第2章 魂喰らい 11
シルヴィの快進撃は剣術の授業に留まらなかった。
学園のありとあらゆる授業で、シルヴィはクラスのトップクラスになるか、あるいはトップに立った。
彼女の周りには常に人だかりができるようになった。
授業について分からないことがあればシルヴィに聞けば教師より分かりやすく教えてくれるし、以前はリディアーヌ以外には厳しかった人当たりも柔らかくなり、単なる相談事なども真摯に答えているようだ。
「まるで別人のようですわ……。もちろんシルヴィにとって良いことなのでしょう。歓迎するべきだと分かってはいるのですが……」
シルヴィの快進撃に対してリディアーヌは元気が無い。
そりゃ取り巻きでおもちゃがひとり巣立っちゃったようなもんだもんなあ。
今もシルヴィはクラスメイトたちに囲まれていて、リディアーヌの傍には居ない。
「シルヴィさんになにがあったんですか?」
「分かりません。新年パーティで会った時はいつもと変わりない様子でしたけれど……。彼女、バカンスには誘ったのに来なかったんです。帰ってきてからはもうあの調子で……」
そう言ってリディアーヌはため息を吐く。
お悩みですなあ。
「コツを掴んだと言っていましたし、伸びる時は伸びるものでしょう」
元々平均以下から平均以上に伸びてはいたのだ。
なにかコツを掴めば一気に伸びるということは十分にあり得るだろう。
まだ10歳で授業内容も初歩的なものだ。
ちょっとした気付きで、あるいはやる気で、成績などどのようにでも変わる。
あ、俺の成績? 変わんねーよ。
「それにしても性格までああも変わるものでしょうか?」
以前のシルヴィなら成績で俺を抜いたのであれば、それを見せびらかせて俺に屈辱を与えようとしただろう。
しかし今のシルヴィはそんなことはしない。
そもそも俺の成績には興味が無さそうだ。
「シルヴィがアンリ様に構うのは私の為だと思っていたのですけれど、今のシルヴィには私のことなどどうでも良いのかも知れませんわね……」
そんなことあるはずがありませんわ。
と、取り巻きたちがリディアーヌを慰めるが、リディアーヌの顔は晴れない。
そりゃそうだ。その当のシルヴィが、リディアーヌがこんな顔をしていることに気づかず、クラスメイトたちに笑顔を振りまいているのだから。
別に今が悪いというわけではない。
散々シルヴィを弄って楽しんでいたリディアーヌにはいいお灸だろう。
俺に突っかかってこないのも、迷惑だと思っていた部分もあるのでありがたい。
だけどこんなのはシルヴィらしくなさすぎる。
本当はちょっと寂しいしな。
だけどシルヴィに何かを言おうに話しかけるのは困難だ。
クラスメイトたちが壁になっているし、それを突破したところで今のシルヴィを否定するような言葉を言えばクラスメイトたちが敵に回りかねない。
なんというかすでにシルヴィ派閥ができあがっているような状況なのだ。
「なんにせよ、もうしばらく様子を見るしかないのでは?」
「そうですわね。一時的なものかも知れませんし」
あんまりそんな感じはしないけど否定はしないでおく。
本当にどうしちゃったんだろうな。
学園生活が激変する一方、町を騒がせていた黒マントの一件も変化を見せ始めていた。
ジャンヌさんからの手紙によれば、黒マントは姿を消し、町で新たな昏睡者が現れることは無くなったのだという。
なおジャンヌさんは黒マントと一度遭遇したが取り逃がしたのだそうだ。
3人でロープを巻きつけるところまでは上手く行ったらしいが、黒マントはそのまま飛翔し、3人がかりでも浮かび上がりそうになったので、仕方なくロープを放したのだという。
だが黒マントこそ姿を見せなくなったものの昏睡者の意識が戻ったわけではない。
そして町では昏睡者が出なくなった一方で貴族街で昏睡者が現れ始めたそうだ。
つまり事件は終わったのではなく、対象者が変わり始めたのだ。
黒マントの姿が見えないのも、奴がただ黒マントを脱ぎ捨てただけという可能性もある。
