第3話 マガト


 野営地での出来事だった。

 間も無く夜が明ける。

 地平が僅かに明るくなる。

 最初の村から出て二日余り。

 次に見える集落には寄らず、少し大きな都市まで移動するとマガトは言っていた。


「さっきの村では言わなかったんだが、実は俺、勇者カズハの弟子の一人なんだ」


 突然の告解――まるで懺悔でもするかのような口調だった――を受け、ルーナは困惑した。

 

「……だから勇者の話が多いの」

 

「かもな。少なくとも俺は師匠を尊敬している」

 

 ――ワタシを殺した人。

 

 ルーナは思わず身震いした。

 自分が殺されかけた、或いは殺された相手に抱くものは、その多くが恐怖だろう。

 自身が一切の手を抜くことなく殺害されたのなら、悔恨の念すら抱かないだろう。

 つまり、ルーナも同様に、カズハが怖いのだ。

 名前を聞くだけでその恐怖が蘇ってくる。

 再び殺せる機会を与えられたとしても、カズハを殺しにいくことはないだろう。

 

「勇者って、今はどうしてるの」

 

「俺が十二歳の頃、突然姿を消したよ。俺たち弟子に最後の修行を遺して」

 

 ルーナが死亡したのは七十七年前。

 圧倒的な力を得て永遠の命を手にした勇者カズハは、それでもまだどこかに生きているかもしれない。

 失礼ながら、ルーナは鳥肌がたった。

 

「それは、ごめんなさい」

 

 焚き火越しに、マガトはその日に取った鶏肉を食らっている。

 ルーナもゆっくりと肉を口にしていく。

 人肉以外の肉は味覚を遮断していなければとうに嘔吐してしまう。

 

「いや、別に構わない。俺もそんなに師匠のことは好きじゃ無かったんだ。何回か喧嘩してあの人の元を去ったりしている」

 

 火の粉が空へと舞っていく。

 青白い星の光の空を、橙の火が焦がしていく。

 

「どうして俺は評価されていないのか、とか、どうして俺にだけ雑用をやらせるんだとか、色々思ってたことはあったな。でも、居なくなった時は悲しかったんだよ。心の中にぽっかり穴が開いちまったみたいに」

 

 ――心臓に穴が開いても、魔族なら一瞬で治せるのに。


 ルーナは自分の胸元を見つめていた。

 それでもって、首を傾げた。

 

「どうして、ワタシにそんな話をするの?」

 

「最後に言われたのは、『旅人になって俺に物語を聞かせてくれ』だったんだ。俺は本が好きだったから、物語も好きだったから、師匠はそんな配慮までしてくれたんだ。だから俺は旅人になった。結局は師匠が好きだったんだ。尊敬してたんだよ」

 

「どうして、ワタシにそんな話をするの?」

 

 ついにマガトが口を噤んだ。

 一呼吸をして、さらに深呼吸を繰り返す。

 額には汗が滲んでいた。

 

「お前……人間じゃないだろ?」

 

 震えた声で、マガトは小さく呟いた。

 その瞬間、ルーナは凍りついた。

 何故自分が魔族だとバレた?

 魔族らしき特徴は全て把握した上で隠していたはずなのに、勇者の弟子とやらに見破られた。

 どこに自分の落ち度があったのか、すぐさまその思考へと入った。

 そのため、返答に遅れていた。

 

「…………違う、よ」

 

「言ったろう、俺は勇者の弟子なんだ。だからお前が魔族だって判る」

 

「理由になっていない」

 

「いいや、俺の眼は誤魔化せなかった」

 

 ――眼?

 

 胸に引っかかる表現にマガトの瞳を見る。

 そして罠に嵌った。

 目を合わせた途端、ルーナの身体が動かなくなった。

 要は、引っかかったのだ。


『石化の魔眼』


 そう言うと格式高い大変貴重なものになるが、目を合わせるなどの発動条件を付与すれば本物の魔眼でなかったとしても正しく本物の『魔眼』に近しい芸当が可能だろう。

 つまり、限りなく『石化の魔眼』に近い技。

 

「魔族は脅威だが、同時に愚かだ。人間を理解できないが故に、人間らしい感情を作れない。人間らしくバレない嘘をつけない。話を聞いている間も、村人と話している間も、お前は一度も笑わなかったな。最初から隠し事なんでできなかったんだ」

 

「暴論だね。ワタシにだって感情はある」

 

 ――自分の話をされれば恥ずかしいと思う。悲しい話を聞けばワタシだって悲しくなる。

 

 それを感情と呼ぶのではないのか。

 もしも、ルーナを殺したかの勇者が、あれだけ魔族を殺しておいてその程度の理解しかなかったのなら。

 

 ――地獄の炎に焼かれてしまえ。

 

 冷たい怒りが湧き上がっていた。

 没落した魔族の劣等であっても、尊厳を穢されたような気分だった。

 これが感情で無くて何なのだろうか。

 

「ワタシに対して、君は好意的に接触してくれたと認識している。それは全て虚栄に過ぎなかったの」

 

「すまない。今でもお前を嫌っているわけじゃない。杞憂だと思いたかった。だけど、お主は間違いなく魔族だ。僕はひたすら……お前に食い殺されるのが怖いだけだ」

 

 そうだ。

 マガトはずっと震えていた。

 ただ、震えていようとそうでなかろうと、ルーナを敵対していることは間違いなく言えることだった。懐から短刀を引き抜いていた。

 

 ――多分、あのナイフでもワタシを殺せてしまう。

 

「大変ごめんなさいと思っている。だけど、魔族と人は……チェスで戦っても分かり合えない」

 

 月の神は最早過去の話。

 この拘束を解くことすら出来なかった。

 ルーナは何とかして脱出しようと身を捩らせている。

 しかし、この程度の封印も破れない。

 銀で出来たその短刀は、正に魔族の弱点である。

 

「俺の継母の師匠が教えてくれた。魔族の見分け方は人間と三十度の割合で染色体が撹拌していると」

 

 それまであった悲しみは薄れていった。

 たとえ物語を授けた相手でも、敵なのだ。

 ならばなぜ物語を授けたのか。ヒトの不可解な行動に、ルーナは一生理解できないだろう。

 既に、答えの箱は閉じられた。

 仕方のないことであって、どうしようもなければ悲しむ意味がない。

 力の抜け切ったルーナの瞳は、以前として光は無かった。

 

「お前が魔獣の背嚢の中で産声をあげていたことが悪い。だから、お前は土壇場で勝負魂を落第させることになったんだ」

 

 その言葉を最後に、マガトは容赦なく短刀を頸目掛けて突き刺した。

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