第1章 大氾濫 2
穴だらけのゴブリンの死体を放置しておくわけにもいかず、俺はそれを収納魔法に収めた。
収納魔法は別空間に物体を収納しておける便利な魔法で、容量の限界は今のところ分からない。
入れている物は時間経過を自由に設定でき、時間を止めておくことも、逆に加速させることもできる。
難点は収納する物に触れなければ収納できないところだろうか。
あと生き物、というか、意識のあるモノは収納できない。
気絶させるなりして意識を失わせると収納できることはできるのだが、別空間で意識を取り戻すとその瞬間に別空間から弾き出されてしまうので、生き物は入れないように気をつけている。
さてゴブリンの死体は無くなったが飛び散った緑色の血飛沫はあちこちに残ったままだ。
俺は浄化魔法を発動して殺戮の跡を綺麗さっぱり消し去った。
あ、いや、辺りに突き刺さった氷の矢はまだ溶けてませんね。
たとえ溶けたとしても木々に突き刺さった跡は残るだろう。
そしてまだ時間はかかるだろうが、リュシーが村に辿り着けば救援隊がやってくるはずだ。
つまりあまりここに留まるのは得策ではない。
俺は言い訳を考えながら踵を返してその場を後にした。
もうすぐ村に着くという辺りで物々しい雰囲気の冒険者たちが正面から現れた。
20名ほどだろうか。
彼らは俺の姿を発見するとびっくりした様子で駆け寄ってきた。
「アンリ君かい!?」
「うん。そうだよ。みんなはリュシーが呼んできてくれたの?」
「リュシーというのは君が逃した女の子だね。そうだよ。無事で良かった。ゴブリンたちは?」
「分かんない。リュシーを逃してから必死で逃げたから」
「そうか。よくやったな。さすが男の子だ」
篭手を付けた手で頭をぐいぐいと撫でられる。
「ゴブリンの数は分かるかい?」
「5匹だったよ」
片手を開いて見せると、冒険者たちは厳しい顔になった。
「5匹か。たくさんとは聞いていたが、はぐれじゃないのかも知れないな。よし、少年も無事だったことだし一度ギルドに戻ろうと思う。異論のある奴は?」
誰も異議の声を上げなかった。
彼らが受けた依頼は俺の救出がメインだろうから当然の判断と言える。
俺は冒険者たちに護衛されながら村に戻った。
向かうのは当然冒険者ギルドだ。
もちろん村だから規模は知れているが、大森林の中にあることもあって、常時依頼もあり、この村を拠点にしている冒険者もいるのだそうだ。
普通の家よりは一回り大きいその建物に入ると、中には父さんと母さんの姿もあった。
母さんは顔を伏せて体を震わせていて、父さんはその背中を撫でていたが、扉が開く音にこちらを振り返った。
「アンリ!」
その声に母さんも顔を上げる。
涙に濡れた顔が露わになり、ぎゅっと胸が締め付けられた。
父さんは俺に歩み寄ってくると、右手で俺の頬を張った。
「馬鹿! どうしてリュシーと一緒に逃げなかった! 無事だから良かったものの、一歩間違えれば死んでいたんだぞ!」
言い返す言葉は無い。
魔法の力をリュシーに知られること無く、あの場を切り抜ける最善の手段だったとは思っているが、それを打ち明けられるわけでもない。
それにこれは俺のことを思っての行為であり、言葉だ。
「ごめんなさい……」
「いいのよ。アンリ。無事で良かった」
母さんが駆け寄ってきて俺の体を掻き抱いた。
父さんは俺を連れてきた冒険者たちに礼を言っている。
これでひとまずこの事件は幕を下ろし――
てはくれなかった。
「大氾濫?」
数日後の夕食時、聞きなれない言葉が父さんの口から出て、俺は聞き返した。
「そうだ。おまえたちを襲ったゴブリンの討伐に向かった冒険者たちがその兆候を感じ取ったそうだ」
「えっと、大氾濫ってなに?」
「そうか、アンリは知らなくて当然だな。大氾濫というのは簡単に言うと大森林の魔物がものすごく数が増えることだ。そして森から溢れ出した魔物が森の外に溢れ出してくるんだ。こんな村はあっという間に飲み込まれてしまう」
「それって大変なんじゃ……」
「にいちゃ、こわい……」
隣りに座る妹のアデールが俺の服を掴んだ。
俺はその小さな手に手を重ねる。
「兄ちゃんがついてるからな」
「アンリ、あたしは?」
「姉ちゃんは自分でなんとかして」
「お母さ~ん、アンリが冷たいぃ」
リーズ姉が母さんに泣きつく振りをする。
もちろん俺も姉さんもアデールに心配をかけまいとする演技だ。たぶん。
「まだ大森林の魔物が増えてきてるかもしれないという段階だ。慌てる必要はないが、大氾濫が起こるとなると村を捨てて逃げるしかない。心の準備だけはしておいてくれ」
「村、無くなっちゃうの?」
「守ることはできないだろうな。王国軍を引っ張ってこれたとしても怪しい。だが国にとってアドニスは必要だ。必ず再建される。だがそのためにも生き延びなくてはならん。どうしても持っていきたい大事なものはまとめておくんだ。いいね」
父さんの言葉に俺たちは頷いた。
その夜、リーズ姉さんもアデールも寝静まってから俺は寝床をそっと抜け出した。
念のため睡眠の魔法を寝ている上から掛けて、別の寝室で寝ている父さんと母さんにも同じようにする。
さらに自分に迷彩の魔法を掛けて周りから見えなくすると、玄関から滑り出て、飛翔の魔法で夜空に舞い上がった。
夜空は涼しいというより寒かったので、気温制御の魔法で周囲の空気をほどよく温める。
実はこうして夜中に家を抜け出すのは初めてではない。
俺の魔法の訓練はこうして夜中に行うことがほとんどだった。
とは言っても幼いこの体は睡眠をすぐに求めるので、あまり長い時間夜中の行動はできない。
あと夜中なのであまり音が響くような魔法の訓練もできていない。
俺は深く息を吸い込む。
感覚を集中。
夜天に輪を広げるように、広く、広く、広く――。
探知魔法を村を中心に広げていく。
探知対象は生き物、一応自分と同等か大きいものに限定する。
虫とかが引っかかったら収集がつかないからな。
当然のように村に住む人々が探知され、村の外側にやや反応の少ない輪が広がっていき、たまに集団が探知されたりしながら、輪はどんどん広がっていく。
そして輪の広さが感覚的なものだが半径20キロを越えた辺りで異変が生じた。
大森林の西側に膨大な数の反応が集まっている。
増える。増える。探知の輪が広がるにつれてどんどん増える。
数える? 馬鹿らしい。
数百、数千では収まらない。
野球場の観客席ですら数万人を収容できるのだ。
この密度でこの広さ。
数十万、数百万ってことすらありうる。
俺はその全容を確認するために夜空を飛翔する。
障壁を身にまとい、加速できるだけ加速した俺は数分で異常な反応の端辺りに到達した。
眼下に広がる深い森の中を深夜にも関わらず蠢く無数の影が移動している。
進軍しているという様子ではない。
彼らは逃げているように見える。
探知魔法の輪はすでに大氾濫の全容を捉えている。
半径4キロほどの歪な円状の生き物の集まりだ。
そしてその円は徐々にだが広がりつつある。
このままでは明日にも村は飲み込まれる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます