第1章 大氾濫 5

 ピサンリまでは飛翔魔法の全速力で5分かそこらだった。時速何キロ出ているのかは流石に分からないので距離までは分からない。


 感覚的には40キロ辺りだろうか。


 確かアドニスに来るためには隣町から馬車で朝に発って夕方に着くという話だったから、大きくは外れていないと思う。


 いや、分からないな。

 森の中の街道を馬車がどれくらいの速さで走るのかも分からなければ、休憩をどれくらい挟むのかも分からない。


 とりあえず俺は40キロと思ったということだ。


 眼下には防壁に守られた大きな町が広がっている。

 アドニスと比べるまでもない。

 あっちは森を切り開いてできた小さな村だ。

 それに対してピサンリはかつての国境都市。

 かつては軍を駐留させる必要性があったためその規模は遥かに大きい。


 初めて見るアドニス以外の人里に興味もあったが、今はそれどころではない。


 ひとりならピサンリまで5分でやってこれる。

 しかし同行者を連れてとなると分からない。

 まだ誰かを連れて空を飛んだことは無いのだ。

 だが半分まで速度を落としたとしても片道10分だ。

 戻るのはひとりでいいので5分で済む。


 アドニス村の人口は300人ちょっと。

 2人ずつ運んだとして150往復ちょっと。

 一往復が15分として、休憩時間も考えると一時間に3往復。

 全員を運び終わるのに50時間ほどかかる計算になる。


 もちろん24時間休みなく運送業を続けることはできないので、睡眠その他に10時間ほどを割り当てたとして、4日はかかることになる。


 村の食料の備蓄は10日分はあるのだから、食料的には余裕がある。

 問題は素直に村の人々が飛翔魔法による避難に応じてくれるかどうかだった。




 家に戻る前に村を覆う土壁の外側に着地し、狼たちの補充を行う。

 現状でもしばらく持ちそうだったが、余裕のある時に早めに補充しておくほうが安心だ。

 それに家を出てから30分と経っていない。

 父さんと村長との話も終わっていないだろう。


 対大物用にゴーレムでも作り出すか?


 いや、しかしそれでは森がぐちゃぐちゃになってしまいかねない。

 向こうがやらかす分には仕方ないが、こちらから森を破壊しては言い訳ができない。

 もっとも村を捨てて避難するのであれば、もう森の被害について考える必要もないのではあるが、まだそうなると決まったわけではない。

 狼たちの補充を終えた俺は飛翔魔法で土壁を飛び越えて自宅へと帰還した。


「にーちゃ、おかえぃ」


「ただいま、アデール」


「アンリ、大丈夫だった?」


「大丈夫だよ。母さん。ピサンリにも行ってきた。確かにあそこなら大氾濫でも大丈夫そうだね」


「まあ、もうピサンリに?」


 普通であれば馬車に乗って一日掛かる距離だ。母さんが驚くのも無理はない。


「一時間に3往復はできそうかな。村の人達をみんな避難させるには何日か必要だね」


「そんなに無理をしなくていいのよ。村に残る人が減れば食料には余裕ができるのだし」


「あ、そうか、そのことは考えてなかったや。ということは防衛さえしっかりしていれば時間には余裕があるわけか」


 避難が始まれば一日中運送業を続けるつもりだったが、そういうことならもっと余裕を持って行動できる。

 今は大物を掃討したばかりだが、時間が経てばまた集まってくるだろうし、そういう時間が取れるのはありがたい。


 そうこうしている間に父さんが帰ってくる。


「アンリ、もう帰ってきていたのか。ピサンリには行けたのか?」


「うん。問題ないよ。まだ実際に人を連れて飛んでいないから、そこだけはなんとも言えないけど」


「確かにそうだ。村長からもそのことを突っ込まれた。だから最初に飛ぶのは母さんとアデールということになる」


「そりゃ願ったり叶ったりだけど」


 家族を真っ先に避難させてくれるなら、むしろありがたい申し出だ。


「村の人々にすれば違う意見が出てくるだろうな。本当に空を飛べるのか。ピサンリまで行けるのか。彼らは不安なんだ」


「なるほど」


「だからアンリにはまず村人たちの前で母さんとアデールを連れてピサンリに行ってもらい、その後、村長と冒険者ギルド長を連れてピサンリへ。2人を連れて村に戻ってもらい、安全を宣言してもらってから避難を始めることになる。それでピサンリまではどれくらい時間がかかるんだ? もう戻ってきているんだから、それほど心配はしていないが」


