第2章 魂喰らい 6
季節は冬になった。
学園への入学は秋だったので、季節がひとつ動いたことになる。
アドニス村やピサンリから遥か南西にあるオルタンシアは気候が温暖で、冬でも滅多に雪は降らないのだと言う。だからと言って決して寒くないわけではない。
俺は私服の上から防寒着を着込んで学園の正門の前に立っていた。もちろんネージュも一緒だ。
せっかく学園が休みの日を温かい室内で過ごさずにこうして外で立っているのには訳がある。
「おーい、待たせたか」
私服姿の女騎士、ジャンヌさんが手を振りながらやってくる。
私服とは言ってもパンツルックの上からコートを羽織っていて男装していると言われても疑わない。
コートを着ていてもおっぱいが主張しているんで、女性だとは分かるんですけどね。
そう、以前にジャンヌさんと話をした教会の主催する学校の見学が、ジャンヌさんの多忙が原因で冬にまでずれ込んだのだ。
「ネージュと話をしていたので退屈はしていませんでしたよ」
「そうか、しかし女性の体を冷やしてはいけないな。とりあえずは歩こうか。少しは体も温まるだろう」
俺の体が冷える心配はしていただけないんですかね?
まあ、ネージュの体の心配をしてもらえるのはありがたい。
男の俺には分からないこともあるだろうしな。
「学業の方はどうだい? ちゃんと勉強してるかな?」
「まあ、なんとか。競ってくる相手がいるんでやりがいはありますよ」
「いいね、好敵手。お互いに高め合う関係。燃える」
「私も負けない……」
むんと力を込めてネージュが言う。
あれ? ネージュに好敵手なんて居たっけ?
そもそも10歳のクラスに好敵手が居ていいんですかね? 年長者として。
記憶喪失だから許されるのか。
「姫様には負けない」
あー、なるほど、と納得する。
確かにリディアーヌの成績ならネージュと並んでますわ。
しかしネージュがリディアーヌを学業の相手として意識しているのは知らなかった。
それ以外の部分でリディアーヌを意識しているのは知ってる。
というか、リディアーヌが意識させるように仕向けているからね。
「ネージュさんの相手は王女殿下かい。それは大変だろうね」
「そう言えばジャンヌさんはリディアーヌ殿下とお知り合いみたいでしたね」
「まあ、女で騎士なんかをやっているとどうしても女性貴族の護衛に就くことが多くてね。そういう縁だよ。と言ってもまだ2年くらいの付き合いだけどね」
「じゃあ俺のほうがリディアーヌ殿下との付き合いは長いのか」
俺がリディアーヌと初めて会ったのは3年前だ。
その時にはもうリディアーヌという人格は完成されていたように見えた。
実に子どもらしくない子どもだったと言える。
ジャンヌさんの付き合いが俺よりも長いんだったら、それ以前のリディアーヌの話とか聞いてみたかったんだけどな。
「そっちの喋り方のほうが素かい? 今日は休みだし、肩の力を抜きなよ。別に誰かに告げ口なんてしないからさ」
「ならそうさせてもらうよ。正直、平民上がりとしては学園では息が詰まる思いでさ」
「そういうものか。私の頃には平民上がりなんていなかったから分からないが。貴族の養子になるくらい優秀なんだろう? あ、いや、君は魔法使いだったか」
「そういうこと。お勉強の方は正直得意じゃなくてね。なんとか付いていってる感じだよ」
「その割には校外学習は手堅くまとめていたじゃないか。あんなの普通の生徒はただ遊びにいくだけさ。正直、凄いのがいるなって思ったよ」
「あれは単にピサンリで食糧難を知っているから気になっただけだよ」
「そうか、君は大森林の大氾濫の当事者だったな。かの大氾濫ではドラゴン、ベヒーモス、フェニックス、ニーズヘッグ、単身で屠るなど考えもつかない魔物たちが出現したと聞く。その集団と戦い、生き延びるどころか殲滅したという君の魔法の力。正直信じがたい……」
「証拠を出せと言われれば出せるけど、別に信じてもらわなくてもいいんだよね」
「何故だ?」
「この力が現実にあると俺が知っているから。別に他人に認められようなんて思ってない。大切な人が守れて、自分の身も守れたらそれでいい」
「だがそれほどの力が本当にあるのなら、出世も名誉も思うがままだろう?」
「正直、よく分からないからさ。出世も、名誉も」
ジャンヌさんは少し考え込んだ。
「……そうか、君と話していると忘れそうになるが、まだ10歳なのだったな。だがだからこそ聞いておきたい。君はその力を何に使う?」
「とりあえず生活できるだけのお金を稼げる職業に就くことかな。一応、冒険者志望なんだ」
「冒険者、だって……」
くらくらと頭を揺らして、ジャンヌさんは頭を押さえた。
「いや、平民の10歳児だとそんなものか。力のある者は兵士より冒険者になりたがる傾向もあるし……」
ぶつぶつと独り言を言ってから、ジャンヌさんは俺に向き直った。
「私は君に騎士団に入ることを勧める。騎士団は君の力に意味を与えてくれる。多くの人の役に立てるぞ」
「お断りします」
「何故だ?」
「騎士団の一員になったら命令には絶対服従でしょ。もし俺の知り合いのいる村に魔法でも癒せない疫病が蔓延したとして、焼き払えと命令が出たら? ごめんだね。俺は最後まで諦めたりしない。結果的により多くの人が苦しむことになっても、俺は目の前の知り合いを見捨てたりはしない。俺は命令に従えるような人間じゃないし、正義の味方でもないんだ」
「……なるほど、君は善人なんだな」
「違うでしょ。俺の話聞いてた?」
「気にするな。褒め言葉で言ったのではない。善意で動く人間が正しいというわけではないからな。君を騎士団に誘うのは諦めることにするよ。初めから不服従な人間は騎士団には向かない」
「そうしてもらえると助かるよ」
「アンリは騎士団より強いから、騎士団に入る必要なんて無い」
唐突にネージュが言って、ジャンヌさんが笑う。
「あっはっは、確かにそうかも知れないな。人は弱いから群れるのだ。ネージュさんのほうが我々より本質を捉えているな」
ちょっと悪くなりかけた雰囲気がネージュのお陰で戻り、その後は他愛のないことで談笑しながら教会が教室を開いているという建物に着いた。
それは公民館で、教会が教室として借りる以外にも庶民が様々な催し物に使うのだという。
前世で言うところの学校の体育館くらいの広さだろうか?
