魔王が死んだのに最後まで生き残ってしまったので旅でもしようと思います。
原子羊
第1話 口頭伝承
旅人は、物語をいくつも所持している。
見知った物語こそが、旅人たる証明であり、足跡である。
知っている物語が多ければ多いほど、その旅人は有名になる。
そうして、古き話が灰燼に帰すことなく、脈々と語り継がれ、保存され続けてきたと言われている。
過去の教訓を学び、未来に生かす。その願いが込められた物語を、万人は幼少に必ず耳にした。
もっとも、教訓を学んだからといって、未来に生かすことができるかと言われれば、それもまた、歴史の示すとおりである。
* *
村の中心には篝火が置かれていた。
深夜に襲い掛かる魔族避けと、村を照らす灯りの役割を担っている。
「よう、お前も旅人か」
「……はい」
村に泊めてもらう代価として、旅人は物語を提供する。
という習慣は錆びれてしまったが、人間の善意はどこかに残っているというもの。
灰色の毛髪をした旅人は、無償で受け入れてくれたこの村に対して、ただの返礼として物語を贈るつもりであった。
村の子供たちは旅人に目を輝かせていた。
どんな物語を聞けるのか、楽しみで仕方がなかったようだ。
そこに偶然にも、二人目の旅人が現れたに過ぎない。
「お前もいくつか話を持ってるか?」
「ワタシは、新人だから。そこまで多くの話は持っていないよ……です」
北方、クロード雪原地方特有の訛りを持つ少女だった。
高級な繊維で縫い合わせたかのごとく艶めいた黒髪に、厚着の隙間から覗かせる粉雪のように白い肌。
瞳には滾々と黒い水を溜めている。
村の人間は時間が止まったかのように錯覚しただろう。
それはずっと彼女を見ていたいと彼らがそう願ったためであり、彼女を視界に収めている時間が無限にも一瞬にも感じられただろう。
それは煌びやかなドレスや、そうでなくても清潔感のある服装と靴ならば起こりえた現象だ。
しかし、実際の所彼女のボロボロの服装と泥で汚れた裸足が時間の流れを正常に戻していた。
正気を取り戻して見れば、彼女はただの田舎臭い女でしかなかった。
黒い瞳は、光を失っていた。
もっとも、容姿が整っていなかったところで村人からの印象は上がらないだけで、下がることはないのだが。
誰一人嫌そうな顔をせず、村はその少女を迎え入れた。
「そうか、兎に角座れ。俺が先に話す。しかし、皆は何が聞きたい?」
子供たちの回答はバラバラだった。勇者一行と魔王の決戦や、七神たちとの死闘。
あるいは最近あった面白い出来事、極めつけは旅人自身の物語を望む子供まで。
困り果てた青年の旅人は、とうとう少女に助けを求めた。
「なんでも、いいよ」
「それが一番困るんだよ。何かないか?」
「じゃあ、月神の話でどうでしょうか。ここから近い訳ですし」
村人の一人が、恥ずかしそうに手を挙げていた。
まだ若さが抜けきっていない青年は、その手にこの時代では珍しい紙の本を持っていた。
「月神……?七神の内、最初に死亡した一角か。でもどうして?」
「聞きたい!」
「聞かせてよ、お兄ちゃん」
子供たちからは喜びの歓声が上がった。
旅人の少女は、ひたすらに微笑を浮かべるのみだった。
旅人の青年が手を叩くと、周囲が一気に静かになった。
一定のリズムで刻むこの拍手が、物語の始まりの合図だ。
彼が喉の調子を整える。村長が飲み物を持ってきてくれた。
この村の特産物である麦酒だった。
「それでは――十代目の勇者カズハは、東方へ進軍中に巨大な貿易都市、ライバックへとたどり着いた……」
* *
貿易都市は両陣営にとっての生命線になりうる場合を考慮し、緩衝地帯とする条約が結ばれている。
にも拘らず、ライバックからの定期便が途絶えたことにより、ライバックが占領されたことが明らかとなった。
貿易都市は封鎖され、さらに実質的な支配権は月神の下にあった。
カズハ率いる勇者一行は、偶然にも近隣で冒険者の依頼を受けていたことにより、軍よりも早く現地に到着した。
貿易都市一番の大通りは、人が行き交い、さらに荷馬車が何台も並走する巨大な石畳の通りである。
その大通りですら、人影の一つも見当たらなかった。
「……誰もいないな」
「外出を自粛しているのかしら、それとも……」
魔法使いライラは商店の窓を覗き込んだ。
中は人の気配が無く、扉は鍵がかかっていない。呼びかけても、誰も返事をしなかった。
建物の中は人が住んでいたような痕跡すらも消えており、廃墟にしては建物が新しすぎる。
――解析結果:正常。
カズハの鑑定スキルの判定結果も正常。
だが、彼らの勘が異常であるとの警告を示していた。
「ウインク。君の加護は機能しているのか?」
しかし反応はない。
ウインクの顔は真っ青で、全身から冷や汗が出ていた。
カズハは慌ててウインクの元へと駆け寄り、今にも倒れそうな身体を支える。
彼女は震えながら、声を絞りだした。
「ここ……こわい…………」
震えた指が示した先――貿易都市の中枢、貿易省の建物が、四人を見下ろすかのごとく聳え立っている。
「何かが、あそこにある……」
「ウインクの加護は神級に達している。それでも分からないのに、どうしてこんなに寒気がするんだよ……って、エナ?」
「行くしかないじゃない!あたしたちがいくら立ち止っていようと何も解決しないわ!」
そんな懸念を吹き飛ばすほど早く、エナは駆け出していた。