翼は任意に出せるようだったし、出していなければ普通の王国人に見える。
ただ貴族に昏睡者が出始めたことで、騎士団が本格的に動くことになったそうだ。
正直、俺と奴とでは相性が悪いから騎士団にはなんとか頑張ってもらいたいところである。
転移魔法を知られたくないから騎士団と共闘というわけにもいかないんだよな。
転移魔法無しで奴と向き合うつもりはない。
いくらジルさんに戦い方を学んだとは言え、素人の付け焼き刃であることはシルヴィとの試合でよく分かった。
そして時は過ぎ、季節は春を迎えようとしていた。
学園には春の始めに文化祭がある。
日本の学校の文化祭とは異なり模擬店などは出店されない。
文化的な発表が主となる正真正銘の文化祭だ。
クラス単位での発表や、個人での発表、所属するサークルごとの発表などが準備されているが、俺が関係あるのはクラスのものだけだ。
さてそのクラスでの発表だが、なんだかんだ揉めた末、演劇に決まった。
やりたくなかったんだけどなあ。演劇。
なんて言うか、クラス内の力関係があからさまになるとこあるじゃん。
プラスの人間関係を築いている人間じゃないと、役をもらえないとか。
まあ、俺は裏方で良いんですけど。
そもそも何のお話をやるんですかね?
こっちの世界の物語にはあんまり詳しくないよ。
平民と貴族では耳に入る物語も違うだろう。
少なくとも母さんが寝る前に語ってくれたような話になることはあるまい。
はい、来ました。恋物語。
うちのクラスは女子のほうが数が多いし、発言力もあるからね。
そういう方向性になるよね。
なんでも敵対関係にある貴族の息子と娘が恋に落ちて、困難を跳ね除け、ついに結ばれるという話らしい。
ロミオとジュリエットのハッピーエンド版ってところかな?
俺は知らなかったが、貴族の女子の間では知っていて当然な物語のようだ。
演目が決まれば次は役割分担が始まる。
演劇の花形と言えば当然主役である。
この物語は恋物語であるから、男と女の主役が一人ずついる。
男はともかく女の主役は当然リディアーヌになるものだと思っていたら、なんとシルヴィが他薦とは言え候補に上がってきた。
流石にここは引くだろうと思ったが。
「私が主役だなんて恐れ多いですわ。でもせっかく推薦していただいたんですから」
シルヴィはそう言って引く気配を見せない。
おいおい、そりゃ学園生のお遊戯には違いないが、一応ここは貴族の社交を学ぶ場であり、実際の社交の世界でもある。
そんなことは元平民の俺にも分かる。
いくら最近調子がいいとは言え、それは行き過ぎじゃないか?
文化祭は父兄も見に来る。
そこで王女殿下を差し置いてシルヴィが主役やってたら、親御さんが卒倒するんじゃないか?
そんなことを思っていたら、はい!とネージュが手を挙げた。
あかんて、ネージュ。
いくら君が群を抜いて綺麗でも、ここは空気読んで欲しい。
「アンリがいいと思う」
「アラン役ですか? でも今はカロリーヌ役を決めているところで」
「カロリーヌ」
「えっ?」
「アンリがカロリーヌがいい」
「ちょっと待たんかーい!」
思わずネージュにツッコミを入れる。
しかしネージュは一歩も引かない。
「アンリがカロリーヌで、私がアランをする」
クラス内の女子からどよめきが上がる。
「そんな妙手が……」
「いい、いいですわ」
「私、興奮して……」
「なんて斬新な発想なのかしら」
こいつらどうしてやろうか、と思ってクラス内を見回しているとリディアーヌがここのところ見せていなかった深い笑みを見せた。
「あら、そういうことでしたらネージュ様、私だってアラン役に立候補しますわ」
「確かにリディアーヌ様は背が高くていらっしゃるから、アラン役のほうがお似合いかも知れませんわ」
「リディアーヌ様の男装、見てみたいですわ」
「そうなるとやっぱりカロリーヌ役はアンリさんに?」
「他にカロリーヌ役が似合いそうな男子がいまして?」
いや、両方とも女子でもいいんですよ?
