リカバリー・ガール
島原大知
本編
第1章
「今日から、ここが私の新しい居場所になるのか…」
薬物依存リハビリ施設「ソレイユ」の前で、小森結衣はぼんやりと呟いた。初夏の陽光が眩しく、白く輝くコンクリートの建物に反射している。結衣は目を細めながら、重い足取りで自動ドアをくぐった。
受付では優しそうな女性職員が応対してくれた。しかし結衣は、自分を責めるような視線を感じ、居心地の悪さを覚えた。事務手続きを済ませ、与えられた部屋に案内される。
部屋はシンプルだった。ベッド、机、椅子、本棚。小さな窓からは中庭が見える。他の入所者たちが談笑している姿が目に入った。自分だけが仲間外れのようで、結衣の心は沈んでいった。
カバンからタオルや着替えを取り出し、整理し始める。自宅で母親と言い争いになった時のことを思い出す。結衣のドラッグ使用がばれて、絶望した母は結衣を激しく責めた。結衣も感情的になり、互いに傷つける言葉を投げつけ合った。母の涙を見て、結衣は胸が張り裂けそうになった。
「お母さん、ごめん…。私、ちゃんと更生する。絶対に…」
ふと、結衣は小さな鏡を手にした。そこに映る自分の顔は憔悴し、影があった。頬はこけ、目は充血している。口元には皮肉な笑みが浮かんでいた。鏡を睨みつけながら、結衣は呟いた。
「こんなダメな私でも、変われるのかな…」
不安な思いが込み上げてくる。1週間前、学校の友人に誘われ、ドラッグを使ってしまったのだ。それまでも何度か使用していたが、あの時は抜け出せなくなるほどの快感に襲われた。そして、現実の辛さから逃避するために、薬物に頼る自分がいた。
父を事故で亡くして以来、母との関係はギクシャクしていた。母は以前にも増して厳しくなり、結衣に高い期待を寄せるようになった。勉強、部活、習い事。母の期待に応えようと必死に頑張る結衣。でも虚しさが募っていく。そんな時、ドラッグが全てを忘れさせてくれた。
窓の外では、新緑の葉が風にそよいでいる。遠くに小鳥のさえずりが聞こえる。平和そのものの風景に、結衣は自嘲気味に笑った。
「こんなきれいな景色が見えるのに、私ときたら…」
ここで過ごす3か月間で、本当に自分は変われるのか。不安は尽きない。でも、ここにきたからには頑張るしかない。少しでも前に進みたい。そう思い、結衣は気持ちを奮い立たせる。
鏡の前に立ち、髪をかき上げる。髪はボサボサに伸び、顔色も冴えない。でもその瞳には、かすかな光が宿っている。結衣はその光を頼りに、ゆっくりと歩き始めるのだった。
廊下を歩きながら、結衣の脳裏をよぎる。友人の裏切り、母との衝突、そして薬物に溺れる自分。
「逃げちゃダメだ。現実から目を背けちゃダメだ」
自分に言い聞かせるように、結衣は唇を噛みしめる。
そのとき、廊下の向こうから明るい声が聞こえてきた。
「あ、新しく入所した子だね! 初めまして!」
振り返ると、小柄な女の子が目の前に立っていた。ショートヘアが快活に揺れている。屈託のない笑顔に、結衣は思わず目を見開いた。
「私、吉岡萌。みんなからは萌ちゃんって呼ばれてるの。よろしくね」
差し出された手に戸惑いながらも、結衣は自分の手を重ねた。
「小森結衣です。こちらこそ…よろしく」
萌の笑顔に、結衣の緊張がほぐれていく。まるで春風に包まれたような心地よさを感じた。
「ね、ね、一緒にカフェテリア行かない? 今日のおやつ、ブルーベリーマフィンなんだって。私、ブルーベリー大好きなの!」
初対面とは思えないフレンドリーな態度に、結衣は面食らいながらも、その申し出を受けた。
「う、うん。いいよ」
萌に手を引かれるまま、結衣はカフェテリアへと向かう。まだ見ぬ仲間との出会いに、期待と不安が交錯していた。
第2章
カフェテリアは明るい日差しに包まれていた。テーブルを囲むように、数人の少年少女たちが談笑している。甘い香りが漂い、リラックスした雰囲気が流れていた。
「萌ちゃん、おかえり!」
「今日のおやつ、めっちゃおいしそう!」
