第1章 大氾濫 6

「これは徴税官どの」


 馬車から降りてきた人物に村長はそう声を掛けた。


「む、アドニス村の、本物か。ということは大氾濫が起きたというのも本当なのだな」


「そのような嘘をついて得をする者などおりますまい」


「だが事が事だ。それにたった5人とはどういうことだ。子どもに女連れで大氾濫の起きた大森林を抜けてきたと言うのか。聞けば馬車も荷物も無いというではないか」


 徴税官は俺たちを一瞥してそう言った。

 当然の疑問だろう。そのことがあるから領主もこの徴税官を遣わしたに違いない。俺たちは疑われている。


「森の上を飛んできたのであります。徴税官殿。それゆえ馬車も荷物もございません」


「なにを言っておるのだ。気でも触れたか」


 徴税官は眉根を顰めた。

 だが村長は正面突破をすることに決めたようだ。


「体験していただくのが一番でしょう。アンリ、私と徴税官殿を浮かせてご覧上げられるか?」


「もちろん」


 俺は村長と徴税官に飛翔魔法を掛け、30センチほど宙に浮かせる。

 それ以上持ち上げたら天井に頭がぶつかりそうだ。


「な、なんだ、これは! や、やめろ。止めさせろ!」


「村長?」


「降ろして差し上げてくれ」


 言われた通り俺は2人を地面にそっと降ろす。

 徴税官は目を白黒させながら自分の体をぺたぺたと触っている。


「なんだ今のは。奇術か、それとも魔術か」


「そう言えば聞いておりませんでしたな。アンリ、これはなんなんだい?」


「魔法だよ」


「ということでございます。我々はこのアンリの使う魔法にてアドニス村より空を飛んでピサンリまで参りました」


「し、信じがたい……」


 そう言う徴税官だったが、俺がちょっと身じろぎするとビクリと体をすくませた。


「が、この身にて確かに確認した。してアドニス村は無事なのか?」


「彼の魔法によって今のところは守られております。彼の言葉によれば守りきることはできると。しかしアドニス村に備蓄された食料では大氾濫が収まるまで村人を食わせておくことができません。つきましては村人をこのピサンリに避難させていただきたくこうして参上したわけでございます」


「分かった。領主様に話を通そう。しかし魔法ともあればその子どもにも付いてきてもらわなくては信じてもらえないだろうな。あまり領主様に謁見できるような礼儀が身についているとは思えないが……」


 耳が痛い。

 敬語が使えないのはこの世界の言葉での敬語をあまり理解できていないからだ。

 前世でも敬語を使う機会などほとんどなかったから分かっていても使えるかどうか分からないが。


 今更な話ではあるが、この世界の言語は日本語ではない。

 この世界に来て苦労したことはいくらでもあるが、そのうち大きなウェイトを占めたのは言葉の問題だったと断言できる。


「非常事態なればどうか」


「分かっている。魔法とやらに領主様も興味を示されるかも知れん。おい、私がいいと言うまで絶対に魔法とやらを使うんじゃないぞ」


「分かったよ」


「あと、領主様の前では私がいいと言うまで絶対に口を開くな」


「それも分かった」


 徴税官というからには村に対して一定の権限を持つ人なのだろう。

 正直もっと丁寧に喋りたいんです。

 でも文法とかよく分かんないし、ああ、それでもやれるだけやっておいたほうが印象はいいか。

 日本に来た外国人観光客が頑張って日本語で話しているのを見ると微笑ましい気持ちになるような効果があるかも知れない。


「私は付いていってはいけないでしょうか? その子の母です」


「あでーうもいくー」


「悪いがあまり大勢で押しかけるわけにもいかん。村長とその子だけだ」


 ここは俺も徴税官に同意だ。

 領主というからには貴族で、俺たち平民を相手になにをするか想像もできない。

 それこそ俺の魔法に拒絶反応を示して衛兵に切り捨てろと命令を出す可能性だってある。

 そんな危険なところに母さんとアデールを連れて行くわけにはいかない。


「母さんとアデールはここに居て。ギルド長、2人を頼みます」


「任されておこう」


 領主との会談に付いてこなくていいと分かったギルド長は強気だ。


 いや、本当はあなたもピサンリの冒険者ギルドに行って大氾濫について話を通したりしなくちゃいけないんじゃないですかね?


