第1章 大氾濫 14

 リュシーのことがあってから俺は避難民たちの生活にも目を向けるようになった。


 それで分かったことは、思っていた以上に避難民たちの生活は厳しいというものだった。


 少し考えれば分かることだが、ピサンリが受け入れた避難民はアドニス村の民だけではない。

 ピサンリの周辺にはいくつも農村があって、俺から大氾濫の話を聞いた領主はすぐさま各地に早馬を走らせていた。

 結果的にピサンリは数千人の避難民を抱えている。


 領主は避難民に生活費としていくらかの金子を配ったが、供給が絶たれた食料品は値段が高騰。

 ほとんどの避難民が食うにも困っている。


 男たちは冒険者ギルドに日参し日銭を稼いでいるが、急に千人を超える働き手が現れては、流石に仕事の数が足りない。

 根っからの冒険者や、腕に自身のある者は防壁の守りに参加しているが、そうでない者の生活は困窮しているのが現状だ。


 そんな避難民たちの生活をギリギリで支えているのが教会の炊き出しだった。

 教会についてはそれほど、いや、まったく無知なのだが、どうやら夕刻になると各広場にシスターたちが現れて、野菜の入ったスープを避難民たちに配っているらしい。


 俺がそれを知らなかったのは我が家は炊き出しの恩恵を受けていないからだ。

 父さんが領主の屋敷で安定的に収入を得ていることと、俺が領主から貰ったお金の残りを家に入れたからであるらしい。


 母さんによると金銭的に余裕があるのに施しを受けてはバチが当たるということのようだ。

 我が家の家族が炊き出しの列に並ばないことで、もっと貧しい家の人々がスープをもう少し多く手に入れることができるかも知れないという考えもあるようだった。


 そんなことを言いながら母さんは手仕事の籠を作っているんですけどね。


 かつて生活保護を受けられないかとか考えていた自分からすれば、実に立派な考えで耳が痛い。


 いや、働く気が無かったわけではないんですよ。

 でも35歳職歴無しを雇ってくれるような職場なんて無いだろうし……。そんな言い訳をしながら履歴書を書いたことすら無いんですけどね。


 それはさておき、教会に興味はあった。


 俺を転生させたのは天使さまだったが、天使さまがいるということはその上に神様がいることはほぼ間違いなく、教会というのもそんなに胡散臭くはないのではないだろうか? という考えである。


 実際、こうして奉仕活動によって避難民の生活を支えてくれている。

 まあ、村人が俺のことを神の子だとか言い出していることからして布教活動も怠っていないようではあるが。


 俺は空き時間を使って教会に足を向けた。

 ピサンリの教会は思っていたのよりずっと普通の建物だった。

 ヨーロッパ風の大聖堂みたいなのを想像してたから拍子抜けだ。

 ちょっと大きなお屋敷くらいの見た目でしか無い。


 開け放たれている扉から中に入ると礼拝堂だった。

 いわゆる長椅子がずらりと並んでいて、奥に神父が説教をするお立ち台みたいなのがあるヤツだ。

 その奥には立派な石像が立っている。

 髭を生やした老人の像だ。


 あれが神様なのだろうか。

 転生のときに神様と会っていればどれくらい似ているのか分かるのだが、残念ながら俺が会ったのは天使さまだけだ。


「まあ、小さな信者さんね」


 礼拝堂の中を掃除していたシスターが俺の姿を見つけて話しかけてくる。


「こんにちは。ここが教会ですか?」


 大人が言ったら、見りゃ分かんだろうって返されかねないほどの質問だが、6歳の子どもが言ったなら可愛い確認の言葉である。


「そうよ。お祈りに来たの?」


「はい。それと炊き出しのお礼を言いに」


「避難して来た子かな? 初めて見る子だなあって思ったのよ」


「はい。両親と一緒に避難してきました」


「どの村かしら?」


「アドニスです。ご存じですか?」


「まあ、それじゃあアドニス村の魔法使いのことを知ってる? アンリ君って言うらしいんだけど。君と同じくらいの年の男の子で、金髪碧眼の……」


 言いながらシスターは瞬きした。


「君かー!」


「俺ですー!」


 あまりの勢いに誤魔化すとかそんなことを考える間もなく返事してしまう。


「女の子みたいだとは聞いてたけど、女の子かと思ったわ。ほえー、はえー、君が魔法使いのアンリ君かー」


 ホウキを片手にジロジロと俺を見ていたシスターだが、急に居住まいを正すと咳払いをした。


「こほん、ようこそ、聖光教会のピサンリ支部へ。奇跡を起こした神の御子を私たちは歓迎します」


 やっぱり教会が出どころか。

 神の御子が神の子になったのはリュシーが聞き違えたか分からなかったか、その辺なのかな?