「往復で15分くらいを想定してる。で、村長たちを村に戻した後は父さんと姉さんを連れて行っていいの?」


 父さんは首を横に振る。


「リーズには悪いが私たちは最後だ。家族が避難をし終えてしまうとおまえが村に戻ってくるか分からないと、村人たちは不安なんだ」


「あたしは平気。村のことを守ってくれるんでしょ? アンリ」


「もちろんだよ。条件は分かった。こちらからも条件はあるよ、父さん。老人や子どものいる家庭が優先だ。冒険者には最後まで残ってもらう」


「当然の要求だな。村人たちも理解してくれるだろう」


 話はまとまり、俺たち家族は連れ立って家を出た。

 その足で村長の家に向かう。


 朝に比べると外に出ている村人の数は少ない。

 土壁を壊すこともできないということで、皆、家に引きこもってしまったのだろう。


 村長とは父さんと話した条件の話をして快諾を得る。

 村長自身も最後まで村に残るつもりなのだという。

 怖いおじさんというイメージだったが、村長らしい責任感の持ち主でもあるらしい。


「まずは本当に人を連れて空を飛べるのか見せてもらうぞ。構わないな?」


「大丈夫。母さん、アデール、行くよ。体に力を入れすぎないで、普通に立っている感じで構わないから」


 村長の家の前に立ち、自分と母さん、アデールに飛翔魔法を掛ける。まずは30センチほど浮かせる。

 やはり人数が増えるとバランスを取るのが難しい。両手で2人を支えるイメージが必要だ。


「このままでも大丈夫だけど、手を繋ごうか」


「そうね。そのほうが私も安心だわ」


「おててつなぐー」


 差し出された2つの手を取って、ゆっくりと高度を上げる。

 母さんは恐ろしさからか目を閉じたが、意外なことにアデールは平気のようだ。


「アンリ、お願いだから手を離さないでね」


「分かってる。行くよ」


 3人を覆う障壁を作り出し、気温も操作しつつ、全速力には程遠い速度で街道沿いを南に進み始める。

 15分ほど掛けてピサンリの北門まで歩いて5分ほどの位置に着地する。

 これ以上接近しては空飛ぶ不審者ということで攻撃を受けても仕方ない。


 それは不味いな。


 今はまだこの辺までは大氾濫は及んでいないが、明日か明後日には魔物たちの先陣が到達する。

 そうなったらどうしても防壁の内側に直接乗り付ける必要があるだろう。

 村長からなんとか話を通しておいてもらう必要があるな。


 魔法使いであることを隠せないのは、もう諦めた。

 どうせ避難した村人たちの口は塞げないのだ。

 それで家族にまで何か害が及ぶようなら、家族を連れて何処か遠いところへ逃げればいい。

 バランスのことを考えないなら4人連れて飛ぶことだって可能だ。


「母さん、アデール、ここで待っててくれる? すぐに村長たちを連れて戻ってくる」


「分かったわ」


 俺が全速力で村に戻ると、村長の隣には冒険者ギルド長が立っていた。

 空から降りてくる俺を見て目を丸くしている。

 しかしそんなことにはお構いなく村長は感心したような声を出した。


「早いな。もうピサンリまで行ってきたのか」


「人を連れて飛んだのは初めてだったからちょっとゆっくり飛んだよ。今度はもっと早く行き来できると思う」


「頼もしい。アンリ、君が居てくれて良かった」


 家族以外から魔法のことを認められたのは初めてで、胸の中がジンとする。


「母さんたちをピサンリの外で待たせてあるんだ。早く行こう」


「分かった。オレール、そんなにビビることは無いだろう」


「び、ビビってなんかねーよ。だがアンリ君、本当に落ちたりはしないんだろうね」


「大丈夫。任せて」


 村長と冒険者ギルド長の正面に立ち、飛翔魔法を掛ける。

 冒険者ギルド長が情けない声を上げる。

 こんなので冒険者ギルド長がやっていけるのかと余計な心配が脳裏をよぎったが、ギルド長が魔物と戦うわけでもないから度胸など必要ないのかも知れない。

 まあ、そうだよな。普通に考えれば長に必要なのは実務能力だ。


「手は繋がないのかい?」


「別に必要ないから」


