第42話 アッシュ・ブラッドレイン

 アッシュ・ブラッドレインの両親は疫病によって死んだ。そう珍しいことではない。回復魔法は傷や体力を回復させても、病には効果がないことが多い。ウィルスや細菌には対処できない。回復魔法とは治癒力を高める魔法で、体内の細菌やウィルスを殺す魔法ではない。

 病は貧しい者、富める者平等に襲い、死に至らしめる。

 彼は親の死に目に会えていない。両親が早い段階から隔離されたためだ。いつのまにかいなくなって、いつのまにか骨となった。葬儀では泣いていたアッシュをロザリアがあやしていた。ロザリアにもそのような優しさは持ち合わせていた。あるいは、幼かったからこそまだ持ち合わせていたのだろうか。

 アッシュの両親が亡くなるまでにロザリアとアッシュは4,5回会っている。二人して庭を駆け回ったり、屋敷でかくれんぼしたり、魔法ごっこをしたり、そのようにして遊んだ。一般的に幼子が魔法を使うのは禁止している。魔法をコントロールできず、相手を殺めてしまうこともあるからだ。なので、バレないようにほんのわずかに魔力を錬成し、魔法にする。大きさは小さな虫程度の魔法。それが魔法ごっこであり、どの年代の子供たちの間でも密かに広まっている。

 アッシュが小学校(のような初等魔法学校)に上がる年齢になって、両親は死んだ。それから、ロザリアの父親、カイ・ブラッドレインがアッシュを引き取った。弟夫婦の忘れ形見なので自分が育てたいとカイは思ったのだった。妻であるミアは反対しなかったし、ロザリアもそれを喜んだ。

 カイ夫婦は本当の息子のようにアッシュに愛情を注いだ。しかし、アッシュはどこかで孤独を感じていた。アッシュは愛情が注がれているのは理解していたが、結局本物の親ではないことを知っている。本物の親のようには甘えられなかった。その孤独は引き取られてからずっと続いていた。ロザリアがいびる前の話である。

 漠然とした孤独を紛らわすように、アッシュは魔法に打ち込んだ。アッシュの固有魔法は血ではなく火で、それは母親の血筋だった。アッシュの両親も、ロザリアの両親も出来損ないとは言ったことがないが、アッシュは自身でそう感じていた。ロザリアの家に来てから殊更それを感じるようになった。

「出来損ない」

 そんなカスみたいなことを言ったのはもちろんロザリアで、アッシュが魔法の頭角を現し、ロザリアに弟は自身を超える才能があると思わせたからだった。アッシュは血の魔法でなくとも、魔法が上達すれば認められると思っていた。しかし、ロザリアにはそれは逆効果だった。

 ロザリアにいびられるようになり、アッシュは孤独を深めていく。この家族に受け入れてもらえていないと考えるようになった。ロザリアを除けば、そのようなことはないのだが。魔法の才能なんてなかった方がよかった、アッシュはそう思うことさえあった。

 家族を見殺しにすることを選んだのはそのように家族愛が欠如していたからだろうか? それはそうとも言い難い。孤独を抱え込んでいたが、家族愛がないわけではなかった。

「アッシュ・ブラッドレインだな。聞きたいことがある」

 アッシュが散歩をしていた時だ。屋敷から一時間ほどの距離。領民の家がぽつぽつと現れてくる距離。孤独者はよく散歩をするものだ。散歩で孤独が癒やされるわけでもないのに。

 声をかけてきたのはフードをかぶった小柄な女。アッシュに見覚えはない。アッシュは無礼なやつだと思い、横を通り過ぎようとしたところで、一瞬、女の首元から紋章の描かれたネックレスが見えた。

「家族全員死ぬことになるが?」

 そして、その不穏な言葉でアッシュは立ち止まって振り返る。

「どういう意味だ」

「そのままの意味だ。だが、情報をもらえるのであればお前の姉か、お前自身を生かしてやろう」

 アッシュはいつでも魔法を唱えられるように構える。

「なに、大した情報じゃない。お前の両親と姉のおおよその在宅時間でいい。この曜日は何時にいて、とかそんな簡単なことだ。それで命が助かるんだ、丸儲けじゃないか。これほどの儲け話はなかなかないぞ? 姉を助かってほしいなら姉でもいい。お前、損得勘定ができないほど馬鹿ではあるまい。さあ、教えてきたくなったろ?」

「それで言いたくなると思ったのか?」

 そう言われてフードの女は首を傾げる。

「ふむ。どうやら私には交渉の才能がないようだ。あるいはお前が損得勘定のできぬ大馬鹿だということなのだが、まあ後者だろうな。私に交渉の才能がないわけないのだから」

「その自信は一体どこから来ているんだ……? 俺は教える気は――」

 言い終える前に、フードの女が遮った。

「やれ」

 突然、アッシュの腹部に衝撃。何が起きたかわからない。呼吸が止まる。ニャリ・ロゴナスが透明化を解いて現れる。ただの腹パンなのだが、意識を失いかけるほどの威力。獣人の腕力は、見た目の筋力以上にある。

 衝撃で後ずさったアッシュの首をニャリは片手で身体ごと持ち上げる。そして、ニャリは少しずつ締めていく。

「殺しちゃダメにゃ?」

「当たり前だろ。アッシュ・ブラッドレイン、喋る気になったか?」

 アッシュはこの猫女に勝てないと確信した。不意打ちでなければどうにかなかったか。そうは思えなかった。実力差がありすぎる。学校で模擬魔法戦しかしたことのないアッシュには経験が足りなすぎる。

 魔法を唱えようとしたが、唱えられない。魔法を作れない。

 魔法を使うには集中力がいる。模擬戦闘しか経験のないアッシュはそれを知らない。なぜ魔法を使えないのかわからずにパニックになる。

 息ができない。首も痛い。自然と涙が出てくる。

「おいおい、喋らないと死ぬぞ」

 フードの女が愉快そうにそう言うが、首を締められているのでアッシュは声が出せないのだ。

 アッシュの視界がぼやけてくる。

 死ぬ。

 そう思った時にニャリが手を離し、アッシュは足から落ちるが立つことができずに地面に四つん這いになった。アッシュは荒い呼吸を繰り返す。

「喋る気になったろ?」

 アッシュは惨めに泣きながら命乞いをして、両親や姉の在宅時間などの情報を漏らした。この時にアッシュの心が折れたと言うべきだろう。

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