第2話 自分の話をされると恥ずかしい
目覚めると、ルーナはベッドの上だった。
――どうしてこうなってるんだっけ。
段々と昨夜の記憶が蘇ってくる。
霧が晴れて鮮明になった記憶を見返して、再びルーナはベッドに飛び込んだ。
「……思い出したくないのに」
耳まで赤くなっている顔を、必死に隠していた。
どういうわけか一匹のヒトが何故か月神の話を所望したせいで、ルーナは目の前で恥ずかしい思いをしなければならなくなった。
それも自分が倒される話など、あまり気分の良いものではない。
というか屈辱的でもある。
月の神は、惨めったらしく生に縋り付いていた。
ルーナが死んだ経緯は、語られている物語とは少しばかり異なる。
そもそもルーナが生き残ってしまった時点で違っているのだが、それは一旦端に置いたとしても、最初から違うのだ。
ルーナは大きなため息をついた。
朝は弱い。
それはルーナが魔族だから。
陽光がとんでもなく苦手なのだ。
だからこうして北方の様相を偽って厚着をしているわけで。
「ルーナさん、冷めないうちにご飯としようかの」
「あ、はい」
力の大半を失った状態であるルーナは、魔族として最低限の尊厳すらも失っている。
つまり、ヒトを喰らうことすらも出来なくなった。
腹が空かない、喉が渇かない、いつの間にかそんなつまらない身体になっていた。
久方ぶりのまともな食事は、感動的なまでに美味しかった。
焼き立てのパンがこんなに美味しいものなのか、自分の舌を疑った。
同時に人間の血肉が恋しい。
「おはよう。お寝坊さん。ま、疲れてるのも無理はないよな」
「みんな、早いね」
ルーナの起床が遅すぎることがおかしい。太陽は真上に登っていた。
子供たちは待ちわびていたかのごとく、食事が終わった瞬間に篝火のあった広場に集まっていた。
「お姉ちゃん、お話聞かせてよ」
「はやくはやく」
子供たちに話を急かされてしまった。
ルーナは困った顔で笑顔を作った。
「かなり昔の話だけど、聞きたい?」
元気よく「うん」と言った。
自信のない話だけど、ここは自身を持って話すしかない。
ぎこちないリズムで手を叩き、開始の合図を知らせる。
一口紅茶を口にした。
「昔、三本の大河が流れていた土地があった。海に面したそれらの大河は、それぞれ別の場所へと延びていた。だから船で別の場所に移動したり、商品を運ぶのには最適だった」
しかし、誰も船を利用しなかった。
何故なら、その三本の川は、すぐに氾濫してしまうからだった。
しょっちゅう豪雨が起こるため、氾濫もかなりの頻度で起こっていたのだ。
周辺の畑や村は一瞬にして壊滅し、次第に住民はその土地から離れていった。
それに地形変動によって川の形が変わり続けるので船での移動もそれほど便利とは言えなかった。
その頃、偶然近くを訪れていたドワーフの一家がその話を耳にし、土木に長けたドワーフと人間が結託して、強固な堤防を築き上げた。
それによって川の氾濫は高い堤防によって阻まれ、氾濫は激減した。
村は再び豊かになり、人間とドワーフは、それからずっと友好関係を保っていた。
内容を掻い摘んで説明すれば、このようなものである。
勇者の武勇ほど強い印象のない話だけども、子供たちはそれはそれで興味を持って聞き入っている様子だった。
何より魔族と人間が結託したという話が――現実味のない――お伽噺という雰囲気に拍車をかけていた。
「かなり古い話だ。人魔戦争中にそんな話をすれば殺されていたから、少なくとも戦前から密かに受け継がれてきたものかな?」
「そう。ワタシの故郷は……その、辺境だったから。お母さんから聞いたの……です」
魔王が戦死した現在でも、魔族と人間の溝は深い。
戦いは終わったものの、平和がもたらされることは無かった。
魔族と人間が友好であった時代など、一千年遡っても存在しないだろう。
その証拠として、先刻ルーナは嘘をついたと言っておこう。
「俺はマガトだ。修行の一環で、北に向かって旅をしている。お前にも旅の目的があるのか?」
その修行の内容について、ルーナは問い詰めることをしなかった。
そうしない方が相手の反応が良かったという経験によるものである。
「ワタシは、彷徨ってるだけ……」
強いて言えば、どうして生き残ってしまったのかという命題に、正誤問わず兎に角納得できる答えが欲しい。自分ですら死んだと思っていたのに、目が覚めてしまったのだから。
「せっかくだから、いくつか俺の話を譲渡する」
物語は自らが見聞きしたものか、他人から継承した話でなければならない。
勝手に他人の話を盗用すれば、旅人として失格である。
マガトは中空に指で文字を記す。
それは物語の題名と呼ぶべきもので、ルーナはその題名を記憶した。
題名を公表する時は、他人に継承する時のみである。
「一言一句聞き逃すなよ」
そして、手を叩いた。
マガトはさらに物語を重ねて行き、再び夜が訪れ、子供たちの就寝の時間になってしまった。
話を全て聞き終えると、ルーナは静かに立ち上がった。
「……受け継ぎました。ここを出ます」
「まぁ待てよ。俺も今から出る。次はどこに行くつもりだ?」
旅の目的などない。
ルーナは気ままに歩いて、街を見つけては立ち寄っている。
故に「どこか」と、そう答えた。
「なら、次の街まで俺と来てくれ。手伝ってほしいものがある」
冷え込んだ夜は暗さを増していった。
二人は今にも消えそうなランタンを手に、誰にも知らせることなく村を出ていった。
何故だろうか、マガトはどこか遠くを呆然と見つめていた。
黒く濁った眼光が、ルーナを密かに覗き込んでいた。
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