 まあ、忘れているのだとして後で怒られるのはギルド長だ。

 わざわざ助言するほどギルド長と付き合いがあるわけじゃない。


 徴税官と村長と俺を乗せた馬車はピサンリの町の中を走り出す。

 領主の館に着くまでのわずかな時間に徴税官が俺に領主についての基本的な情報を教えてくれる。


 ピサンリの領主はオーギュスト・ストラーニ伯爵、ピサンリの町とその周辺の村々を治めている。

 先のアルブル帝国侵攻の際には先陣を切って兵を率い多くの武勲を上げた。

 その時の功績もあり、北の辺境領との間を繋ぐ街道は彼が治めるピサンリから伸びることになった。

 アドニス村も彼の領地ということになる。


 このエピソードから分かるように武闘派の貴族で、相手が平民であろうと強い者であれば重用するのだそうだ。

 ただし領主の思い描く強さとは、肉体的な強さであって、魔法のような不確かなものではないと徴税官が断言する。

 いわゆる脳筋というヤツなのだろう。


 そして領主は嘘や誤魔化しを嫌う。


「魔法を説明することを思うと頭が痛いが……」


 それでも正直に話すしか無いのだそうだ。


 それから余談ではあるが、領主には最近孫が生まれた。

 初孫で、目に入れても痛くないほど溺愛しているのだという。

 それゆえ子どもには甘くなっているかも知れない。と徴税官は付け加える。


 やがて馬車の速度が緩んだ。

 いつの間にか窓の外の景色は町の中ではなく、美しい花の咲き乱れる庭園となっている。

 領主の屋敷の敷地内に入っていたのだ。


 大きなお屋敷の正面の扉の前で馬車は止まる。

 初老の執事がやってきて馬車の扉を開き、俺たちが馬車から降りるのに手を貸した。

 手のひらが大きく、ゴツゴツしていて、単なる執事ではないなと予感する。

 武器を握っている人の手だ。


 そのままその執事に案内されて屋敷の中へ。


 うわああ、絨毯とか靴のまま踏んでいいんですかね?


 だが誰もなにも言わないのでそのまま絨毯を泥のついた靴で踏みしめる。

 応接室のような部屋に通されるものだと思っていたら、執事が案内したのはどうやら領主の執務室のようだった。広い部屋の奥に机があって、そこにひとりの初老の男性が腰掛けている。


「旦那様、お客人をお連れしました」


「よろしい。ジル、おまえも部屋に残れ」


「承知いたしました」


「初めて見るな。ガストン、彼がアドニス村の村長で間違いないか?」


「はい。間違いございません」


「もうひとりの少年はなんだ?」


「此度の事情を説明するために必要かと思い、連れてまいりました」


「よかろう。では話を聞こうか。聞けば大氾濫が起きたとか」


「アドニス村の村長でヤンと申します」


 それから村長は冒険者が大氾濫の兆候を掴んだところから話を始めた。

 話の仔細は俺も聞いていなかったので興味深く聞かせてもらう。


 ゴブリンというのは集落を作り生活するその性質上、あまり遠出はしないのだと言う。

 そのゴブリンが村の近辺で確認された。

 新たに集落が出来たのかと思えば、そういうわけでもないらしい。

 たまに集落を追い出されたゴブリンが集落から遠く離れたところで見つかることもあるが、大抵は一匹だ。


 冒険者たちは三匹と四匹の別のゴブリンの集団を見かけたらしい。


 もちろん俺が襲われたゴブリンは返り討ちにしたので、それ以外に七匹のゴブリンが村の近辺に居たことになる。


 それ以外にも本来村の近辺では見かけない種類の魔物を何種類も見かけたという。

 それが示しているのは魔物の移動が大森林で起きているということだ。


「そんなわけで村では警戒を強めることに致しました。それが昨日のことでございます。しかし昨夜のこと――」


 深夜、村を揺るがすほどの爆音が響き渡り、村人たちが驚き家を飛び出すと、西の空が真っ赤に燃え上がっていた。

 さらにあまり時を置かずして村の近くで無数の狼の遠吠えが――。


 あ、それ、俺ですわ。


 俺が視線を泳がせていると、村長もそこで話を切った。

 そこから先は言いにくいのだろう。分かるよ。


「……調査に出した冒険者によれば、狼たちの集団がまるで村を守るように魔物と戦っていた、と。もちろんそのようなことは信じがたく、ただ魔物の群れがすでに村を取り囲んでいたのも事実であり、我々は最後のひとりになるまで抵抗しようと決意したのであります」


