第1章 大氾濫 17
「アンリ様、査定額がまとまりましたので分配についてご相談したいのですがお時間よろしいですか?」
その日の勉強が終わり、ストレス発散に向かおうとしていた俺を呼び止めたのはジルさんだった。
「うん、大丈夫だよ」
「ではざっとですが――」
ジルさんが金額を述べていくが、正直なところ金の価値なんて分からないので、うんうん頷いておく。
「――というわけで一度にまとまった資金を渡すのではなく、小分けにしていこうと思っております」
「そうだね。ならジルさんがいいと思うようにやっちゃって」
たぶんそれが一番正しいと思います。
「ありがとうございます。いずれピサンリにはアンリ様の像が立つかもしれませんな」
「それは止めて!」
そんなことを廊下で話しているとネージュがひょっこりと顔を出す。
「アンリ、見つけた」
「ネージュも今日の勉強終わり?」
「うん。終わった。アンリ、お話しよ?」
「あー、でも魔物の駆除のお仕事があるからなあ」
実際はもう俺が出張らなくても問題はない。
だがネージュのお話はどうにもとりとめが無くて俺は苦手だ。
いわゆる女の子の会話であり、女性との付き合いの経験がほとんど無かった俺には辛いものがある。
すみません、見栄張りました。
全く無いです。
とにかく女性経験値が少ないのだ。
苦痛ですらある。
そんなことより勉強で凝り固まった肉体と精神を魔物を虐めることですっきりさせたいのが男の子だ。
「何時なら時間ある?」
「今日は無理かも。夕食も家で食べることになってるんだ」
「分かった。じゃあ明日ね。約束」
「うん。約束」
ネージュが小指を突き出してくる。
約束の度に抱きしめられていては俺の精神が保たないので、指切りを教えたのだ。
ネージュと小指を絡ませて約束を誓う。
切った小指をネージュは満足げに握りしめた。
そんな彼女を残し、俺は貴族服から私服に着替え、屋敷の庭園から飛び立つ。
大氾濫が始まる前と比べて俺の魔力変換許容量は大きく成長していた。
やはり限界まで使う機会ができたことが原因だろう。
どこかで大爆発を起こしてその音がピサンリまで届いても、ああ、またアンリか。で、済むからな。
一方で制御にも自信がついた。
これは最強種相手に殺し方を色々実験していた結果だ。
緻密な、とまでは言えないが、今なら風の刃で大森林に更地を作るようなことはないはずだ。
しかしそんな俺の成長に伴い、それを試せる相手はほとんどいなくなってしまった。
こうなると寂しいものだ。
今ではある程度以上の大きさで探知魔法を展開しながら最強種を探して回る始末である。
ネージュにはああ言ったが、今日は気分を変えて別のことでもしてみようか。
そうだ、王都方面に向けて飛んでみよう。
どうせ帰りは転移魔法が使えるし、王都には届かなくとも、次からは転移魔法でそこから再開できる。
ピサンリから王都オルタンシアは馬車で一週間ほどの距離だという。
ピサンリからアドニス村が馬車で一日だから七倍かと思ってしまうが、大森林の中の街道は馬車にとっては走りにくい道であろうから、実際にはもう少し長いに違いない。
多めに見て10倍の距離があるとして、それでも全速力で50分程度だ。
なんだ、意外に近いじゃないか。
今後のことも考えると転移できるように一度行っておくのはいい考えに思えた。
俺はピサンリから伸びる街道沿いに加速を始めた。
結局二時間ほど飛んだ俺の眼下には王都オルタンシアが広がっている。
なんせ街道とか全然真っ直ぐじゃないんだもん。
最高速度で飛んでたら曲がりきれませんよ。
何度行き過ぎて戻ったことか。
道中いくつの町の上を飛び越えたかも分からない。
ちなみにピサンリなどの救援に向かうと思われる軍隊の姿も見かけた。
普通なら大氾濫が収まるのには数ヶ月はかかるそうだから、必要な援軍なのだろう。
領主は村長から大氾濫の報告を聞いてすぐ王都に早馬を走らせたそうだから、それで数日、軍の編成にかかる時間などを考えると国はかなり素早く判断を下したことになる。
まあ、ピサンリにはもう無用ですけどね。
でも他の町なんかには必要かもしれない。
最強種は大体片付けたとは思うが取り逃がしもあるだろうし、普通の大物でも一般人たちからしたら厄介な敵なのだ。
それはさておき、思っていたより時間がかかったのでもう日が暮れかかっている。
それにどうせ王都に入ることはできない。
直接降り立つわけにはいかないし、門から入るには入門税がいる。
あれ、おかしいな、俺って金持ちになったんじゃなかったっけ?
