」
良し、これでひとまず今晩の騒動はネージュとシルヴィの喧嘩だったということで収まりそうだ。
「それじゃシルヴィ、明日は王城に行くからそのつもりで」
「ええ、分かりましたわ」
「じゃあ、そういうことで」
くるりと踵を返してその場を退散しようとした俺の肩を女生徒のひとりがむんずと掴んだ。
「アンリさんとのお話はまだ終わっていませんわ」
「ですよねぇ」
その後はこんこんと女子寮に入ってはいけないということを説教された。
男の子扱いされてちょっと嬉しい自分がいた。
翌日、俺はシルヴィを連れて王城にやってきた。
何故かネージュも一緒である。
なお放課後ではない。
嫌なことはさっさと済ませてしまいたいからね。
決して授業を受けるのが嫌だったからではない。
国王への取り次ぎを頼むと、応接室に通された。
3人で国王の登場を待つ。
シルヴィは紅茶を飲む余裕も無いようだ。
そりゃそうだよね。
これから断罪される立場なのだ。
先方はまだ知らないけど。
「待たせたな、アンリ、ネージュ殿。それから君はリディアーヌの友達だったな」
「は、はいっ! シルヴィ・コルネイユと申します!」
「リディアーヌが心配で来てくれたのか? 申し訳ないがリディアーヌは目覚めこそしたものの、まだ体調が優れないようでな」
「い、いえ、今日はそうではなく、私はっ!」
「シルヴィ、待った。陛下、まずは経過のご報告に参りました」
「おお、そうであったな。では、やはりアンリが解決したのか」
「解決とは言い切れません。事件の首謀者は押さえられませんでした。黒マントは途中から別に実行犯を仕立て上げ、自らは雲隠れしてしまったようです」
「ほう、それで黒マントとやらは見掛けられなくなったのだな。で、その言い方からすると実行犯とやらは押さえたのであろう?」
「はい。ですが、まずはっきりと申し上げておきたいのですが、実行犯も黒マントに操られていた被害者に過ぎません。黒マントによる精神汚染によって、彼女は正常な思考を奪われておりました」
「ふむ、彼女、と言ったな」
国王の目がじっとシルヴィを捉えた。
たった一言で正確にシルヴィがここにいる事情を察したらしい。
「お察しの通りかと思います。ここにいるシルヴィが事件の一部での実行犯でした。ですがすでに危険な力は失われ、今はただの学園の生徒に過ぎません。シルヴィ、事情は話せるかい?」
「陛下、発言を許して頂けますか?」
「よい、許す」
「私がいわゆる黒マントに出会ったのは王城で開かれた新年パーティの帰りのことでした」
そしてシルヴィが語ったところによると、空から舞い降りてきた黒い翼のある天使のような人物はシルヴィの頭に触れ、彼女の心に入り込んだ。
本来ならシルヴィはそこで他の昏睡者と同じ運命を辿るはずだったのだろう。
しかしながらシルヴィにとっては幸か不幸か、シルヴィこそが黒マントが探し求めていた人物だった。
つまり黒マントの力を受け取る資質を持っていたのである。
そして手渡された黒い宝石はシルヴィ自身と同化して、彼女の心を黒く染め上げた。
「しかしながら悪しき力に負けたのは私の心が弱かったからです。そのために多くの人に迷惑を掛けてしまいました」
「彼女を蝕んでいた黒き宝石の力は私も知るところです。独りきりで抵抗できるようなものではありません」
「その宝石とやらはどうしたのだ?」
「私の魔法の中に閉じ込めてあります」
「なるほど。この場に出して見せられるか?」
「恐れながら陛下、あまりにも危険です」
「一瞬でよい。実物を確認せんことにはなにも決められん」
「では心を強く持っていてください。シルヴィ、君は目を逸しておいたほうがいい」
「そうさせてもらいます」
「では行きますよ」
そう前置きして俺はシルヴィの中にあった黒い宝石を手のひらの上に出現させた。
途端に宝石は黒い光を放ち、それを見る人の心に侵食してこようとする。
一瞬だけ耐えて、俺はそれを収納した。
国王は胸を手で押さえ、歯を食いしばっている。
「ふはっ、はぁ――、なんだ、今のは……」
「この黒き石は人の心の最も脆い部分を突いてきます。陛下がなにをご覧になったのかは分かりませんが、それが陛下にとって最も辛かった出来事なのではないでしょうか?」
「そうか、そうなのかも知れぬ。なるほど、幼き身でこのような悪意に晒されては抵抗もできまい。なんという悪しき力よ。アンリ、貴様はその石をどうするつもりだ?」