「待て。その話を聞けば村はとっくに魔物どもに飲み込まれているのではないのか? 村長はどうやってこのピサンリにたどり着いたのだ? まさか自分だけ逃げたのか?」


「と、とんでもございません。私は最後まで戦う腹づもりでおりました。しかし今朝になって事情が変わったのございます。実はここにおります少年、アンリが影の中より狼を呼び出して村を守っていることが分かったのです」


「は――?」


 領主が呆気にとられたような顔になる。

 そりゃそうだよね。

 前世の世界で、こいつ影の中から狼呼び出せるんだぜ。

 って言われても何言ってんのこいつ? ってなもんである。

 魔法が無いこの世界でも似たような反応になるのは当然である。


「私は冗談を聞くために時間を割いたわけではないのだが」


 領主の声には怒りが混じっている。あんまり引っ張っても良くないことになりそうだ。


「徴税官、どの……」


「危険なことは許さん」


「分かった、です」


「領主様、こちらの少年を御覧ください」


 俺は収納魔法から無花果の枝の杖を取り出して、自分の背後に伸びていた影を突いた。

 一匹だけ、ゆっくりと狼を呼び出す。

 すると影が形を変えるようにぐにゃりと盛り上がって、そこから灰色の体毛の狼が現れた。


 大人しく、大人しくしているんだぞ。


 俺がそんなことを考えている間に、執事が音もなく領主の隣に移動する。

 その手にはいつの間に抜いたのか短剣が握られている。


「このように俺は狼を呼び出せる、です」


「これは、奇術か……」


「いいえ、魔法にございます。アンリ、狼は消せるのだろうな?」


「もちろん、です」


 俺が影の中に戻るように指示を出すと、狼は俺に体を擦り付けてから影の中に沈んでいった。

 なんだろう。俺が生み出した魔法生物とは言え、愛されてるね。


「このようにアンリが作り出した狼たちと、土の壁によってアドニス村は守られております。おかげで今のところ死傷者も出ておりません。しかし村の食料には限界があり、村人たちをピサンリに避難させたいのです」


「避難とは言ってもアドニスは魔物に囲まれているのであろう? どうやって、いや、その少年の仕業か」


「はい。彼は2人までなら人を連れて空を飛ぶことができるのです。そうやって私はアドニス村よりこうしてやってこれたわけです」


「空を……人が飛ぶ、と。信じがたい。それもこの場で見せることができるのか?」


「はい」


 俺は飛翔魔法を使ってその場に1メートルほど浮き上がる。


「おお」


 それを見て腰を浮かした領主は、放心したように椅子に深く座り直した。


「他にはどのようなことができるのだ?」


 俺は床に降り立って、杖を収納魔法の中に戻して、両手をお椀の形にした。


「炎を生み」


 手のひらの上に火が灯る。


「水を作り」


 火が消え、水球が生まれる。


「風を起こし」


 水球が消え、部屋の中が風が舞い踊る。

 領主の机の上の書類が何枚か舞い上がったが、誰も咎めることはなかった。

 普通なら次は土だけど地味だな。


「光を呼び」


 光球が手の上に浮遊する。


「闇に閉ざすことが」


 光球が闇に包まれ、手の上には暗闇が存在する。


「他にもいろいろでき、ます、が、分かりやすいのはこの辺りかな、です」


「どうやってその魔法を使えるようになったのだ? これは誰にでも使える力なのか?」


「分からない、です。気がついたときには使えてた、です」


「ぷっ、もう無理に敬語を使わなくとも良い。返って滑稽だ。人によってはバカにされているように感じるぞ」


「ごめんなさい」


「しかしそうか。その力が他人に伝えられるものであれば、王国はさらなる飛躍を遂げるであろうに。いや、今は目の前の大氾濫にどう対処するかであるな。アドニス村の村長よ。おまえの言い分は分かった。村人たちはピサンリで受け入れよう」


「ありがとうございます。つきましてはアンリが空から直接町に降りる許可をいただきたいのですが」


「ふむ、そうなるな。分かった。だが町中のどこにでもと言うわけにはいかんな。町の住人が混乱する。……いっそ、この庭園に降ろすか。ジル、手配できるか?」


「身元の確認もできますし、よい考えかと。すべておまかせください」


「では後のことはジルと相談して決めるがよかろう。私は大氾濫への対処を始めなくてはいかん。他に言っておきたいことはあるか? 無いな、よろしい。では以上だ。アンリ、君とは事態が落ち着いたら話をしたい。いいな?」


「うん。分かった」


 こうして領主との会談は終わり、アドニス村の住民はピサンリへと避難することになったのだった。

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