だが俺の収納魔法には銅貨の一枚も収められていない。
正真正銘の一文無しである。
アドニス村ではお金なんて必要なかったし、持ち歩く習慣ができてない。
ドラゴンとかを売ったお金は全額ジルさんに任せてしまったし、以前に領主から貰ったお金もネージュのネックレスを買った残りは母さんに全部渡してしまった。
こんなことなら端金でいいから残しておくんだった。
まあ、今日は王都に入ったとしても見て回る時間など全くないから今度にしよう。
その時までにお金を用意しておかないとな。
俺は転移魔法でピサンリ上空に転移した。
そしてすぐさま異変に気付く。
異常なほどの魔力の高まりが領主の屋敷付近から感じ取れる。
今の俺の最大変換量を超えるほどの魔力。
ただ事ではない。
すぐさま領主の屋敷目指して降下する。
心当たりはひとつしか無い。
「ネージュ!」
彼女の部屋を目指して廊下を駆ける。
これだけの異変が起きているというのに、魔力を感じ取れない人々からすると平穏な夕刻の一時なのだろう、メイドさんからは白い目で見られた。
だがそんなことはお構いなしだ。
魔力の高まりはやはりネージュの部屋からだった。
ノックもせずに扉を開ける。
「きゃっ!」
中に居たメイドさんが驚いた声を上げる。
「ネージュ!」
部屋のベッドにネージュは横たわっていた。
意識はなく、衣服ははだけており、メイドさんはネージュの体を拭いていたようだった。
そしてその首にネックレスがかかっていない。
咄嗟にネージュに駆け寄って遮断の魔法をかける。
しかし部屋の中に充満した魔力はすでに形を得ていて拡散する様子はない。
「女性の部屋にノックもなしに入ってきては駄目ですよ。アンリ様」
「ネージュになにがあったの?」
「それは……、さきほど急に意識を失われたのです。すごく熱があって……」
すでに魔法としての形を得た魔力に俺は干渉することができない。
そうこうしているうちに、魔力ははっきりとした形を得て――、
俺は咄嗟にネージュとメイドさんの手を掴み、その場から転移した。
突如として景色が入れ替わり、ネージュの部屋から庭園に移動してメイドさんは目を丸くしている。
そして同時に領主の屋敷から大きな破砕音が響き渡った。
顔を向けると一匹のドラゴンが領主の屋敷の外壁から首を覗かせている。
もちろんネージュの部屋のあった辺りからだ。
俺はドラゴンの頭部を水で包む。
このドラゴン、魔法に対する抵抗が強い。
頭部を水に包まれつつも、ドラゴンはブレスを吐いた。
水を突き破って炎が撒き散らされる。
俺は飛翔魔法で飛び、屋敷に被害を与えない位置まで移動すると、レーザーでドラゴンの首を落とす。
二、三度大きく痙攣するとドラゴンは動かなくなった。
俺は水魔法で庭園の火災を消火してからドラゴンのところに行き、収納する。
屋敷の建材がガラガラと崩れ落ちる。
「怪我人はいないか!?」
叫びながら探知魔法で人の気配を探る。
幸い瓦礫などに巻き込まれた人はいないようだ。
突然の轟音と振動に屋敷からわらわらと人が避難していく。
その中に領主の姿を見つけ、俺は飛翔魔法でそこに降り立った。
「申し訳ありません。領主様」
「おお、アンリ、いったいなにが起きたのだ?」
「分かりません。ただネージュの側で魔力が膨れ上がり、実体化してドラゴンになりました」
俺は歯噛みする。
怪我人が出なかったのは幸いだが、俺の責任だ。
「ネージュは魔物を呼び寄せていたのではなく、魔物を作り出していたのかも知れません」
そう考えるとネージュと魔物たちの間にリンクが通じていた理由も分かる。
俺の召喚魔法と同じだ。
魔物たちにとってネージュは母親のような存在だったのだろうと考えると、大氾濫の真ん中でネージュが無事だった理由も分かる。
あのドラゴンもネージュを喰らおうとしていたのではなく、鼻先で触れようとしていただけかも知れない。
まるで子どもが母親に甘えるように。
「ともあれ、ネージュの力の本質を見抜けなかった俺のミスです」
「そう言うな。どうやら怪我人はいなかったようだ。屋敷に大穴は空いたがな。はっはっは」
そう笑ってから領主は真面目な顔になった。
「しかしこんなことが続くようならネージュ殿を屋敷に置いてはおけん。どうにかできないのか、アンリ」
「遮断の魔法を付与した魔道具を身に着けている間は大丈夫でした。しかしネージュは今日、突然倒れたと聞きます。魔道具が彼女に負担を掛けていた可能性も……」
そう言ってからネージュがネックレスをしていなかったことを思い出した。
「すみません、少し失礼します」
俺は慌ててネージュの部屋があったところに飛翔魔法で飛び込んで、ネックレスを探し回る。
なんとか瓦礫の下からそれを見つけて、ネージュのところに飛んでいって、彼女の首にそれを掛けた。
それから覚悟を決めて、意識の無いネージュを収納魔法に入れた。
「お待たせしました」
「見ていたぞ。アンリ。ネージュ殿をどうした?」
「収納魔法に入れて時間を止めました。とりあえずはこれで問題を先送りできます」
「それは……、本当にそれでいいのか?」
「だって、そうするしかっ!」
ボロボロと涙が零れ落ちる。
なんだよ。
俺、41年生きてるんだぞ。
なんでこんなことで涙が止まらないんだよ。
だけど心の中には冷静な大人の自分もいて、これが最善の手段だと自分に言い聞かせている。
今は無理なだけだ。
いつかネージュの問題が解決できるようになったら、その時に解放してあげればいいじゃないか。
今、ネージュに現実を突きつけても苦しませるだけだぞ。
でもそのいつかって何時なんだ!?
――約束。
不意に頭の中でネージュの声が聞こえた。
右手の小指がやけに熱い。
そうだ、俺はネージュと約束したじゃないか。
明日、お話をするんだって。
嘘吐いたら針千本――。
俺は歯が割れるほどに食いしばった。
「領主様、ここに今倒したドラゴンを出します。屋敷の修繕費として受け取って下さい」
「おお、それは構わんが」
「それから俺はアドニス村に行きます。ネージュの問題を解決できるまで帰りません。家族にそう伝えてくれませんか?」
当惑した領主の顔が、段々と不敵な笑みに変わる。
「心を決めたのだな」
「はいっ! 必ずやり遂げて戻ります!」
「分かった。後のことはすべて任せておけ。やりたいようにやってくるがいい」
「ありがとうございます!」
そして俺は庭園にドラゴンの死体を出すと、飛び立った。
アドニス村へ――。
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