第2章 魂喰らい 7
次の休日を待って俺はネージュと連れ立って教会に顔を出した。
司祭に話を聞いてみると、やはりというか教会では昏睡者の受け入れをしていた。
治療を試させて欲しいと言うと、喜んで迎え入れられる。
この辺の対応がスムーズなのは俺が時折こうして教会での治療活動をしているからだろう。
というか、前回治療に来た時にはまだ昏睡者は出ていなかったんだな。
黒マントの噂は結構前からあることを考えると、ふたつの事件に関連は無いのかもしれない。
教会では3人の昏睡者を受け入れていた。
他にも昏睡者はいるらしいが、それぞれの家庭で看病を受けているそうだ。
少年、壮年の男性、若い女性と、見事にばらばらの3人だが、その症状は酷似している。
呼吸は正常、脈拍も正常、うなされることはなく、淡々と眠り続けている。
体を起こして流動食を口に含ませると飲み込むので、衰弱までには時間的余裕があるそうだ。
排泄なども正常に行われている、と。
シスターたちはご苦労さまです。
まあ、詳しい話を聞いても中卒の俺に判断などできるわけもなく、いつもの浄化魔法からの回復魔法で様子を見てみる。
だが手応えがない。
病人や怪我人に回復魔法を使うと、なんらかの手応えを感じるものなのだが、それがまったくない。
至って正常な人に回復魔法を掛けているような感触だ。
「回復魔法では効果が無いようですね」
「神の御子でもどうにもなりませんか……」
「いえ、まだ試してみたいことがあります」
正直気は進まないが、ネージュにやったような相手の精神世界へのダイブを試みてみることにする。
この昏睡が精神的ななんらかの障害によって生じているものなのであれば、相手の心の中に原因がある可能性があるからだ。
「ネージュ、様子がおかしければ俺を引き剥がしてくれ」
精神世界へのダイブには相手への直接的な接触が必要だ。
まだ試したことは無いが、物理的に引き離すことでダイブは強制終了できる。と、思う。
「うん。任された」
頼りになる返事を聞いて、俺はとりあえず少年の手を握った。
一番心が汚れて無さそうだからね。
そして練った魔力を少年の中に送り込む。
彼の心と、俺の魔力が繋がり、俺の精神的分体が彼の心の中に入り込んだ。
暗闇だった。
ネージュのときと同じだ。
意識を失っている心の中は真っ暗だ。
俺は光球を生んで、少年の精神世界を照らす。
前例がネージュしか無いので、それを参考にするしか無いのだが、意識が失われていてもネージュの心はちゃんと活動していて、俺を救ってくれた。
同じようにこの暗闇のどこかに少年の心が居る可能性は高い。
しかし少年の精神世界をどれだけ探してみても、少年の心とは出会えない。
あちこちに光球を飛ばして、可視範囲を広げてみても結果は同じだった。
俺のような乱入者に怯え、隠れているという可能性もある。
だが気配さえ感じないのだ。
もうしばらく少年の精神世界を探し回って、俺は捜索を打ち切った。
「心が、いない?」
「すみません。俺なりの表現なのでそれが正しいかどうかは分かりません。だけど少年の心はどうしても見当たりませんでした」
「魂が死んでいる、ということなのでしょうか?」
脳死とは違うだろう。
っても脳死がどんなもんなのかは知らんけど。
脳死だったらあの精神世界に繋がることも無くなるような気がする。
そう、精神世界は存在するのだ。
だがその中に活動する少年の主体が無い。
それを魂と呼ぶのであれば、魂の不在とでも言おうか。
「魂の死体は見つかりませんでしたから、死んでいるわけではないと思いたいですが」
では少年の魂はどこに行ってしまったのか。
そしてどうすれば戻ってくるのか。
後の2人にもダイブを試みてみたが結果は同じだった。
何も分からないまま俺とネージュは教会を後にするしか無かった。
夜が訪れた。
夕食を食べ、ネージュと別れて部屋に戻ってくる頃には空は夕闇に包まれており、しばらくすると月明かりだけになった。
俺はランプの火を消して、部屋の灯りを落とした。
すでに着替えは終わっている。
防寒着を着込んだ外出仕様だ。
もちろん学園寮には門限があり、夕食後の外出は認められていない。
だがそんなものは転移魔法が使える俺には関係ない。
俺は王都の上空に転移する。
上空の寒さは刺すようで、俺は気温を操作して暖を取った。
こうして夜の王都に繰り出したのは言うまでもない。
黒マントとやらの噂の真偽を確かめるためだ。