明るい声が飛び交う中、少し居心地の悪さを感じる結衣。それでも萌の手に導かれるまま、一つのテーブルに着いた。
「みんな、この子新入りの結衣ちゃん。仲良くしてあげてね」
「よろしくね、結衣ちゃん」
「一緒に頑張ろう!」
初対面とは思えない温かい歓迎に、結衣の緊張が少しほぐれていく。口元に自然と笑みが浮かぶ。
「よ、よろしくお願いします」
テーブルの上には、大きなブルーベリーマフィンが鎮座している。つやつやと輝く紫色の実が、焼き菓子の上でころころと転がっている。萌はうっとりと見とれながら、マフィンに手を伸ばした。
「わあ、やっぱりおいしそう! 結衣ちゃんも食べてみて」
「うん、ありがとう」
結衣も恐る恐るマフィンを手にする。ふわりとバターの香りが鼻をくすぐる。一口含むと、しっとりとした生地の甘さと、ブルーベリーの酸味が口いっぱいに広がった。
「おいしい…」
自然と言葉が漏れる。心の中に、かすかな喜びの感情が芽生え始めていた。
「へへ、そうでしょ? ここのマフィン、最高なんだから!」
満面の笑みで頷く萌。その笑顔に、結衣もつられて笑みを深くする。温かな陽射しを浴びながら、おいしいお菓子を食べる。それだけのことなのに、結衣の心は軽やかになっていく。
「みんなは、どうしてここに…?」
ふと、そんな言葉が口をついて出た。聞くべきではないことを聞いてしまった、と結衣は慌てる。だが周りの少年少女たちは、あっけらかんとした様子で答えた。
「私はシンナーがやめられなくて…」
「僕は覚醒剤を使ってた。どん底まで落ちちゃってさ」
「家族に見放されて、もう生きていけないと思った時もあったな」
明るい口調でそう言う彼らの横顔に、結衣は言葉を失った。重い過去を背負いながらも、前を向いて生きる強さを感じる。
「辛かった経験も、今は笑い話にできるんだね」
萌が肩をすくめて言う。
「辛かったことは忘れないけど、そればっかりにとらわれてたら前に進めないもんね。だからみんな必死に頑張ってるの」
「そう…だよね」
結衣は曖昧に頷いた。自分の心の中に渦巻く、晴れない霧のようなモヤモヤ。それを払拭するには、強い意志が必要なのだと分かっていた。
「結衣ちゃんも、きっとその笑顔を取り戻せるよ。信じてる」
萌に言われ、結衣の目が潤む。初対面の少女に、こんなにも優しい言葉を掛けてもらえるなんて。胸の奥がじんわりと熱くなった。
「ありがとう…萌ちゃん」
こみ上げる涙を堪えながら、結衣は微笑んだ。萌の言葉が、心に深く染み渡っていく。
カフェテリアでの楽しいひとときは、あっという間に過ぎ去った。結衣は萌たちと別れ、自分の部屋に戻る。ベッドに腰掛け、窓の外を見やる。
中庭では、オレンジ色の夕日が樹々の間からこぼれている。空はグラデーションを描き、淡いピンク色から濃い藍色へと移り変わっていく。
「こんな風景、いつぶりかな…」
薬物に溺れる日々の中で、自然の美しさを感じる機会など無くなっていた。季節の移ろいにも無頓着だった。それなのに、今はこの夕景にさえ感動してしまう自分がいる。
「変わりたい。私…」
胸の内で強く念じる。仲間たちのように、前を向いて生きたい。母の期待に応えたい。そして何より、自分自身を取り戻したかった。
冷たく硬い薬物の錠剤ではなく、萌とのふれあいのような温かくて柔らかな喜び。そんな当たり前の幸せを手にしたかった。
結衣は両手を胸の前で組み、目を閉じた。空っぽだった心の中に、かすかな灯りが灯ったような気がした。
「ここから、新しい人生が始まるんだ…!」
カーテンを全開にし、夕日を部屋いっぱいに取り込む。オレンジ色に染まった顔を上げ、結衣は未来への期待に胸を膨らませるのだった。
第3章
夜が更けていく。冷たい月明かりが、結衣の部屋の窓ガラスを照らしている。ベッドに横たわりながら、結衣は今日出会った仲間たちのことを思い返していた。
「ここには、私と同じ境遇の人がたくさんいるんだね…」