もうリディアーヌとシルヴィでいいんじゃないかなあ?
それなら角も立ちにくいし。
そんなことを思っていたが無情にも俺への推薦が受け入れられたまま決を採ることになった。
無記名投票ではなく、挙手方式だ。
ああ、胃が痛い。
「それではカロリーヌ役はアンリさんがいいと思う方」
担任が言ってネージュが勢い良く手を挙げた。
他にもパラパラと女子の手が挙がる。
おまえら覚えたからな。
絶対に忘れんぞ。
幸い俺に票を入れたのは女子の一部で男子は真っ当な道を選んだようだった。
そらそうだよね。
男女入れ替え劇とかなったら、他の女性の配役も男子になりかねないからね。
「では続いてシルヴィさんがいいと思う方」
今度は男女問わず結構な数の手が挙がる。
シルヴィ自身も手を挙げている。
んん? これはどうなる?
結構微妙なラインだと思うぞ。
俺の時とは違いちゃんと数が数えられた。
だがその数字だけでは勝敗は分からない。
俺の時は数えなかったからな。
「では最後にリディアーヌさんがいいと思う方」
残りのクラスメイトたちが手を挙げ、俺も手を挙げる。
やっぱりリディアーヌが主役をやるのが一番真っ当だと思うよ。
数が数えられ、結果を見ればリディアーヌがシルヴィを1票だけ上回っていた。
これ、ネージュが俺のことを推薦してなかったらどうなってたか分からない。
結果だけを見ればネージュGJである。
負けたシルヴィがどんな顔をしているか気になって視線を向けると、彼女は最近ずっと顔に貼り付けている微笑をたたえていた。
何故か俺にはそれが異様なものに感じられるのだった。
さて男の主役であるアラン役はリディアーヌが俺を推薦して、そうなるともう他に立候補者や推薦者が現れるはずもなく、そのままなし崩し的に俺に決定した。
ああ、もうなんだよ。
俺は光魔法で特殊効果をやろうと思ってたのに。
主役にしておくよりよっぽど盛り上がりますよー。
ネージュは俺が主役をやるのが嬉しいような、リディアーヌが相手役なのが悔しいような、複雑な表情だ。
リディアーヌはその顔が見たかったんだと思うよ。
さて配役こそ決まったものの即座に練習が始まるわけではない。
脚本が無いからね。
脚本担当はクラスの文学少女っぽい子に決まった。
こういうのは脚本が遅れて悲惨なことになるのがお約束だがどうなると思っていたら、彼女は翌日には第一稿を書き上げてきた。
有能すぎるだろ。
内容も本来は非常に長い物語を二人の恋愛に焦点を当てた短いものに収めていて、元の物語を知らない俺にも分かりやすいものになっていた。
でもこれ主役二人のセリフが多すぎません?
あと恋物語ということもあって、こっ恥ずかしい台詞のオンパレードだ。
それからキスシーンがあるんですよ。
もちろん振りをするだけなんだけど、俺の胃に穴が空くんじゃないだろうか。
俺の心配を他所に回し読みされた脚本は非常に好評で、いくつかの修正点を除いてそのまま採用されることになった。
さらに翌日には修正された脚本が5冊くらいできあがっており、それを元に練習などが始まった。
君の部屋、プリンターかコピー機でもあるんか?
しかし役のある俺は台詞を覚え、演技指導を受けと多忙を極めているというのに、大道具や小道具の連中は学園に出入りする商人に物を発注して終わりである。
材料を買ってきて自分たちで作り上げるという気はないらしい。
貴族の子弟だからそんなもんか。
他人を上手く使う練習と言えるのかも知れん。
でも楽そうでいいなあ。
「アンリさん、よそ見しない!」
「はい、ごめんなさい」
女子に怒られて練習に集中する。
今はアランとカロリーヌが出会う仮面舞踏会のシーンを練習中だ。
親同士が犬猿の仲である二人は、この仮面舞踏会でお互いの素性を知らぬまま惹かれ合うことになる。
それを表現するのにダンスシーンがあるのだが、なぜ気持ちをダンスで表現するのか全然分からない。
あと、リディアーヌとの身長差を埋めるために俺は底上げ靴を装着させられている。
ただでさえ苦手なダンスにこのハンデとは、俺に対するイジメかな?