そして昏睡事件と関わりがあるというのなら、その真相を力尽くでも聞き出す。
問題は黒マントをどうやって探すか、だ。
探知魔法は優秀だが、さすがに黒マントで検索することはできない。
屋内屋外の区別もできないから、屋外にいる人間で検索することもできない。
そうなると広すぎる王都を地道に目で探していくしかないな。
まあ、今日一日で見つかるものでもないか。
毎夜現れると決まったわけでもないのだ。
「なんか、あんた眠そうじゃない? そんなんで私に勝てると思ってんの?」
授業の合間の休み時間にシルヴィからそんな風に声を掛けられる。
「ちょっと野暮用がありまして。ご心配いただかなくてもちゃんと勉強もしていますよ」
「はぁ? 別に心配なんてしてないわよ。ただ調子が悪かったから負けたとか言い訳されてもつまんないわけ。分かった? 万全の状態のあんたを叩きのめすんだから、ちゃんと体調整えんのよ!」
「できるだけ努力しますよ」
さっさと黒マントさえ現れてくれればたっぷり睡眠も取れるのだが、捜索を始めて一週間。
昏睡者は増えるものの、接触はできていない。
「アンリ、無理はしないでね」
夜中の捜索のことを知っているネージュが小声で心配してくれる。
「無理なんてするつもりはないよ。ほどほどが一番さ」
シルヴィに寝不足を気付かれたのは失敗だったが、実際に勉強に影響が出るほどの無理はしていない。
勉強時間を削っていない分、睡眠時間が削られているのは事実ではあるのだが。
あー、さっさと出てきてくんないかな。
ただの変質者だったら一発ぶん殴ってもいいよね。
もちろん昏睡事件の犯人なら洗いざらい吐かせて捕縛するけど。
さらに一週間ほどが過ぎた。
期末テストが近づいている。
そろそろ捜索を打ち切って勉強に身を入れたほうがいいのかも知れん。
などと思っていた矢先のことだった。
夜の王都を包む静寂を甲高い悲鳴が切り裂いた。
上空から声のした方に向けて急降下する。
見えた。
走る女性と、それを追う黒マントの人影。
俺は両者の間を遮るように着地する。
「ようやく見つけたぞ。黒マント。おまえには聞きたいことがあるんだ」
闇夜に溶けるような漆黒のマントに、フードを目深に被っていて、その人影の顔も体格も知れない。
ただその身長はそれほど高くない。
俺と変わらない?
まさか子どもか?
「王都で起きている昏睡事件、おまえは関わっているのか?」
返事は無い。
黒マントはその場に立ち尽くしていて、身動きひとつ取らない。
まるで人形かなにかに話しかけているような気分だ。
「返事が無いということは肯定と見なすぞ」
そう言っても黒マントは答えない。
これは肯定か、それとも喋れないのか。
根本的に空から降ってきた子どもに不信感を抱いている可能性もありますね。
まあいい。ふん縛って無理矢理にも聞き出せばいいことだ。
俺は収納魔法から杖を取り出して構える。
まずは拘束する!
拘束魔法は魔法障壁の応用だ。
複数の物理的障壁を自分ではなく、相手を包むように発動する。
不可視の障壁は、拘束されたことを相手に知られないという利点もあるが、今は知らせたい。
発動した障壁を相手がまったく身動きできないほどに小さくして――、
「――ッ!」
黒マントを拘束しようとした魔法障壁は、その体に触れた途端に消えた。
抵抗されたのではない。
魔法の効果自体が消滅したのだ。
次の瞬間、黒マントが動く。
俺に向けて突進してくる。
咄嗟に張った魔法障壁が触れるだけで掻き消される。
目の前に迫った拳をギリギリで回避する。
身体強化魔法が間に合ったのだ。
でなければ直撃を食らっていた。
地面を転がって風魔法。
圧縮した空気の塊を投げつける。
黒マントは避けもしない。
命中した途端に魔法は拡散する。
無かったことになる。
もう一発。
今度は黒マントに触れる前に圧縮空気を解放。
暴風が巻き起こる。
黒マントのマントがはためいた。
魔法は消滅するが、魔法によって発生した物理現象は消せないってことか。
再び黒マントが迫ってくる。
直線的な動きは玄人っぽくはない。
まるで素人だ。
だが魔法が無効化されるというのなら、俺にとっては脅威だ。
杖を収納魔法に戻し、鋼の長剣を引っ張り出す。
子ども用のサイズの特注品だ。
剣術は素人同然だが、身体強化を使えば並以上には戦える。
かと言って人間相手に刃を向ける気にはならない。
向かってくる黒マントに向けて剣の腹で殴打する。
鈍い音が響き、長剣は素手で受け止められた。
というか、硬ぇ!
