第4話 どうか、良い夢を


 銀の短刀は魔族の黒い血で汚れていた。

 

「いけねぇ。ナイフとコンパスは掃除しろって死んだ蝿が囁いてたな」

 

 ハンカチで返り血を拭き取る。

 もう一度ルーナを見ると、喉笛を一突きされて死んでいる。

 眼が完全に干からびていた。

 みるみる腐敗していき、早速身体を蛆が這い回り始めた。

 猛烈な死臭に、思わず鼻をつまんだ。

 マガトの目は、真っ黒だった。

 不気味に口角が上がっていた。

 過呼吸気味に肩を上下させ、とうとう身体を抑えられなくなった。

 ありったけの声を上げて、突然走り出した。

 

「はあああああああっ!これで!俺の勝ち!俺の、蜍晏茜!」

 

 突然走り出したかと思えば、木に登って頂点から山々の遠景を見下ろす。

 

「宣誓!ここにマガトは魔法の最低讌オ閾エに派兵されたことを誓う!この命、刃毀れしたボロボロの魔剣に捧げる!」

 

 転瞬。

 視界が切り替わって森からどこかの王城へと切り替わる。

 目の前には歓声を上げる民衆と、軽やかな楽器の音が響く。

 踵を返した先には、王冠を被った――カズハと、その隣に彼の娘が立っていた。

 

「彼岸の戦、よくぞ莠コ豌代?轤コ縺ォ辷ェ蜈を捧げてくれた。心臓の底に自己批判する」

 

 国王の両手には彼の愛剣が握られていた。

 マガトは深く頭を下げ、その愛剣を受け取った。 

 歓声がどっと大きくなり、万雷の拍手に包まれる。

 

 ――バタン!

 

 その時、宮殿の奥の扉が強く開かれた。

 

「お前……」

 

 ――思い出した。俺はずっと、カズハの息子が鬱陶しく感じていたんだ。あいつさえいなければ、俺が一番の弟子になれていたのに……

 

 その息子は、マガトを忌々しい視線で射抜いていた。

 思わず飛びかかろうとするが、マガトの腕をカズハの娘が止めた。

 

「あんな莠梧ャ。蜑オ菴に構う必要なんて無いわ。さぁ、谺。縺ョ蝣エ髱「縺ク陦後%縺」

 

「待て!俺は縺雁燕と話がしたいだけだ!」

 

 感極まった人混みを掻き分け、その息子はマガトの元へと駆け寄る。

 マガトが剣を引き抜こうとしたその手を、カズハ国王が止める。

 

「師匠……」

 

「その者は我が子宮を嘔吐した不遜者!出来るだけ時間を割くことなくさっさと謐輔∪縺医※豁サ蛻せよ!」

 

 ずっと目障りだった存在は、今やその眼を絶望に染め、民衆によって殴られ、蹴られている。

 一斉に襲い掛かられた息子は抵抗することができず、瞬く間に血塗れになっていた。

 その光景を見て、次第に滑稽に思えてきたのだ。

 喉が枯れるほど面白くて、腹の底から笑い声が飛び出た。

 失礼だと分かっていながらも、笑いを堪えることができなかった。

 それこそ自らの首を絞めなければ、笑いが収まらないほどに。

 

 ――心地よい。ああ、気持ちが快い。

 

「マガト、お前には我が娘をやる」

 

 好きな女がいた。

 その女は、マガトの隣で微笑んでいた。

 

「私の部屋に、ご案内しますね」


 

 湖の辺りに建てた屋敷は、広大で美しい。

 地面に寝そべって、庭から湖を眺めていると、奥から二つの足音がした。

 振り返ると、世界一愛している存在と、赤子を抱き抱えた、胎の膨らんだ美麗な存在。

 世界一愛している存在が、四つあっても構わないだろうか。

 ああ、そうに違いない。

 

「愛してるよ、みんな」

 

「ええ、私も」

 

 時間がゆっくりと進んでいた。

 唇を重ね、マガトの肩へ身を委ねる。


 夜の湖は美しかった。

 満天の星は湖に反射して、天と地に星が散りばめられていた。

 四人は誰もいないこの絶景をこよなく好いていた。

 そして空を見上げると、懐かしき蒼色を吸い込んだ、満月が上がっていた。


 *   *   *

 


 ≪ 月星座――夢の終 ≫


 知りたかった不可解な行動の答えは、とうに迷宮入りしていた。

 篝火に頭から突っ込んで、マガトは火に焼かれて死亡した。

 熱さも苦しみも、呼吸すらも忘れていた。

 ただ彼は、幸せな夢を見ていた。

 死亡した瞬間に魔法が解かれ、ルーナの身体は自由になった。

 

「どうか、幸せな夢を」

 

 根幹にある欲望は、どれもこんなものである。結局ヒトの本音は、殺す時にしかわからない。

 力の大半を失っている。それでも護身程度の力は残っている。

 折角なので頑張ってこのオスの肉を喰らってみる。

 すぐに吐きそうになった。

 

 ――せめて、脳と心臓だけでも。

 

 脳はこんがり焼けていた。

 香ばしい味だった。

 心臓は血の味がしてちょっとだけ美味しかった。

 嘔吐しないように必死に堪えて、脳みそと心臓だけは口に入れておいた。

 多少知能が上がるのではなかろうか。

 

「あとは君達にあげる」

 

 血の匂いに誘われて、魔獣は眼を光らせていた。ルーナがその場を離れると、死体目掛けて魔犬が殺到していた。

 しかし魔犬は、決してルーナの元へ近づく事をしなかった。

 三日月は雲に隠れてしまった。

 ルーナは大きな溜息をついた。

 魔族だと分かればすぐに殺される。

 ヒトが主食であれば生きる為に魔族を殺すことは至極当然なので、その行為自体は否定しない。

 しかし、身を潜めて生きるには、魔族である事を偽る必要がある。

 魔物の生存領域に立ち入るということも、ヒトを上手く喰えないルーナには厳しい話で。


 少々お見苦しいものを見せてしまったが、ルーナは気まぐれに放浪する旅人である。

 気を取り直して、ルーナは小走りに次の街へ向かった。


 木々の隙間に陽の光が差し込んできた。

 雲で覆われた淡い光が、薄く空に広がっていった。

 崖の下には大きな川があり、その川には巨大な橋梁が架かっていた。

 そして橋梁を中心に、川の左右に都市が広がっていた。

 

 交易都市シャーレである。


 そして――次の物語が、始まるのです。

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