結衣は薄暗い天井を見つめる。ふと脳裏に浮かんだのは、ドラッグパーティーの記憶だった。けたたましい音楽、刺激的な光、そして同じように意識を失っていく仲間たち。
「あの時も、私は孤独だった。寂しかった。だから薬に頼った…」
涙がこぼれる。自己嫌悪の念がこみ上げてくる。だが同時に、あの時感じたどん底の気持ちを、ここにいる仲間たちも味わってきたのだろうと思った。
「一人じゃない。私は一人じゃないんだ」
そう自分に言い聞かせる。心の奥に灯った希望の光を、消してはいけない。結衣は目を閉じ、まどろみについていった。
翌朝、目覚めた結衣を待っていたのは、明るい陽光だった。身支度を整え、カフェテリアに向かう。
「結衣ちゃん、おはよう!」
入口で結衣を出迎えたのは、萌だった。屈託のない笑顔が眩しい。
「萌ちゃん…おはよう」
「今日は外でお散歩しない?天気いいし、気持ちよさそうだよ」
「うん、そうだね」
結衣は小さく頷いた。外の空気を吸いたい。太陽の光を浴びたい。そんな欲求が湧き上がってきた。
萌と並んで歩きながら、結衣は深呼吸をする。爽やかな風が髪をなびかせる。木漏れ日が優しく頬を照らす。
「気持ちいいね」
「そうだね。こんな風に外を歩くの、久しぶりかも…」
萌の言葉に、結衣は小さくつぶやいた。薬物に溺れていた頃は、外出する気力すら失っていた。
「ねえ結衣ちゃん、私ね、ここに来る前は、家族とも上手くいってなかったの」
不意に、萌が真面目な顔で話し始めた。
「お母さんは過干渉で、私の言うことを全然聞いてくれなくて。反抗したくて、ムキになって…だからシンナーに手を出したんだ」
「萌ちゃん…」
「でもここに来て、みんなと関わる中で気付いたの。私、お母さんのことも、家族のことも大切に思ってたんだって」
萌は空を仰ぎ、微笑んだ。
「薬に頼らなくても、本当の自分で生きていけるはずだよ。結衣ちゃんも、そう思わない?」
「うん…そうだね。私も変わりたいと思ってる。本当の自分に戻りたい」
結衣の言葉に、萌はにっこりと頷いた。
二人で芝生の上に座り、青い空を眺める。白い雲が、ゆっくりと流れていく。
「今はまだ怖いけど…この先の未来が、楽しみでもあるんだ。私、頑張ってみようと思う」
結衣の瞳に、希望の輝きが宿る。
「うん、一緒に頑張ろう!みんなで支え合いながら」
萌が結衣の手を握る。あたたかな体温が、結衣の心に伝わった。
そのとき、背後から声が聞こえた。
「あ、二人とも、こんなところにいたんだ」
振り返ると、そこには初対面の青年が立っていた。長身で、柔和な笑みを浮かべている。
「新太くん、遅かったね!」
「ごめんごめん。ボランティアの時間、間違えちゃってさ」
そう言いながら、新太は結衣に気付いた。
「君は…確か、昨日入所した結衣さんだよね?」
「え、ええ。よろしくお願いします」
「こちらこそ。僕、速水新太。君の担当になるから、これからよろしくね」
新太の柔らかな物腰に、結衣は少し緊張がほぐれるのを感じた。
「新太くん、すっごく優しいんだよ。頼りになるよ」
そう言って萌が笑う。
「頼りにしてください。二人とも、一緒にがんばりましょう」
新太は力強く言った。結衣は感謝の気持ちを込めて頷いた。
風が心地よく吹き抜けていく。空を見上げると、太陽が眩しかった。結衣は この瞬間の平穏に、幸福を感じずにはいられなかった。
「ありがとう…みんな」
心の中でつぶやき、結衣は立ち上がった。萌と新太に挟まれて歩き出す。
新しい一歩を、結衣は今、踏み出したのだった。
第4章
「今日のセッションのテーマは、『家族』です」
ソファに座る5人の少年少女たちに向かって、新太がにこやかに言った。
「みんなの生い立ちや家庭環境は様々だと思います。でも、ここにいるみんなに共通しているのは、家族との関係がどこかでつまずいてしまったこと。その辛さを、今日は語り合えたらと思います」
カウンセリングルームに、重苦しい空気が流れる。それでも、少年少女たちは真剣な表情で新太に聞き入っている。
「じゃあ、まず僕から話そうかな」
