第1章 大氾濫 13

「女の臭いがする」


 ある日、魔物狩りを終えて家に戻るところをリュシーに捕まった。

 かと思えば放たれた一言がこれだった。


「やあ、リュシー、久しぶり……」


 今の俺から臭いがするとすればそいつは魔物の血の臭いだぞ。


 領主は晩餐に参加する時はその前に風呂に入らせてくれるが、参加しない日はそうではない。

 だからこうして日のあるうちに家に帰る時は俺は風呂に入っていない。

 そう言うと汚そうだが、帰ってからちゃんと濡らした布で体は拭いているからな。


「久しぶりね、アンリ。それとも魔法使い様って言ったほうがいい?」


「アンリでいいよ。俺はなにも変わってないんだから」


「そう? でも皆はそうは思ってないみたい」


「だろうね。でもどんな話になってるか聞いてもいい?」


「村の聖者、精霊様の御使い、神の子、他にも色々あるわよ」


「うわぁ……」


 村で最初に魔法を使ったとき、悪魔の子と呼ばれたのが今では神の子か。

 というか宗教にもよるけど人間ってみんな神の子じゃないん?


 アドニス村では宗教は一般的ではなかった。

 人々が信じているのは精霊様で、それは万物に宿る精霊様が恵みをもたらしてくれるというものだ。

 八百万の神々という概念のある日本人からの転生者としては、比較的受け入れやすい信仰だと言えた。

 そんな村人たちの間から神の子という言葉が出てくるとは。


「あ、もしかして教会が炊き出しとかしてる?」


「あら、よく分かったわね。領主様のところでご飯を食べてるアンリには関係の無い話でしょうに」


「今日は食べてないよ」


 なんだか今日のリュシーはやけに噛み付いてくるな。

 なにか気に入らないことでもあったんだろうか。


「ふぅん、屋敷でメイドさんに囲まれていい思いでもしてるんじゃないの?」


「いや、してませんよ?」


 視線が横に滑る。

 そんな俺をリュシーは半目でじとーと見つめてきた。


 だって仕方ないんや。

 風呂に入る度にメイドさんたちに体を洗われるのは不可抗力なんや。

 あとネージュが一緒にお風呂に入りたがる。

 今のところは逃げ切れているけど、それもいつまで続くか分からない。


 ネージュの全裸は見たことがあるけれど、それは彼女の意識が無かった時の話だ。

 あの時は救護に夢中でいやらしい気持ちなんて微塵も沸かなかった。


 ホントだよ。

 ただ思い出すとヤバイ。

 そんなわけだから一緒にお風呂はもっとヤバイ。

 なにがってナニがだよ!


 ネージュはなんとも思わないかもしれないが、ひとりヤバそうなメイドさんがいるんですよ。

 あの人、俺の風呂の手伝いだけは欠かさないからね。皆勤賞である。

 そんな人に臨戦態勢のナニを見られたらどうなるか分からん。

 6歳にして貞操の危機である。


「あやしい……」


 ですよねー。

 自分でも隠しきれてないなーって思ってました。

 来いよ! 41年の人生経験! 俺にポーカーフェイスを与えてくれ!


 だが無情なるかな、ぐいぐい顔を寄せてくるリュシーから俺は目を逸らすことしか出来ない。

 そりゃそうだ。

 少なくとも前世の35年は無駄な人生経験でした。

 家族がいなかったせいで引きこもりとまではいかなかったけれど、決定的に対人スキル磨いてこなかったからね。

 コンビニで店員さん相手にどもっちゃうから。


「で、本当のところはお屋敷でなにをしてるの?」


「魔物の処理が半分、もう半分は勉強かな」


「勉強? アンリが?」


「なんだよ。おかしいか?」


「ううん。おかしくはないけど、意外。てっきり遊んでいるものだとばかり思ってたから」


「失礼な。これでもいろいろ頑張ってるんだぞ。村は守りきれなかったけど」


「そう、なんだ。村、帰れそうにないの?」


「いや、空を飛ぶ魔物に馬がやられたりしたくらいかな。建物とかに被害はほとんど無いよ。修繕は必要だろうけど、大氾濫が収まれば村に戻れると思う」


「そっか、良かった。じゃあ、また元の生活に戻れるんだね」


「そうだね」


 だがそこに俺と俺の家族は居ない。

 ストラーニ家の養子になる件はまだ返事をしていないが、俺が領主のところで勉強を続けることは決定事項だ。

 実際、父さんも冒険者ギルドではなく、領主の屋敷に通いで仕事をし始めている。


「なにか隠してる?」


「か、隠してないよ」


「ウソだ。アンリはウソが下手だからすぐ分かるよ」


 リュシーは確信を持っているようだったので、誤魔化すのは止めることにした。


「……俺は大氾濫が終わっても村には戻れない。領主様のところで勉強を続けるんだ」


「ウソ、じゃないのね……」


「うん……」


「そっか、アンリは遠くへ行っちゃうんだね」


 リュシーは振り返って俺に背中を見せる。


「なにも変わってないなんてウソばっかり……」


「リュシー……」


 リュシーは服の袖でごしごしと顔を擦った。

 そして振り返る。目が赤いがそのことに触れるのは無粋と言うものだろう。


「なんてね。あーあ、私、アンリのお嫁さんになるんだと思ってたんだけどなあ」


「リュシー?」


「違うの。アンリが好きとかじゃなくてね。村には他にも男の子はいたけど、みんな乱暴者だし、アンリは優しいし、自然とそうなるのかなって思ってたんだ」


 女の子の成長は早い。

 それは肉体的にも精神的にもだ。

 俺は成人したら村を飛び出して冒険者として活躍する未来しか見ていなかった。

 一方でリュシーは地に足をつけた村での生活を夢見ていた。


 だがそのどちらも失われてしまった。


「きっとそんなことを思うのも今だけだよ。すぐにリュシーにも好きな人が出来て夢中になるさ」


「その相手は、アンリが良かったなあ」


 だけど離れ離れになってしまえば、気持ちは薄れるだろう。

 かつての両親の死をあんなに嘆き悲しんだのに、数年もすれば気にならなくなってしまったように。

 時間からは、忘れるということからは逃げられない。

 離れている時間が気持ちを強くするなんてのは幻想だ。


「ありがとう。そしてごめん」


「謝らないでよ。別にアンリのことが好きなんじゃないって言ってるじゃない」


「そうだったね。ごめん」


「だから謝らないでって!」


「だったらどう返事すればいいのさ」


「黙って抱きしめればいいの」


 俺は言われた通りにした。

 リュシーは俺の肩に顔を埋めて泣いていた。





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週間異世界ファンタジー295位に上がりました!


本当に皆様のご助力のお陰です。


ありがとうございます!

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