第1章 大氾濫
第1章 大氾濫 1
フラウ王国の北の辺境、広がる大森林の中に切り開かれた村がある。
アドニスというのが俺が新たに生まれた村の名だ。
首都であるオルタンシアと北部辺境都市シクラメンの間に横たわる大森林を抜けるために作られた宿場であり、ひっきりなしに旅人や冒険者が行き交う活気のある村だ。
俺は6歳になった。
そんな俺の肩を父さんはがっしと掴んだ。膝を折って視線の高さを俺に合わせながら、普段なかなか見せることのない真剣な表情で俺の瞳を覗き込んでいる。父の碧眼の中に、未だ見慣れない金髪碧眼の少年の姿が映っていた。
「アンリ、おまえももう6歳だ。現実をしっかり見据えるに早すぎるということはない」
「なんだよ、父さん」
「目を覚ませ。魔法なんてものはおとぎ話だ。魔法使いなんていない」
父さんの目はどこまでも真剣で、冗談や、なにかを誤魔化しているようには見えない。
父さんは魔法の不在を信じている。
そうはっきりと分かった。
いや、まあ、なんとなく気付いてはいたよ。
まだ短い人生とは言え、魔法使いという存在に出会ったことがない。
アドニス村は小さいので、魔法を使える人はすぐに都会に出て行ってしまうのだとしても、往来の多いこの村でひとりも魔法使いと知り合えないのはおかしい。
普通の6歳児なら夢を否定されたことにショックを受けるかもしれない。
しかし俺には35年プラス6年の経験がある。
ぶっちゃけ今の父さんより長く生きているのだ。空気くらいは読める。
空気を読みすぎて空気扱いでしたけどね。
「魔法も無い、魔法使いもいないの?」
「そうだ。分かってくれ、アンリ。他の子たちが剣を振っている間におまえだけが魔法などに夢中になって無意味な時間を過ごすのに父さんは耐えられないんだ」
魔法が無いのであれば、魔物の跋扈する世界で身を守る手段は自らの肉体しかない。
特にアドニス村は魔物の住み着いた大森林のただ中にある村なので、魔物の危険はとても身近だ。子どものうちから武器の訓練をすることは理に適っている。
「分かった。魔法の練習はもうしないよ。剣なら振ってもいいんだね?」
「ああ、身を守る術はいつだって必要だ。こんな森の中の村はいつ魔物に襲われるか分からない。剣を振れ、アンリ。強くなれ」
父さんが俺のことを考えて言ってくれているのだということは分かったので、この場は素直に頷いておいた。
前の人生ではロクに親孝行できなかったからな。
親に心配を掛けたくはない。
しかし魔法は存在しない、か。
裏を取っておく必要があるな。
母さんは父さんと口裏を合わせている必要があるし、第三者の意見が必要だろう。
さっそく剣を振ってくる、と俺のために用意されたものの一度も使われていなかった木剣を手に取ると、父さんは安堵のため息をついた。
それだけ心配だったのだろう。よくこれまで自由にさせてもらえていたものだ。
家を飛び出して村に何件かある宿屋のひとつに向かう。
家の畑から採れた野菜を買ってくれるお得意さん、のところは父さんの手が及んでいる可能性があるので違うところだ。
それでも小さな村なので顔見知りには違いない。強面の宿屋の主人はかつては冒険者だったのだという。怪我をして引退して今ではこのアドニスで冒険者向けの宿屋をやっている。
この村の中では一番よく外の世界を知っているであろう人だ。
「おう、ボウズ、なんか用か?」
「ボウズじゃないよ。アンリ」
「分かった、アンリ。それで何の用だ? お使いか?」
「ここに魔法使いが泊まってないか聞きに来たの」
「そうか、アンリ、悪いが今日は魔法使いのお客さんはいねえなぁ」
宿屋の主人はそう言って首を横に振った。
「そう、実は父さんが魔法使いなんていないって言うんだ。だから本物に会えればって思って」
「あー、ダニエルのヤツ、ついに言っちまったのか。それじゃ隠してても仕方ねーな。そうだ。ボウズ。おまえの父さんの言うとおりだ。俺は外のこともよく知っているが、魔法使いなんて見たことも聞いたこともない。もちろん魔法もだ」
「おじさんが言うんなら本当なんだね……」
父さんと口裏を合わせているという様子ではなかった。
むしろこれまで父さんと調子を合わせて魔法の不在を隠してくれていたという感じだ。
子どもの夢を奪わないための気遣いだろう。
「そんな顔をするなよ。ボウズ。魔法なんか無くたってなんにも困んねーぞ」
「別にそんな顔なんてしてない」
両手で頬をぎゅっと押さえ、顔色を分からなくする。