人間の肉体のそれじゃないぞ!
魔法を消滅させることといい、こいつ人間か?
殴りかかってくる拳を剣で受け止める。
身体強化した体で両手で剣を持っているにも関わらず、押し込まれる。
止めることは止めたが、腕が痺れる。
間髪入れず蹴りが放たれて、肘で受ける。
馬鹿力で蹴り飛ばされる。
地面を転がり、跳ね起きる。
インパクトの瞬間は効果があった身体強化が解けている。
やはり触れるだけで魔法を消し去るのか!
身体強化を掛け直す。
強化無しに直撃を食らえば骨くらい簡単に折れるだろう。
内蔵までやられるかも知れない。
幸い攻撃を食らう瞬間はまだ強化が生きているようだが、連打を食らえばその限りではない。
特に掴まれたらヤバい!
町中ということもあり、攻撃手段が限られる。
特に広範囲攻撃や、貫通力のある攻撃は、無効化されなかった場合に余計な被害を生むだろう。
つまり爆裂魔法や、レーザー魔法が封じられたわけですね。
岩砲弾ですら危うくて撃てない。
効かないかどうかを試すことすら躊躇われる。
なら重力魔法はどうだ。
ドラゴンでも叩き落とせる重力場の中を黒マントは平然とこちらに歩いてくる。
なら土の壁だ。
接近を嫌って俺が作り出した土壁だったが、黒マントが触れた部分だけが消滅する。
が、視界を遮る効果はあったようだ。
土壁を無いもののようにすり抜けた黒マントだったが、俺の姿を見失っている。
そりゃそうだろうよ。
土壁で視界が遮られた瞬間に転移で背後に移動したんだもん。
全力で刃を突き出す。
怪我くらいさせてもいい。
回復させりゃ済む話だ。
しかし刃はマントにこそ穴を空けたが、硬い感触に阻まれる。
それでも打撃としての効果はあったようで、黒マントは前に向けてもんどり打って倒れた。
追撃を考える間も無く黒マントはすぐに飛び起きる。
これだけ派手に動いても、黒マントの顔を隠したフードは小動もしない。
どういう理屈でそうなっているのかは分からないが、顔を確かめるには物理的な手段でフードを切り裂くしかなさそうだ。
その下に何を隠している。
牙か? 角か?
恐らくは魔族の尖兵だと思った。
魔族の国家であるレギュム連邦は王国の北にあるアルブル帝国のさらに向こう側だし、魔族がフラウ王国で何かをしたという前例は聞いたことが無いが、これが最初ということもありうるし、これまでの活動には気付けなかっただけかもしれない。
俺は剣を構える。
到底黒マントには当たらない位置で振り上げ、振り下ろす。
その途中で転移し、黒マントのすぐ横へ。
振り下ろされる途中だった剣は、回避の間も与えずに黒マントに命中する。
硬い感触。
だが分かっているなら振り抜ける。
黒マントが地面に転がる。
追撃はしない。
魔法を消してくるというのなら、掴まれるのが一番怖いからな。
転移を使ったヒットアンドアウェイ。
これなら一方的に攻撃できる。
後は相手の根気が尽きるか、こっちの根気が尽きるかの勝負だ。
ちなみにこっちの根気が尽きそうになったら転移で逃げます。
黒マントは不利を悟ったか、こちらに背を向けて走り出す。
だけど逃がすわけはないんだよなあ。
俺は剣を振り下ろしながらその背後に転移。
背中に向けて斬りつける。
地面に潰れるように倒れる黒マント。
俺は転移で10メートルほど距離を取る。
手を伸ばせば届きそうな距離だったからね。
油断はしない。
それからは黒マントが立ち上がる。
俺が転移で斬りつける。
その繰り返しになった。
一方的に攻撃しているように見えるが、一度掴まれればどうなるか分からない。
神経は尖らせている。
つーか、タフだな。おい。
ダメージは通っているように思えるんだが、その蓄積が感じられない。
1万くらいヒットポイントのあるボスにちまちま数十のダメージを与えているような感覚だ。
「いい加減諦めて知ってることを喋ったらどうだ? それとも喋れないのか?」
黒マントの反応はない。
徹底してますわ。
「まあいい。返事しないなら、動けなくなるまでぶん殴るだけだ」
攻撃を再開する。
転移、剣で殴る、転移――!