新太は椅子に深く腰掛け、ゆっくりと切り出した。
「僕は、親父とうまくいかなかった。厳格なんだ。僕の言いたいことを全然聞いてくれない。反発心から、つい言い過ぎたこともある。『こんな家、出ていく!』なんて言って」
懐かしむような、少し寂しげな表情を浮かべる新太。結衣は、そんな新太の横顔をじっと見つめていた。
「でもね、ここに来て分かったんだ。親父は、ああいう風に僕に接することで、僕を守ろうとしてくれていたんだって。不器用なだけで、愛情表現なんだ。今ではそれが理解できるようになった」
新太の言葉に、頷く少年少女たち。
「僕も、お父さんとよく喧嘩した。どんなに反抗しても、お父さんは怒鳴るだけで、僕の気持ちを汲み取ってはくれなかった」
そう話し始めたのは、真樹という少年だった。
「でも、お母さんが倒れて、お父さんが必死に看病する姿を見たとき、ハッとしたんだ。ああ、お父さんはこんなに頑張ってるんだって。僕のわがままに振り回されて、疲れ果ててたんだなって」
「うん、分かるよ。私も、両親に反発ばかりしてたけど、あれは自分の弱さの裏返しだったんだなって、今は思うの」
康子という少女も続けた。
「みんな、家族思いなんだよね。ただ、それをうまく伝えられなくて。私たちも、素直になれなくて」
「そうだね。わかり合えなかった日々は、親も子も辛かったと思う。でも、今ならそれを乗り越えられるはずだ。信じ合うことの大切さに気づけたんだから」
新太の言葉に、少年少女たちの表情が明るくなっていく。
結衣は胸が熱くなるのを感じていた。自分と母の関係も、きっと修復できるはずだ。互いの気持ちをぶつけ合えば、わかり合えるに違いない。
心に決意を固める結衣。その表情を見て、新太が微笑んだ。
「結衣さんは、どうかな?何か話せることがあれば」
「私は、母を許せなかった。母は父を亡くしてから、私にばかり期待をかけるようになって。勉強しろ、習い事に行け、友達とは遊ぶな。私は反発して、薬に逃げた。母を傷つけてやりたかったんだ」
言葉を絞り出す。込み上げてくる涙を、必死にこらえる。
「でも今は、母の気持ちが分かる気がする。一人で私を育てる責任の重さ、将来への不安。私に期待することで、母は私を守ろうとしてくれていたんだ」
そこで結衣は言葉を詰まらせた。降り注ぐ陽光が、涙でぼやけて見える。
「だから私、母に謝りたい。感謝の気持ちを伝えたい。母を…理解したいんだ!」
感情を抑えきれず、結衣は泣きじゃくった。
すると、隣に座っていた萌が、そっと結衣の手を握った。
「結衣ちゃんの気持ち、みんなに伝わったよ。ここにいるみんなも、きっと同じ想いを抱えてるはずだから」
涙でぐしゃぐしゃの顔で、結衣は萌を見た。
「私、母に会いに行く。ここを出たら、真っ先に」
「うん、きっとお母さん、喜んでくれるよ。結衣ちゃんの솔직な気持ち、受け止めてくれるはずだから」
康子も、結衣の背中をさする。
「僕も、両親に飛びついて謝りたいよ。今まですまなかった、これからは理解者になる、って」
真樹は拳を握りしめ、力強く言った。
「みんな、家族のことを大切に思ってるんだね。その気持ちを胸に、これからも前を向いて歩んでいこう」
新太が言葉を結ぶと、少年少女たちからは大きな拍手が沸き起こった。
結衣も涙を拭い、晴れやかな表情で拍手に加わる。
心の中で、ずっと閉ざしてきた扉が、今、開かれたのを感じた。母への愛情の扉。理解への扉。
「お母さん…ただいま」
心の中で呟き、結衣は仲間たちと抱き合った。
カウンセリングルームに差し込む陽光が、一層眩しく輝いているように見えた。
第5章
「今日で、ここでの生活も最後だね」
窓辺に立つ結衣に、萌が寄り添って言った。
「うん。あっという間の3か月間だった」
「寂しくなるなぁ。結衣ちゃんとは、いっぱい思い出作れたし、たくさん笑った気がする」
「私も、萌ちゃんと出会えてよかった。みんなと過ごせて、本当に幸せだった」
二人は顔を見合わせ、にっこりと微笑む。