 あれは家族サービスのようなものだ。むさいおっさん2人と手を繋いで喜ぶような趣味はない。

 容赦なく高度を上げ、冒険者ギルド長の悲鳴は聞かない振りをして全速力でピサンリに向かう。

 今度は10分と掛からなかった。

 その代わり村長も冒険者ギルド長も地面に足が着くや否や、その場にへたり込んでしまった。


「あらあら、まあまあ」


 そんな2人の様子を見て母さんがなんとも言えない声を上げる。アデールは子どもらしい残酷さで2人の醜態を笑っている。


「もうちょっと安定重視のほうがいいかな」


「次からはそうしてくれ」


 冒険者ギルド長は言葉も出ないようでしきりに頷いている。

 なんせこの2人はこの後、また飛翔魔法で村に戻らなければいけないからな。


 冒険者ギルド長が歩けるようになるのを待って、俺たち5人は連れ立ってピサンリの北門に向かう。

 木で出来た、しかし重厚な門は大きく開け放たれていた。そのことから大氾濫の兆候をピサンリが掴んでいないことが分かる。

 荷物もなく歩きで大森林の方向から歩いてきた俺たちに門番たちは気遣うような視線を向けた。


「ピサンリへようこそ。入門税は銅貨5枚だが、大丈夫か? 馬車や荷物は?」


「入門税は問題ない。ただ領主様に取り次いで貰いたい。私はアドニス村の村長だ。大氾濫が起きて村は魔物に取り囲まれている。村人たちをピサンリで受け入れて欲しいのだ」


「大氾濫だって!? そりゃ大変だ。よく無事にピサンリまで辿り着けたな。いや、そんなことはどうでもいいか。おい、領主様に伝令を出せ。村長さんたちは詰め所で悪いが待っていてもらいたい。入門税? そんなもんは後でいい。大氾濫の避難民から金なんて取れるわけないだろ」


「それは助かる。おそらく金が無い者もいるだろうから」


 俺たちは詰め所に案内され、そこで領主様からの返事を待っている間に村長に空からピサンリに直接乗り付けることへの懸念を話した。


「領主様に正直に話すしかあるまい」


「それしかないよね……」


「アンリ、君は力を誇らないのか? その力は今、村を救おうとしているし、もっと大きなことができる力だ」


「自慢はしたいけど、面倒くさいことになりそうで」


「そりゃもう避けられんよ」


「だよねぇ」


 こうなればもう面倒くさいことになるのは受け入れなくてはいけないのか。

 まだ6歳なのに。

 せめてこの世界の成人になる15歳くらいまでは普通に遊んでいたかった。


 ひょっとして前世で無職だった揺り返しが来てるのかね。むぐぐ。


「にーちゃ、にーちゃ、あでーうもまほーちゅかいなるー」


「それじゃアデールは俺の弟子だなー」


 可愛い妹の頭をよしよしと撫でて精神の安定を図る。

 あー、マジ癒やされるわ。

 前世では妹はいなかったが、いたら絶対無職とかなってない。

 妹のために働ける。


 そんなバカなことを考えている間に領主様の命を受けた馬車がやってきた。




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作品フォローと☆☆☆をよろしくお願いいたします。


また下記作品を連載中です。どれもよろしくお願いいたします!


九番目の貴方へ

https://kakuyomu.jp/works/16818093075077395355

私たちの思う、いわゆる"人類"の存在しない、8種の知的種族が同居する大陸のうち、猿族の国家、煌土国で"宝玉"を巡って巻き起こる騒乱を描いた作品となっています。

完結まで毎日更新予定です。


異世界現代あっちこっち ~ゲーム化した地球でステータス最底辺の僕が自由に異世界に行けるようになって出会った女の子とひたすら幸せになる話~

https://kakuyomu.jp/works/16816700426605933105

タイトルでもう説明不要かと思います。そのまんまです。

しばらく休載させていただいておりましたが、週一くらいのペースでのんびり復帰しております。

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