癖のある金髪がひらりと舞う。
他に誰も付いてきていないというのに、彼女はただ一人で疾走していた。
「まったく、ああいう馬鹿には勝てないわね」
ライラは呆れを通り越して笑っていた。
ため息交じり、しかし不安はため息と一緒に吐き出されていた。
「……本当に、頼りになる。行くぞ、ウインク。大丈夫、俺たちはそう簡単に死なないさ」
「………………うん」
エナの後を追うように、三人も貿易省へと向かって行った。
中心に近づけば近づくほど空の様子が変わっていく。
雲が蟲のように蠢き、現れては消える。
――太陽の位置……。
「ねぇ、夜になってくよ!」
思考を遮るように、エナの声が届いた。
二ブロック先にいるというのに、声がよく響く。
しかし、カズハはその言葉が奇怪でならなかった。
何故ならカズハから見えている空は――
夜どころか、昼下がりの快晴であったからだ。
「……もしかして」
ライラが何かに気がついたのか、空を見ながらエナの方へと駆け出した。
「……やっぱり!変わってる!」
エナの元へと走るライラの目には、茜色の空と、赫々たる太陽が映っていた。
そして太陽は歩く速さに合わせて沈んでいき、エナの元へと辿り着く頃には、黄昏が間も無く訪れるであろう夜を迎え入れるところだった。
「中心に行くほど、夜になる。結界の類か」
「時間の操作……。人類には未解明の魔法……」
ウインクの震えがさらに強まるのを感じ、カズハはより強く肩を引き寄せた。
「夜になったからってどうってことないじゃない。早く行くわよ!」
そして四人で中央の貿易省へと突き進む。
その間にも雲は流れていき、出たり消えたりをくり返す。
そして太陽が沈んだ方向とは逆の方向に、丸い月が姿を現した。
さらに進むとその月が天に昇っていく。
石畳の通りが蒼く反射するようになり、異変を感じて空を見上げる。
「蒼い月……」
空が青いのは当然。
しかし、暗影を孕んだ青色の空が広がっていた。
その頂点に、蒼く染色した月が鎮座していた。
――?
カズハは目を凝らしてその蒼い、月を見た。一瞬、目の錯覚か何かと思ったのだ。
目を擦ってもう一度空を見ると、残念ながら、それは錯覚ではなかった。
「おい……あそこ…………」
月を凝視すると、黒いシミのようなものがあったのだ。
カズハの千里眼を用いて視認しようとすると、千里眼が拒絶反応を示していた。
だが、それはヒトの形をしていた。
「……人が、浮いてる?」
仰向けに、眠るように、横たわった人が、いた。
突如、『それ』が体を起こしたのだ。
「――ヒィッッッ!」
ウインクが悲鳴に似た声をあげて、今にも悶絶しそうになっていた。
「目が……合った」
振り返ると、『それ』は空の上に立っていた。
陰だけしか見えていないというのに、明確に目が合っている恐怖がした。
こちらを見られている。
今にも殺されそうな、濃密な死の気配が漂う。
風が止んだ。
膿のような重い空気が小刻みに震えている。
『それ』が何なのか、四人には分からない。
だが、事前に提供された情報の有無にかかわらず、敵意を向けるこの『世界』の正体が何か、察することは容易であろう。
背後の蒼い月が、太陽に劣らない美しさを放っている。
曰く、『それ』は、月の使者である。
曰く、『それ』は、人類の敵である。
曰く、『それ』が現れる時、決まって月は蒼くなる。
魔王軍最高幹部『七神』が一柱。
その名は――
* * *
「…………こうして、長きにわたる戦闘は幕を閉じ、月の神は勇者カズハに討ち取られた。ライバックは再び平和を取り戻したとともに、魔王軍は大きな損害を被った」
長い話だというのに、子供たちは一人も眠ることなく物語を聴き終えていた。
言わずもがな、語り手の旅人の話が巧いからである。
「やっぱり面白いね!」
「うん」
「次は?次のお話は?」
子供たちは思い思いに感想を述べあっている。
青年の旅人は掠れた喉を麦酒で潤し、咳き込みながら話し出した。
「次はアンタの番だ。旅人、一つや二つ、語れるものがあるだろう?」
「ワタシ、ひとつ持ってるよ……です」
取ってつけたような敬語に、青年は失笑した。
「そんなに緊張しなくていい。最初なんだから自分のペースで話してみろ」
「……うん」
しかしながら、篝火の火が消えかかっていた。
それだけ長く話したということである。
夜も更けてきた。
白い三日月が地平線近くに見えた。
「儂らも是非聞きたいところじゃが、もう夜も遅い。残念じゃが、続きは明日にしようかのう。お嬢さん、今夜はうちに泊まっていきなさい」
思いもよらない誘いに、少女の旅人は目を丸くした。
それまで、彼女の生活は良いとは決して言えなかった。
旅人となった経緯も、他にできる仕事が無かったからに過ぎない。
だからこそ、ヒトからそのような親切を受けること自体が少なかった。
「ありがとう、です」
信じられない出来事に、お礼の言葉すらも忘れてしまいそうになった。
「ああ、そういえば、あなたのお名前を伺っていなかったのう。お若い旅人さん、名前はあるかね?」
語源は分からないらしい。
でも、良い名前だったかと言われればそうではなかった。
それでも、つけてくれた名前だけが両親の形見になってしまった。
「ルーナ」
少女の旅人は、ルーナと呼ばれていた。
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