第2章 魂喰らい 12

 異変に最初に気付いたのはリディアーヌの取り巻きの二人だった。


 彼女たちは毎朝リディアーヌの部屋に行き、彼女と共に朝食に向かっていたのだという。

 しかし今朝はどんなにノックしてもリディアーヌからの返事が無かった。

 不審に思った彼女らは寮母に相談し、予備の鍵でリディアーヌの部屋に入った。


 リディアーヌはごく普通に寝ているだけに見えたので、彼女らは安心した。

 なんてことはない。

 珍しいがただの寝坊だ、と。


 しかし声を掛けてもリディアーヌは目覚めない。

 肩を揺すっても目覚めない。

 流石に王女殿下の頬を叩くまではできなかったが、異変は明らかだった。


 もちろん王都の貴族たちに流れる噂はこの学園にも入ってきていたので、原因不明の昏睡者が貴族の間に出ていることは彼女らも知っていた。

 しかしこれまで学園関係者に昏睡者が居ないことや、警備が強化されていたこともあって、その現実を受け止めることができなかった。


 学園祭の当日でもある。

 あまり事を大きくして、その後リディアーヌが何事もなく目覚めては困る、と、彼女たちはもうしばらく様子を見ることにした。


 しかしそれでもリディアーヌの取り巻き二人が、二人だけで朝食の席に現れれば目立つ。

 当然リディアーヌの所在を確認するクラスメイトも出てくる。

 しかし彼女らは、お疲れのようで、とか、今朝は朝食を頂かないようで、などと言ってその場を誤魔化した。


 だが朝食の時間が終わってもまだリディアーヌが目覚めないとなれば、最早隠してはおけない。

 彼女らは当然の手順としてまず担任に相談した。


 担任の行動は早かった。

 王城に人をやって連絡し、医者を呼んだ。

 学園に常駐する医者では、リディアーヌがただ眠っているとしか分からなかったからだ。


 一年生による演劇の時間は刻一刻と迫っていた。

 すでに他のクラスメイトたちは舞台裏に集まり、準備を整えていた。

 俺も呑気にリディアーヌが遅いななどと考えていた。


 そこに担任がやってきて、リディアーヌが眠りから覚めないことを告げた。

 最初はクラスメイトたちはその言葉の意味が分からないようだった。

 しかし徐々に昏睡者の噂のことを思い出す者が出てきて、クラスメイトたちはざわめき始めた。


 リディアーヌの心配をする者が半分、残り半分は迫った開演をどうするか心配していた。

 どうかとは思うが、気持ちは分からないこともない。


「今回は残念ですが、中止としましょう」


「ちょっと待ってください!」


 担任の言葉に待ったをかけたのはシルヴィだった。


「私がカロリーヌ役をやります!」


「しかしシルヴィさん、いくらなんでも急にカロリーヌ役は……」


「脚本はすべて覚えています! 動きも覚えておりますわ!」


「しかし衣装が……」


「こんなこともあろうかと用意しておきましたの。まさかリディアーヌ様が昏睡されるとは思いませんでしたけれど、病気や怪我をされる可能性はありましたもの」


 いくらなんでも準備が良すぎるとは俺でなくとも思っただろう。

 しかし今のこの状況で頼れるのはシルヴィ以外にはいなかった。

 俺だってこれまで準備してきたことを無駄にはしたくない。

 それはクラスメイトたちも同じだった。


 しかしそれでもリディアーヌがこんな状態で皆のメンタルは大丈夫なのだろうか?


「皆さん、リディアーヌ様が心配なのは分かります。けれどもリディアーヌ様だって舞台の成功を望んでおられるに違いありませんわ。今は気持ちを切り替えて舞台に集中いたしましょう」


 シルヴィが言って、徐々に同意の声が上がっていった。


 リディアーヌのことは心配だが、そちらは誰にもできることはない。

 俺にだってなにもできないのだ。

 それにこのまま舞台を中止してしまえば、目覚めた時にリディアーヌが責任を感じることになりかねない。


「やろう」


 そして幕が開いた。




 舞台は主役が入れ替わったとは思えないほどに順調に進んだ。


 シルヴィが相方になったことで底上げ靴を履かなくてすんだ俺はダンスも無事に踊りきれたし、シルヴィは豪語するだけあって、台詞、動き、ダンス、すべてリディアーヌと同等にこなしてみせた。

