第1章 大氾濫 12
とは言ったものの、エルフであるネージュを連れていけるのなんて領主の屋敷以外に無い。
あまりにも美しい彼女のことを狙う輩はいくらでも湧いてくるだろうし、まずは領主のところで常識を身に付けてもらわなくては。
「それは旦那様がアンリ様に求められていることと同じなのでは?」
ジルさんにそう言われてぐうの音も出ない。
大氾濫が落ち着いたら俺の勉強も始めるということを約束させられる。
どちらにせよネージュに会いに毎日領主の屋敷には行かなくてはいけないのだ。
逃げようがない。
さすがに人をひとり預けるということをジルさんに放り投げて後はよろしくというわけにもいかないので、領主に時間を取ってもらって直接会うことになった。
エルフに会うということでか、執務室ではなく応接室に通される。
領主が先に待っていたことからもエルフという存在の希少さが分かる。
「ようこそピサンリへ。ネージュ殿、我々はあなたを歓迎する。あなたの置かれた困難な状況もすでに理解しています。是非とも客人としてこの屋敷に滞在してもらいたい」
「此処に居れば毎日アンリと会える?」
「もちろんそのように取り計らいましょう」
俺の意思はガン無視である。
言われなくともそうしなきゃいけないし、そうするつもりだけど。
「それならそうする」
「ではまず衣装ですな。メイド姿もよくお似合いだが、美しいあなたにはもっと相応しい衣装があるでしょう」
「それよりお腹が空いた」
「そう言えばまだなにも食べさせてなかったっけ」
「すぐになにか作らせましょう。好き嫌いなどはありますかな?」
「分からない」
「そうでしたな。ではそれも任せておいてくだされ。ジル、彼女を案内するように」
「承知致しました」
「……アンリ、また後で」
「うん」
ジルさんに連れられてネージュは部屋を出ていく。
その瞳に少し不安の色が過ぎっていた気がするが、今は領主の屋敷の人々に慣れてもらいたい。
彼女はここで生活することになるのだ。
後には領主と俺だけが残された。
「エルフとは、君にはつくづく驚かされるな。アンリ」
「すみません。厄介事を押し付ける形になって」
「事の難解さは理解しているよ。魔物を呼び寄せるエルフの少女。公にはできまい。しかし君のこともそうだが、私には陛下にすべてを報告する義務がある」
「ネージュの身元を俺の傍から離せないことは分かっていると思っていいですね?」
「もちろんそのことは念を押す。陛下がネージュ殿の身柄を欲しがったとしても、必ず君を同行させるつもりだ。だがそのためにも君には早く教育を受けて貰いたいところだな」
「それも分かりますがネージュを連れてきたことで大氾濫の中心部にいた危険な魔物が拡散しています。ピサンリの防衛を疎かにもできないです」
「分かっている。ドラゴンも一匹ならなんとかなるかも知れんが、複数いるとなるとどうにもならん。町が滅ぶ。一匹でも受ける被害を考えたら遠慮しておきたいところだな」
「どちらにせよ、大氾濫が収まらなくては国王陛下に連絡も取れないでしょうし、俺の教育に充てる時間は十分にあるのでは?」
「陛下に拝謁するかも知れないのだ。やってやりすぎるということはあるまいよ」
俺と領主は同時にため息を吐いた。
「朝は魔物たちも動き出す時間です。ここはピサンリの防衛に充てます」
夜行性の魔物もいるが、そこはまあ置いておく。
24時間戦えるわけでもないし、召喚獣で対応するしかない。
「昼頃にネージュの魔道具への魔力の充填と、勉強をしましょう。その後、魔物たちでストレスを解消して家に戻ります」
「魔物の数も減ってきている。妥当なところだろう。もちろん強力な魔物が見つかれば君にお願いすることもあるかも知れん」
「それは分かっています」
「君のような子どもに頼ることになるとは、情けない。今回の事態が収まれば、ピサンリの防衛をもっと強化しなくてはな」
「どうでしょう。大氾濫などそうそう起こるものではないと聞きましたが」
「しかし万全を尽くさねば町が滅ぶ。毎回君のような存在が町にいてくれるとは限らないのだ。それに設備なら後に残せる。無駄にはならんよ」
しばらく領主と話をしていると着替えを終えたネージュがジルさんに連れられて戻ってきた。
それにしても一体何処から衣装を入手しているのか謎だよな。
町に買いに出たにしては早すぎるし。
というか、ネージュは明らかに風呂上がりだし。
貴族の手早さは謎だ。
それはさておきゆったりとしたドレスに身を包んだネージュは、風呂に入ったこともあってか、髪や肌にも艶があり、絶世の美少女と化していた。
これでおっぱいがあったらもはや凶器だ。
男なら誰でもひれ伏したくなるだろう。
幸いネージュはスレンダーなのでそんな惨劇は起こらなかった。
ネージュは俺の隣に腰を下ろすと、手をぎゅっと握ってくる。
思っていた以上に不安だったのだろう。
「アンリ、どう?」
「うん、よく似合ってるよ。とても綺麗だ」
心の底からそう思ったので、そんな歯の浮くようなセリフもすらすら出てくる。
「ふぅん……」
気のないような返事をしながらもネージュはどことなく嬉しそうだ。
頬がピクピクしている。
そもそも感想を聞いてきたのはネージュですよね。
「いや、本当にお美しい。画家を呼ぶべきでしたかな」
「要らない」
バッサリ過ぎる。
いくら記憶喪失とは言え、これは失礼にも程があるだろう。
「ネージュ、領主様はこれから君の面倒を見てくれる人なんだ。もうちょっと愛想よくできないかな?」
「……がんばる」
「ずいぶんと懐かれているようだな、アンリ」
「まあ、記憶を失って最初に見たのが俺でしたからね」
鳥の刷り込み現象とかそんな感じなのかしらん。
「そのうち慣れるでしょう。さて今日は魔物の間引きをサボってしまいましたから、今からでも行ってきます」
「夕食は家で食べていきなさい。ネージュ殿にとってもそのほうがいいであろう」
「分かりました。ほら、ネージュ、手を離して」
「アンリ、何処へ行くの?」
「町の外に魔物がたくさんいたろ。数を減らしてくるんだ」
「アンリが? 危ないんじゃ」
「大丈夫だよ。こう見えても強いからね」
「うむ、アンリの強さは私も保証しよう。油断さえしなければ遅れを取ることはあるまいよ」
「そう……」
と言ったもののネージュは俺の手を離さない。
「帰ってくる?」
「ああ、日が沈む前には必ず」
「約束――」
そう言ってネージュはふわりと俺を包み込むように抱きしめた。
ネージュの薄い胸に顔が押し当てられてどぎまぎする。
薄くてもちゃんと柔らかいんだなあ。
おっぱいとの接触なんて前世を含めて記憶に無いから、体がかちんこちんだ。
「や、約束するよ。日が沈む前には必ず戻ってくる」
「分かった。行ってらっしゃい。アンリ」
ネージュは最後にぎゅっと力を込めて俺を抱きしめてから、解放してくれる。
俺はいまだ高鳴る心臓の音を聞きながら、領主様の庭園から飛び立つ。
これが恋、いえ、性欲ですね。分かります。
なんだか強烈にもやもやするので、俺は全速力で魔物たちの群れに突っ込んで行って、それを吹き飛ばした。
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