「破壊します。今の私の力では無理ですが、いつかは必ず」
「そうか、我々に管理できるようなものでもあるまい。貴様に任せておくのが一番であろう。シルヴィ・コルネイユ、リディアーヌを襲ったのは何か思うところがあったのか?」
「憧れだと自分では思っていました。しかし妬みもあったのでしょう。私はリディアーヌ様のようになりたかった。それがどうしてかリディアーヌ様に取って代わりたいという欲望になってしまったのです」
「それは誰もが抱く感情だ。それ自体は罪ではない。ましてやあのような悪意によって操られていたのだ。私にはおまえを責めることはできん」
「しかしそれでは――」
「そうか、ではシルヴィ・コルネイユ、そなたへの罰を言い渡す――」
「本当にあれだけで良いのかな?」
王城からの帰り道、俺とネージュの後ろをとぼとぼとついてきていたシルヴィがぼそりと呟いた。
「いいんじゃないかな。国王陛下の話によればリディアーヌ殿下は襲われる前後から目覚めるまでの記憶が無いって言うし、どうやら他の昏睡者も同じのようだ。死者が出たわけでもないし、シルヴィが実行犯だったなんてわざわざ言いふらすことでもないさ。そもそも言ったところで信じる人のほうが少ないんじゃないかなあ?」
「事実上、お咎めなしじゃない」
「そうでもないだろ。国王陛下の罰をちゃんと受けるならシルヴィは罪悪感と戦い続けなきゃ行けない。それって結構な罰だと思うよ」
国王がシルヴィに課した罰とは、いつまでもリディアーヌの友人でいるというものであった。
まったく、あのおっさんもたまにはいいことやるじゃねーか。
「ねぇ、アンリ」
「ん、なに?」
「ありがとう」
「どういたしまして」
この受け答えがあってようやくシルヴィの中で一段落が付いたのか、彼女は両手を伸ばして伸びをした。
「あーあ、またアンリに負けたわけか」
「そう言えば急激に成績が上がったのも力の影響だったわけ?」
「奪った人の記憶や経験を自分の物として扱えたのよ。今はもうからきしね」
「ああ、それでリディアーヌの記憶を読んで」
「そ、カロリーヌ役を演じたわけ。とんだ副作用もあったけどね」
シルヴィが顔を赤らめる。
俺も顔が熱くなった。
「それじゃあのキスは……」
「私が自分であんなことするわけないじゃない!」
「なるほどなあ」
つまりリディアーヌの記憶と経験を利用してカロリーヌ役を演じていたシルヴィは、リディアーヌの意識に半分支配されたような状態だったということだ。
だからあのキスはリディアーヌが狙っていたものだということになる。
ホント油断ならねーな。あの姫様は。
「だから忘れなさい! 私も忘れるから!」
「分かってる」
分かってるけど、忘れられるようなものでもないだろう。
45年生きてきて初めてのキスだったのだ。
正直、びっくりしたという感想しか無いけどな。
「それで、キスってなんのこと?」
ゴゴゴゴゴゴゴ、と黒いオーラを立ち上らせつつネージュが言った。
しまった。ネージュが居たんだった。
なんという不注意な会話を。
「え、えーっと」
日本語なら魚の鱚がうんぬんで誤魔化そうとすることもできるだろうが、いや、無理がある? そうですね。
だけど根本的に今使ってる言語だと同音異義語が無いんですよぉ!
「キスの振りが上手かったなあって話で」
「そんな会話の流れじゃなかった」
こんな時に限って妙に察しがいいですよねぇ!
「あ、そうだ、ちょっと用事を思い出したから先に帰るね」
「待てよ、シルヴィ!」
「アンリはちゃんとこっちを向く!」
ぎゅうと脇腹をつねられる。
「いてててて、分かった。分かったから」
「ちゃんと説明してもらいます」
「はい」
「ちゃんと説明したら怒りません」
「本当?」
「もちろんです」
嘘だった。
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シルヴィも意識を失っていたのは、接触し、精神を取り込んだのにアンリが影になることが無かったので、慌ててシルヴィも精神世界に入りこんだからになります。
魂喰らいはあと1話だけ続くんじゃよ。
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