天井は低い。
教室はすでに開催されていて、俺より小さい子どもから、成人直前と思しき子どもまで、多くの子どもで溢れかえっていた。
実に活気がある。
子どもたちは床に座り、手元の木片に黒炭で文字を書き付けている。
どうやら聖光教会の聖書の一節を書き留めているようだ。
まだ文字が書けない子どもには近くにいる文字の書ける子どもが教えているらしい。
ふむ、教会の人間が直接教えるというよりは子どもたち同士の互助で成り立っているんだな。
適当なタイミングで壇上に立った司祭らしき人物が、子どもたちが書き留めている一節の解説を始める。
どうやら見返りを求めずに他人のために尽くせば、神によってその魂は救われる、という内容であるらしい。
それって見返りじゃないのん? と思ったが、黙って聞いている。
やがて解説が終わると休憩の時間になった。
「すまない。ここで待っていてくれ」
そう言ってジャンヌさんが子どもたちの中に入っていって誰かに話しかけているようだ。
ようだとしか言えないのは、子どもたちが立ち上がったせいで視界が遮られたからだ。
俺も子どもだからね。しかたないね。
子どもたちは休憩時間に体を動かすのか、公民館からぞろぞろと出ていく。
やがて深刻な顔でジャンヌさんが戻ってくる。
「どうかした?」
「うん。実は……、いやここで話すことでもないな。帰りでいいか?」
「いいよ。そろそろ休憩時間も終わるみたいだ」
続いては算数の時間だった。
足し算引き算だけの簡単なものだが、繰り上がりや繰り下がりに苦労する子どもは多いようだ。
そして算数の時間が終わると今日の教室は解散となった。
俺たちは一応教会の人らに挨拶だけして帰路につく。
「実はな、校外学習の時に王女殿下に話した黒マントの話を覚えているか?」
「ああ、被害は特に出てないって話じゃなかったっけ?」
「そうだ。だが噂はまだ消えていない。そして最近なんだが、謎の昏睡者が出始めた。黒マントとの関連は分からん。だが民衆は黒マントの仕業だと思って、恐れている。先の教室に通っていた子どものひとりも、先日昏睡状態に陥った」
「被害者に何か共通することは? 黒マントとの関連が噂されるなら、夜中に出歩いていたとか」
ジャンヌさんは首を縦に振った。
「ああ、まさしくそれだ。昏睡者は皆、外にいて昏睡状態に陥っている。黒マントと被害者が一緒にいたところは見掛けられていないが、これは有力な情報だと言えるだろう」
「騎士団は動かないのか?」
「難しいところでな。昏睡者が平民に限られている以上、騎士団が動くには理由が弱い。衛兵の仕事だというのがおおよその意見だ」
「ははぁ、それでひとりで調べている、と」
「何故それを!?」
「勘かな」
事件についてやけに詳しかったり、推測はできましたけどね。
「とにかく君たちも気をつけて、不審な人物には近寄らないように。まあ、学園は警備も厳重だ。そんなに心配はしていないけどね」
そうしてジャンヌさんとの教室視察は終わり、学園前で別れ、俺とネージュもそれぞれの部屋に帰った。
それにしても黒マントか。ちょっと気になるな。
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今日も遅くなってしまって申し訳ありません。
さて不穏な気配が漂ってまいりました。
本日は異世界ファンタジー週間154位、総合週間289位でした!
何気に過去最高順位では?
皆様のおかげです。ありがとうございます。
まだの方は是非とも作品フォローと☆☆☆での評価をよろしくお願いいたします。
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