「ありがとう、おじさん!」
手を降って宿屋を後にする。
それから何件かの店や家を回り、どうやらこの村の大人たちは魔法を信じていないということは分かった。
そしてこの村は冒険者の行き来も多い。
もし魔法使いという存在が一般的であるならば、命がけで戦う彼らの傍に魔法使いの姿が無いのは異常だ。
それはつまり父さんの言うように、宿屋の主人が言うように、この世界では魔法使いが一般的でないか、あるいはまったく存在しないという意味だ。
俺は失意の中、村と森の境界線あたりにやってきた。
腰に提げた木剣を構える。
無い物ねだりをしても仕方がない。
この世界が危険に満ちていることに変わりはないのだ。
今更だが普通に身を守るためには剣の練習をするしかあるまい。
俺はとりあえず素振りを始めてみるのだった。
「アンリ、なにやってるの?」
しばらく素振りを続けていると、偶然に俺の姿を見つけたのか隣家の一人娘で同い年のリュシーがやってきた。手には大きな籠を持っている。家の手伝いで採集に向かうところなのだろう。
村の掟で6歳になるまで森に入ることは禁じられているが、逆に6歳になると家の食卓に彩りを加えるために子どもがひとり森に入ることも珍しくはない。
森の中には魔物も出るが、村の近辺は冒険者たちによって間引きされていて比較的安全だ。
「剣の鍛錬だよ」
「魔法使いは諦めたの?」
「魔法なんて無いんだってさ。さっき父さんにそう言われた」
「そうなんだ」
リュシーの反応は呆気ない。
そのことから彼女もまた魔法の不在を知っていたのだと悟る。
「知ってたんだな」
「だって、魔法使いとか見たこと無いし」
女の子はいつだって男の子より現実的だ。
「そんなことより一緒に採集に行こう。お手伝いもしなきゃ」
「分かったよ。籠を取ってくるからちょっと待ってて」
俺は一度家に戻り、リュシーと採集に行くと言って籠を持って出てきた。
アドニス村を覆う大森林はかつては北のアルブル帝国との国境線だったのだそうだ。
広大な大森林は帝国の侵攻を防ぐ自然の要害として機能してきた。
それが崩れたのが30年ほど前、アルブル帝国はフラウ王国を攻めんと大森林に軍を進めた。
しかし度重なる魔物の襲撃に帝国軍は疲弊。
ようやく大森林を越えたところで待ち受けていた王国軍に蹴散らされ、逆侵攻まで許した。
結果的に大森林はフラウ王国の領土となり、現在のアドニス村がある。
つまり何が言いたいかと言うと、いくら冒険者が間引きをしていると言っても、大森林が安全とはとても言えないってことなんですよね。
「リュシー、逃げろ!」
「でもでもっ」
「助けを呼んできてくれ! 頼む!」
それにしたって村からこんな近いところでゴブリンと出くわすとは本当にツイていない。
6歳の俺たちよりは一回り大きな緑色の体、裂けたような口蓋からはみ出した鋭い牙、餓鬼のように膨らんだ腹と細い手足、手には先を尖らせた木の枝の槍。
武器の所持は知性を感じさせるが、グゲゲとしか聞こえない声から会話は成立しそうにない。
ゴブリンたちは5匹、姿を見せた時にはこちらを半包囲しており、それを徐々に狭めつつある。このままでは囲まれる。
「リュシー!」
「ううううっ!」
辛くも包囲される前にリュシーは走り出す。
1匹のゴブリンがその背を追いかけようとしたが、俺がぶん投げた木剣がその背中に命中。怒りの声を上げながらゴブリンは振り返った。
よし、全部引きつけたな。
木々の合間にリュシーの姿が見えなくなったことを確認して、俺はゆっくりと息を吸って、吐いた。
それは呼吸に似ている。
吸い上げた魔力が俺という変換装置を通って魔法に変わる。
ずらりと俺を取り囲むように無数の氷の矢が出現した。
炎では被害が大きくなりすぎるし、岩では証拠が残る。
証拠を残さないという点では風の刃が優秀だが、威力的に辺りが更地になりかねない。そこまで細かいコントロールができるほど訓練できていないのだ。
ゴブリンたちは氷の矢を見ても何も理解できないのか一斉に飛びかかってくる。
一斉射出!
全方位に向けて射出された氷の矢はゴブリンたちを1匹も逃すこと無く穴だらけにして絶命させた。
後に残されたのは周囲に突き立った無数の氷の矢と、絶命したゴブリンの遺体。
そしてその中央に立った俺だった。
さて、魔法無きこの世界でこの力をどうしたものだろうか。
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