 リハーサルさえ経験していないとは思えない。


 まるでリディアーヌが乗り移ったかのようだ。


 今のところ観客の反応も上々だ。

 ダンスシーンでは拍手が、笑わせたいところで笑いが起きた。


 カロリーヌが軟禁されたと知り、アランが衛兵相手に大立ち回りをするシーンも無事に終わり、恋人たちが再開するシーン。

 劇中唯一のキスシーンだ。


「カロリーヌ!」


「アラン!」


 二人は抱き合い、キスをする。

 振りをする。はずだったのだが。


「――!」


 シルヴィの唇が俺の唇に触れた。

 彼女が俺に唇を寄せたのだ。

 観客からは見えない角度。

 実際にキスをする意味などなにひとつ無い。


「当たってしまいましたわね」


 俺にしか聞こえない小声でシルヴィは囁いた。

 そっちから寄せてきたんだろう、などと言っている場合ではない。

 劇は続いている。

 俺は動揺を押し殺し、演技を続ける。


 シルヴィのほうは動揺もなにもしていないようで、堂々と演技を続けている。

 まるでキスなど無かったかのようだ。

 そのおかげで俺も動揺は最小限に抑えられた。

 なんとか次のシーンをやり終えて、カロリーヌと共に街を去るシーンまで演じきる。


 舞台袖に下がって、俺はシルヴィに詰め寄った。


「なにを考えているんですか!?」


「事故ですわ。アンリ様。ちょっと熱が入りすぎたんですの」


「そんな簡単に言いますけど」


「あら、アンリ様は初めてだったのかしら? でも私だって初めてでしたのよ。責任を取ってもらいたいくらいですわ」


「無茶を言わないでください。私は忘れますから、シルヴィさんも忘れてください」


「それこそ無茶というものですわ。私、今日のことは絶対に忘れませんもの」


 そう言ってシルヴィは陶然と微笑む。

 まるで本当に熱に浮かされているようだ。

 これ以上は問い詰めても無駄だろうし、出番が終わったわけでもない。

 俺とシルヴィは次の衣装に着替え最後の出番を待った。


 終わってみれば劇は大成功だったと言って良いのではないだろうか。

 カロリーヌ役の交代に気付いた人は多かったはずだ。学園の生徒たちは当然知っているし、客にしたってリディアーヌを見に来た人も多かったはずだ。

 だがひとまず混乱はなく収められた。


 カーテンコールを終え、舞台袖に下がったところで担任が待ち受けていた。


「お疲れ様、アンリさん。悪いのだけどリディアーヌさんの部屋まで付いてきてくれないかしら?」


「ええ、すぐに着替えます」


 制服に着替えた俺は担任について女子寮に向かう。

 初めて入るリディアーヌの部屋には国王と第三婦人が待ち受けていた。


「国王陛下……」


「よく来た、アンリ。遅かったことについてとやかくは言わん。リディアーヌを診てやってはくれないか?」


 国王も第三夫人も憔悴しきっている様子だった。

 ベッドの上に眠るリディアーヌだけが安らかだ。


「お医者様はなんと?」


「ただ眠っているだけだ、と。他の昏睡者と変わりないようだ」


「分かりました。やれるだけやってみましょう」


 リディアーヌに回復魔法を掛けるが、他の昏睡者と同じように手応えはない。


「失礼します」


 そう断ってリディアーヌの手を取る。

 その精神世界に潜り込む。


 真っ暗な世界を照らしながらリディアーヌの心を探して回る。

 果てのない世界を隅々まで探して回ることは不可能だ。

 それでも他の誰より長く捜索して、そして何の成果も得られないままに俺は現実世界に帰還した。


「やはり他の昏睡者と同じようです。リディアーヌ様の心はここにありません」


「それでは何処に!?」


 俺に詰め寄らんばかりの国王を婦人が抑える。


「分かりません」


「アンリ!」


「本当に分からないのです。魔法の力と言えど万能ではありません。すべてを見通すなど不可能です」


「だがおまえが付いていながら……、いや、学園の警備が足りなかったのだ。私の責任でもあるか……」


 国王はうなだれる。


「これは病気なのか? それとも何者かによる事件なのか? アンリ、それも分からないのか?」


「病気ではないと思います。回復魔法に手応えがありませんから。おそらくは巷を騒がせていた黒マントが何かを知っているのではないかと」


「だが黒マントは姿を消したそうではないか。どうすれば見つけられる?」


「私には分かりかねます。ただ昏睡者は夜半に出歩いているものだと聞きます。夜間の巡回を密にするしかないのではないかと」


「そうだな。なんでも聞けば分かるということもあるまい……。リディアーヌは王城に連れ帰り看護させる。アンリ、おまえも動け。なんとしても黒マントを捕まえるのだ。これは王命だ」


「拝命致しました。必ずやこの手で」


 やってくれたな。黒マント。

 俺の身内に手を出したのだ。

 必ずふん縛って、昏睡者の戻し方を吐かせてやるぞ。


 俺は決意を固め、一礼してリディアーヌの部屋を退出した。




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王女が昏睡したと分かれば貴族にも動揺が広がることを懸念していた国王は、アンリが遅かったことについては理解しています。


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