第1章 大氾濫 11

 それからしばらくの間、日中は大氾濫の中心部から溢れ出してきた最強種と戦い――あるいは一方的に狩り――、夜は家族のところに戻って寝る生活が続いた。


 魔物たちの密度は急速に薄まりつつある。

 よく分からないが、今も収納魔法の中で時間を止められて眠り続ける彼女がなんらかの原因であったことは間違いない。


 俺は領主の屋敷の行き来の馬車の中でジルさんにエルフのことをそれとなく聞いてみたが、エルフたちは人間の前に滅多に姿を見せないのだということ以外は、よく分かっていないようだった。

 ただ心配していたように人間と敵対関係にあるとか言うことはないようだ。

 エルフのほうが人間をどう思っているのかまでは分からないけど。


 領主には度々夕食に呼ばれ、ご一緒させてもらっている。

 だが大氾濫の元凶の可能性のある彼女のことは報告していない。

 目覚めて問題が無ければそっと元居た場所に帰してやりたいからだ。


 領主は俺が魔物の間引きをしていることに気がついていた。


 そりゃ毎日庭園から飛び上がっていたら分かりますわな。


 欲しいものは無いのかと言われたので、素直にお金が欲しいと伝えておいた。

 お金でなにを買うのかまで聞かれたので、ちょっとした魔道具を作ってみたいのでその材料費だと答えると、魔道具とはなにかまで突っ込んで聞いてきた。


 俺は杖を取り出して、この杖には魔法の出力向上などの付与魔法をかけてあり、一種の魔道具なのだと説明すると納得される。

 どうやら俺の戦力向上を目的とした魔道具を作るのだと解釈されたようだ。


 多すぎるほどの額を貰った翌日、俺は町に繰り出した。

 大氾濫で商人たちが町の出入りができないため、全体的に品薄で値上がりしているようだ。

 だが俺が目的とするのは宝飾品で値上がりの影響はあまり受けていない。

 むしろ皆が食料などの備蓄に走っているため、こう言った嗜好品は売れずに値下がりすらしているようだ。

 店主とかも商品を売って食料とかを買いに走りたいのかも知れない。


 6歳児だと侮られても困るので領主に貰った貴族服を着ていくと店の対応はあからさまに良いものだった。

 そこで紅玉の付いた女性用のネックレスを買う。

 領主から貰ったお金が半分くらいになったが別に後悔はしていない。

 いざとなれば冒険者ギルドでドラゴンの素材を売ればいいからな。


 ネックレスは収納魔法にしまい、徒歩で領主の屋敷に行ってアドニス村に飛翔する。

 馬たちは飛行型の魔物にやられ無残な姿になっていた。


 魔法で馬たちを一箇所に集め火葬する。


 死体をそのままにして疫病の発生源になられたり、さらなる魔物を呼ばれても困るからな。


 そして自宅の中で魔道具の制作に取り掛かることにする。

 とは言っても基本的には物に対して付与魔法を掛けるだけの話だ。

 そして物品と魔法には相性がある。

 今回は複雑で強力な魔法を込めたいので、宝飾品店で相性の良かったこの宝石の付いたネックレスを買ってきた。


 しかしその前にまずは実験だ。


 リーズ姉のベッドにエルフの少女を引っ張り出す。

 途端に広げておいた探知魔法で魔物たちの動きが変わったことが伝わってくる。


 さて、これでどうなるかな。


 俺はベッドの上の少女に触れ、彼女に魔法を掛ける。

 まずは魔法を使えなくする魔法だ。

 彼女が無意識のうちに魔法を使って魔物たちとの間にリンクを設けている可能性がある。


 だが効果は無かったようで、魔物たちは依然としてこちらを目指している。


 じゃあ次は結界魔法だ。


 以前に結界と障壁の違いを、移動の可否で説明したかもしれないが、この二つにはもっと根本的な違いがある。

 障壁をどこにでも接地できる壁だと仮定するならば、結界は境界だ。結界の内と外は別の世界だとも言える。

 収納魔法の中も異空間のようなものだろうから、収納魔法で効果があるなら結界でもいいかも知れない。


 彼女を覆うように結界魔法を発動すると、途端に魔物たちは彼女を見失ったようだった。

 結界魔法は効果あり、と。


 その後も俺は実験を繰り返したが、移動のことを考えると遮断の魔法が一番良さそうだった。


 となると遮断の魔法が込められた魔道具を作るのが一番手っ取り早い。


 そう考えて作業に入るため彼女を収納しようとしてうまく行かなかった。


「ん?」


 収納魔法は意識のあるものは入れられない。

 そのことから考えると答えは瞭然だ。


「えっと、おはよう。言葉は通じるのかな?」


「……おはよう」


 彼女はぱちりと目を開けるとむくりと体を起こした。

 拍子に巻きつけられた毛布が外れ、そのスレンダーな上半身が露わになる。

 しかしそんなことは気にもならない様子で、彼女は辺りを見回す。


「ここはどこ?」


「アドニスという村だよ。そんなことより前、隠して」


 白い肌に薄い双丘が目に毒だ。


「あなたは子どもだし、気にならない」


「俺が気になるんだよ!」


「……服が無い」


「毛布があるだろ!」