「えーっと、その神の御子というのはいったいどこから」


「そうですね。人は誰しも神の子ですが、その神から特別に愛された子のことを神の御子と呼んでいます。魔法という特別な力を持ったあなたは間違いなく神の御子なのですよ」


「なるほど。特別な才能を持った人を指す言葉なんですね。ですが俺にそんな言葉は大仰すぎます。俺は両親の子ですし、普通にアンリと呼んでください」


「それはそれ、これはこれ。あなたは教会から神の御子として認定されることになるでしょう。王都と連絡が取れない今は無理だけれど、いずれは必ず」


「そうですか……」


 魔法の力が周りに知られたことによるめんどくさい出来事シリーズのようだ。


「でも私は遠慮なくアンリ君と呼ばせてもらうわね」


 シスターはお茶目に俺にウインクしてみせる。


「そうだった。お祈りに来たんだったよね。邪魔してごめんね」


「いいえ、それからいつも炊き出しをありがとうございます」


「神の思し召しです。感謝の言葉なら神へ捧げてくださいね」


 シスターから解放された俺は長椅子に座り、天使さまがしていたように胸の前で手を握り合わせて神に祈ることにした。


 この世界に転生させてもらったこと、授けてもらった魔法の才能のお陰で家族や村の人々を守れたことを感謝する。

 それから炊き出しのこともだ。

 まあ、これも神様に直接届いてるって言うより天使さまが仲立ちしてそうではあるけれど、それはそれで天使さまにも感謝を捧げておく。


 というか、かの天使さまは前世を一部始終見ていたような口ぶりだったけど、ひょっとして今も見られているのだろうか。

 それとも俺を転生させたことで安心して、別の仕事に精を出しているのだろうか。


 さすがに世界にこれだけいる人々にそれぞれ担当天使さまが付いているわけもないから、きっと今は見られていないよね。

 そういうことにしておこう。

 でないと精神衛生によろしくない。

 ずっと天使さまの目を意識して生きていくなんて無理だ。


 将来誰かと結ばれそうになった時に天使さまの目が気になって役に立たないという悲劇すらありうる。

 見られて興奮するタイプの変態じゃないのはメイドさんで実証済みなのである。


 というか、お祈りのはずがすっかり下世話な妄想になってしまった。

 お祈りなんて習慣は身についていないのだ。

 こうなるのもむべなるかな。むべむべ。


 ごめんなさい。神様、天使さま。

 これからは折を見てお祈りしに来ます。


 手を解いて目を開けると、シスターと目があった。

 一応掃除の手は動かしているようだが、俺の様子を伺っていたらしい。


「ずいぶん熱心にお祈りしてたね」


「教会に来るのは初めてだったので、神様への報告がたくさんあったんです」


「きっと神様も喜んでいると思うわ。ところでアンリ君は今時間ある?」


「夕食時までに家に帰らなくてはいけませんが、それまでなら」


「兵士さんから聞いたんだけど、怪我人を癒せるって本当?」


「回復魔法のことですね。あんまり使ったことは無いのでどこまでできるか自分でも分からないんですけど」


「それって病気も癒せるのかしら?」


「ある程度は」


 家族の風邪などの治療をこっそり回復魔法でやったことはある。

 病原菌を消し去ったり、免疫力を高める効果があるみたいだった。

 つまり風邪ならてきめんに効果があった。


「もしアンリ君が良かったらの話なんだけど」


「病人がいるんですね。お手伝いできる範囲でよければ」


「お礼はできないのだけれど、いいかしら?」


「いいえ、こちらこそ炊き出しのお礼です」


「ありがとう。こっちよ」


 シスターに案内されて礼拝堂から移動する。

 別棟の建物に入るとむわっと異臭が漂っていた。

 嗅ぎ慣れない臭いだ。

 吐き気を催すほどではないが、鼻をつまみたいくらいではある。


「ひどい臭いだけど我慢してね。臭いが漏れるとご近所からの苦情があってね、換気もできないのよ」


「にしてもひどいです。臭いだけで病気になりそうですよ」


「吐瀉物や汚物、薬草の臭いが入り混じってこんなことになっているの。清掃はきちんとしているのだけどね」


「ちょっと待って下さいね」


 俺は浄化魔法を発動して異臭を消し去る。

 ついでに空気中や壁などに付着した病原菌も消えたはずだ。


「臭いが……、これはアンリ君が?」


「はい。汚れなんかも一緒に落としたんですけど、ほとんど変わりありませんね。清掃が行き届いている証拠です」


「すごいわ。これは期待できるわね。ここよ」


 シスターに案内されたのは広い部屋にベッドが並んだ、俺の貧困な知識からすると野戦病院と言った趣の部屋だった。

 うめき声を上げる病人が所狭しと並べられ、ベッドの数が足りずに床に転がされた者もいる。

 病気の種類は分からない。

 医者じゃないし、分かるわけもない。


 とりあえず俺は浄化魔法で部屋の臭いや病原菌を一掃する。

 それから範囲回復魔法で部屋中の病人たちに一斉に回復魔法を掛ける。

 回復魔法は光が舞い踊ったり、患者の体が光を放ったりはしないので地味で分かりにくいが、うめき声は静かになった。


「患者さんたちの顔色が……」


 シスターは見ているところが違うようだ。

 病人たちの顔色なんて見てなかったからどう変わったのか分からない。

 痩せこけている者が多いが、血色が通っていて、今すぐ命に別状がありそうには見えない。


 念のためもう一度全体に回復魔法を振りまいて俺はシスターに向き直った。


「病気の元は消し去ったと思います。体力なんかも回復させたので、後は食事をしっかり与えて休ませればいいでしょう」


「こんなあっという間に。これは神のお導きなのかしら。患者さんたちにはアンリ君のことを必ず伝えるわ。本当にありがとう」


「患者さんに伝えるのはいいですけど、あんまり喧伝しないでくださいよ。俺だっていつも来られるわけじゃないんですから」


「そうね、アンリ君には町を守る大事なお仕事があるのだものね。でもここは教会だもの。困った人を受け入れないわけにはいかないわ」


「時々は顔を出すようにします。神様にお祈りもしたいですし」


「ふふ、本当にいい子ね。だから神様も祝福を下さったのかしら?」


 いいえ、間違って違う世界に生まれて死んだからです。

 とは言えずに俺は曖昧に笑っておくことにした。




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異世界ファンタジー週間239位に上がっていました!

また総合週間の420位にもランクインです!


皆様の評価や応援のおかげです。ありがとうございます!

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