バランスが崩れないように動くのが精一杯で、リズムが取れない。
底上げ靴が無かったらリズムが取れるのかって?
微妙なところです。
「はい、アン・ドゥ。アンリさん、遅れていますわよ」
「分かってるんですけど、分かってるんですけどね!」
分かっているのと実行できるのは別だ。
リディアーヌの足を踏まないようにするのが精一杯で、自分の動きに集中できない。
「アンリ様、私の足を踏んでもよろしいですから、まずは自分の動きを覚えましょう」
「そういうわけにも参りませんっ」
リディアーヌはもう自分の動きをマスターしていて、俺をリードする余裕すらある。
それでなんとか踊れてはいるが、傍目には美しい動きとはとても言えないだろう。
なんで授業でもないのにダンスさせられてるんですかね?
ダンスシーン以外では徹底的にリディアーヌとの甘いシーンの練習だ。
いや、カロリーヌだと思わなければやってられない。
演劇だから仕方ないんだけど、歯の浮くような台詞ばかりですね。
さて仮面舞踏会で出会った二人は後日町で落ち合うことを約束して別れる。
そして待ち合わせ当日、その場に居たお互いを仮面舞踏会で出会った運命の相手だとは思わずに、なんとか言葉巧みに相手をこの場から追いやろうと苦心する。
観客の笑いを誘おうというシーンだ。
しかしやり取りの中に仮面舞踏会でも出てきた言葉が飛び出したことで、両者は相手が仮面舞踏会での運命の相手だと気付く。
気付いてしまえばお互いの家が犬猿の仲だろうが、若い二人の情動は止められない。
えー、この脚本10歳児が書いてるんですよね?
親とか手伝ってない?
いや、親が手伝ってたら逆に止めるか。
二人はそれぞれの親を説得することを約束するのだが、どちらもうまくいかない。
それどころかカロリーヌに至っては自宅に軟禁されてしまう。
その事実を伝え聞いたアランは単身カロリーヌのところへ向かう。
どうやらこの辺から元の話とは随分違っているそうなのだが、短く分かりやすくまとめるためには致し方ない部分だろう。
衛兵をバッタバタとなぎ倒し、アランはついにカロリーヌの元へ。
いや、衛兵そんなに倒しちゃって後のことは大丈夫なんですかね?
物語だからそれでいいのか?
確かに大立ち回りはあったほうが盛り上がるだろう。
カロリーヌを連れて行こうとするアランだが、その前に立ちふさがるのはカロリーヌの父と兄。
アランはカロリーヌの兄に、そしてカロリーヌはなんと自分の父に剣を向ける。
そして始まる最後の戦い。
見事、兄と父を打ち倒した二人は街から姿を消す。
後に残された両家は失ったものの大きさに打ちひしがれ、いがみ合うのを止める。
両家が手を取り合って二人を捜索しているのを知ったアランとカロリーヌは街に戻ってくるのだった。
と、まあ、大筋はこんなところだ。
これ立ち回りのシーンとかも全部打ち合わせてやるん?
やるんですか。そうですか。
こうなるともう勉強などしていられない。
朝から晩まで脚本とにらめっこですよ。
幸い、この時期は教師もあまり勉強を先には進めないのだそうだ。
俺がこっそり授業中に脚本読んでるのも黙認である。
その甲斐もあってかなんとか本番前には台詞を覚えきることには成功した。
棒読みですけどね。
笑いたければ笑え。
どうせ身内の人間は誰も見に来ないのだ。
ダンスも大立ち回りもそれぞれ単独の練習ではこなせるようになった。
後はリハーサルと本番を残すのみである。
リハーサルは大成功だった、と言っていいだろう。
衣装に大道具、小道具なども欠けは無く、ぎこちなくも詰まることはなく、やり直しなども発生しなかった。
最初はどうなることかと思ったが、後は本番さえ乗り切れば解放感を味わえる。
あれ、なんか目的がおかしくない?
そして本番当日の朝がやってきた。
その日、リディアーヌは目覚めなかった。
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