 不承不承という感じで彼女は胸の前に毛布を引き上げた。

 そんな彼女に俺は遮断の魔法をかけておく。

 今にも村の上空に差し掛かろうとしていたドラゴンと思しき反応が進路を変える。


 運が良かったな。ドラゴンの。


「それで、ここはどこ?」


「アドニス村だよ。……ってさっきも言ったよね!」


「アドニス……、知らない」


「そうだろうね。田舎だし。それよりも君の方こそどうしてあんなところにいたのさ?」


「あんなところ?」


「大森林の中、魔物の群れのど真ん中。今にもドラゴンに食われそうだったんだから」


「分からない。覚えてない」


 俺が見つけた時、彼女は意識を失っていた。

 ひょっとしたら意識を失わされて、あそこまで運ばれたということもあるかも知れない。


「なにか覚えていることは?」


「分からない」


 彼女は首をふるふると横に振った。


「それじゃどこに住んでたの? 家族は? そうだ、名前は? 俺はアンリ。君の名前は?」


「……名前、私の名前」


 少女はしばらく自分の手のひらをじっと見つめていたが、やがて首を横に振った。


「分からない」


「もしかして記憶喪失……」


「そう、それ!」


「そこだけ食いつきいいな!」


「アンリは私のなに? 弟?」


「弟じゃないな。なんだろう。命の恩人?」


「私がアンリを救って記憶喪失?」


「逆だ逆! 俺が君を救ったの!」


「またまたぁ」


「もう好きに思ってて。それにしても名無しの記憶喪失かぁ。こいつは弱ったなあ」


 大氾濫の原因を聞き出すことも、元居た場所に帰してやることもできそうにない。

 記憶を弄る魔法とかあれば良かったんだけど、精神とか記憶とかはどうにも触れて良い気がしないんだよね。


「とにかく服を調達してくるからじっとしてて」


「可愛いのがいい」


「わがまま言うんじゃありません!」


 飛翔魔法で浮かび上がったあと、転移魔法でピサンリ上空まで飛んで飛翔魔法で来た振りをしつつ領主の庭園に着地する。


 俺はジルさんに全裸のエルフ少女を保護したことを伝え、衣服を用意してもらった。

 どうせもう隠してはおけないしな。

 自分で女物の服を買いに行くのは恥ずかしいし、よく分からないからこれが一番いい。まあすぐさま用意できたのはメイド服だったけど。


 衣服を受け取った俺はまたしても飛翔魔法である程度の距離を稼いでから転移魔法でアドニスに逆戻りし、少女に衣服を押し付けると着替えるように言った。


 これだけ急いだのは遮断魔法の効果時間がさほど長くないからだ。

 俺が少女の傍を離れた途端にドラゴンに食い殺されるとか、夢見が悪くなる。


 少女が着替えている間に、俺はネックレスの紅玉に遮断の魔法を刻み込む。

 それから魔力を貯めておけるようにもしておく。

 どうすればいいかはなんとなく分かる。天使さまにもらった才能のおかげだろう。


 これで俺が魔力を込めれば最低でも24時間は遮断の魔法が維持される。と、思う。

 問題は魔力を込められるような魔法使いが俺しかいないということだ。

 24時間に一度は俺はこのネックレスに魔力を込めなければならない。


 だが少なくともこのネックレスがあれば彼女は魔物を呼び寄せるようなことは無くなるし、人里で生活しても問題は無いはずだ。


 というようなことを俺はメイド服を着て部屋から出てきた彼女に説明してネックレスを渡した。


「私が魔物を呼び寄せる?」


「そう、このネックレスさえ着けていれば平気だけどね」


「アンリから離れられない?」


「24時間に一度だけ、どうしてもネックレスに魔力を込める必要がある。だからあまり離れてはいられない」


「つまりアンリは私に夢中」


「人の話聞いてた!?」


「平気。私はアンリに付いていくしかない。他になにも無いから」


「……ッ!」


 俺は分かっていなかった。

 記憶を無くした彼女が不安でないはずがないのだ。

 彼女の軽口はそうやって俺の反応を見ているのだろう。

 自分が見捨てられないかどうかを確認しているに違いない。


「心配しないで。俺は君を見捨てない」


「君、というのは嫌」


「けど名前が」


「アンリが付けて」


「……ネージュ、ネージュというのはどうかな。その髪や肌、太陽の光でキラキラ光る雪のようだから」


「ネージュネージュ?」


「ネージュだよ!」


「そう、ネージュ……、変な名前」


 彼女はわずかに頬を綻ばせた。


「嫌だったらもっと普通の名前を考えるよ。ほら、ルイーズとか、ソフィとか」


「ううん。ネージュでいい。ネージュがいい。アンリが考えてくれた私だけの名前」


「そっか。良かった。ネージュ、そのネックレスは服の中に入れて、他の人には見つからないように。大事な物だからね」


「分かった。そうする」


「うん。それじゃ行こうか」


「行く? 何処に?」


「ピサンリ、人々の住む街へ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る