ようやくというか、黒マントのフードが破れて、その顔が顕わになった。
角も、牙も見当たらない。
俺より少し年長なだけの黒髪の少年だ。
もちろん見た目で油断するようなことはしないが、ごく普通の王国市民に見えた。
魔族は肌が黒いと聞いている。
どの程度の黒さなのかは知らないが、目の前の少年は肌が白い。
魔族では無い?
「何者だ? 魔族じゃ無いのか?」
返事は無い。
ぶっ倒して、ふん縛って身動きを取れないようにしてから尋問するしかないようだ。
なにか拘束できるような武器を所持しておくべきだったかもしれない。
だがこんなことになるとは思っておらず、収納魔法にはロープすらない。
俺は攻撃を再開する。
根比べだな。
ダメージ自体は与えられている感覚があるのだ。
いつかは削りきれる。
だが俺の方にも限界はある。
肉体的な疲労は回復魔法でどうにでもなるが、精神的な疲労はそうではない。
転移魔法を連続で使い続けているために、精神的な消耗が激しい。
ならこういうのはどうだ!
振り下ろす剣に重力魔法を乗せて、当てる瞬間にその重さを数十倍に跳ね上げる。
ぶった切るつもりで放った剣撃だったが、黒マントの肩口に食い込んだところで止まる。
重力魔法が消されてその効力を失う。
だが――、
食い込んだ?
剣を掴まれそうになって咄嗟に引く。
赤い血が刃に付着している。
なんだ、硬いだけでちゃんと傷つくんじゃないか。
活路が見えたことによって気力が回復する。
黒マントは自分の肩に触れて、血の付いた手を顔の前に持ってくる。
自らが傷ついたことが信じられないのかも知れない。
俺もちょっと驚いたもんね。
てっきり血の通っていない魔法生物か何かだろうと思っていたから。
次の瞬間、黒マントはそのマントを跳ね上げた。
その下から黒い翼が現れ、一気に飛翔する。
魔族ではないにしても、人間じゃねーじゃねーか!
俺は飛翔魔法でその後を追いかける。
黒マントが飛び上がった時、魔法の発動による魔力の流れを感じなかった。
魔法ではない、ということだ。
しかし翼の動きはその飛翔速度に比べて明らかに緩慢だ。
ドラゴンの飛翔に近いものを感じる。
ひょっとして魔物なのか?
黒マントはどんどん高度を上げる。
俺もそれを追う。
雲が同じ目線の高さになり、やがてそれを越える。
酸素が薄くなり、酸素を生成して呼吸を維持する。
つーか、奴はどうやって呼吸してるんだ!?
さらに上昇が続く。
気温制御しているにも関わらず、冷気が肌を刺す。
ダメだ! 限界だ。
肉体的にではなく、魔力が薄くなってきた。
これ以上は付いて行けない。
そもそも限界を越えて俺を遥か上空に引きずり込むのがヤツの狙いかもしれない。
この高度で魔法を消されたらどうなるか分からない。
これ以上は踏み込めない。
俺はさらに上昇していく奴の背中を、歯を食いしばって睨みつけ、地上へと転移した。
その夜、新たな昏睡者は出なかった。
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本日は異世界ファンタジー150位、総合週間275位でした。
じわ伸びです。ありがとうございます!
書き直してたら文字数が増えすぎましたが、切りどころが分からずそのまま行きます。
新たに現れた驚異は魔法を無効化する謎の相手でした。
魔族なのか、魔物なのか、そのどちらでもないのか。
はたして。
まだの方は是非とも作品フォローと☆☆☆での評価をよろしくお願いいたします。
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