窓の外では、木々の葉が紅葉し始めていた。オレンジ色や黄色に色づく葉が、秋風に揺れている。
「季節も変わるね。私も変われたのかな」
「そうだよ。結衣ちゃんは強くなった。優しくなった。本当の結衣ちゃんに出会えたんだよ」
萌の言葉に、結衣の瞳が潤む。
「ありがとう、萌ちゃん。私、ここで学んだことを胸に、外の世界でも頑張るよ。そして、また絶対に萌ちゃんに会いに来るから」
「約束だよ。私もここを出たら、結衣ちゃんに会いに行くからね」
二人は小指を絡め、固く約束を交わした。
退所の日、施設の前には結衣の母の姿があった。
「陽彩…」
「お母さん…」
涙ながらに抱き合う母娘。
「ごめんなさい。お母さんは、あなたの辛さに気づいてあげられなかった。あなたを一人で抱え込もうとして…」
「ううん。私こそごめんなさい。お母さんの愛情に気づけなくて。勝手に薬に逃げて…」
互いに詫び合う二人。結衣は母の背中をそっと撫でた。
「これからは一緒に頑張ろう。二人三脚で」
「ええ。お母さんはずっとあなたの味方よ。どんな時も、あなたを愛しているから」
抱擁を交わし、結衣は母の手を握った。
「さぁ、帰りましょう。おうちに」
「うん。ただいま、お母さん」
施設を後にした結衣を待っていたのは、輝かしい未来だった。
高校に復学し、勉強に励む毎日。放課後には、図書室で本を読んだり、友人とおしゃべりを楽しんだりする。
「結衣、最近表情が柔らかくなったね」
そう言って友人が微笑む。
「そうかな。ちょっと、色んなことがあったんだ」
「そっか。何があったのか聞かないけど、今の結衣はとってもいい顔してるよ」
嬉しそうに言う友人に、結衣も満面の笑みを返した。
休日には、母と一緒に美術館へ出掛けたり、公園を散歩したりした。
「陽彩、あそこの噴水ステキね」
「ホントだ。虹が架かってる…!」
母娘で空を見上げる。噴水から上がる水しぶきが、陽光を受けてキラキラと輝いている。そこに架かる七色の橋。
「お母さん、私、将来は絵を描く仕事がしたいな」
「あら、素敵じゃない。陽彩の描く絵、きっと多くの人の心を癒やしてくれるわ」
「お母さんが一番の理解者でいてね」
「もちろんよ。あなたの夢を、お母さんは全力で応援するから」
寄り添い合う母娘。結衣の心は、どこまでも高く、自由に飛んでいく。
ある日の放課後、結衣の携帯が鳴った。
「もしもし、結衣ちゃん?私、萌!退所して、今は実家にいるの」
久しぶりに聞く、あの元気な声。胸が熱くなる。
「萌ちゃん…!元気にしてた?私も退所して、今は学校に通ってるよ」
「良かった…!結衣ちゃんの声、聞けてすごく嬉しい」
二人で近況を報告し合う。施設を出てからの日々、家族との再会、これからの夢。
笑い声が、携帯越しに弾けた。
「ねえ結衣ちゃん、今度会わない?私、結衣ちゃんに会いたくて」
「私も!萌ちゃんに会いたかったの。一緒にお茶でもしましょ」
「ええ、楽しみ!新太くんたちともまた連絡取り合ってるの。みんなでまた集まれたら最高だね」
「そうだね。みんなにまた会えるの、すごく嬉しい」
約束の日時を決め、結衣は携帯を置いた。
胸の中から、漲るような喜びがこみ上げてくる。
仲間たちとの絆。二度と失くしたくない、かけがえのないもの。
「私、この幸せを大切にしていくよ」
心に誓う。今ここにある、小さな幸福を抱きしめながら。
窓の外を見やると、冬の街並みが広がっていた。
枯れ木の枝に、雪の結晶がきらめいている。
「あれ?雪だ!」
教室から歓声が上がる。結衣も笑顔で窓辺に駆け寄り、友人たちと一緒に初雪を眺めた。
一片一片の雪の結晶が、宝石のようにまばゆい。
降り積もる白銀の世界。
「今年最初の雪。なんだかワクワクする」
隣で友人がつぶやく。
「うん。真っ白な景色、なんだか希望に満ちてるみたい」
結衣は心からそう思えた。
薬物に塗れた真っ黒な日々。それを洗い流すように、真っ白な雪が降る。
自分の心も、こんなふうに真っ白に塗り替えられたんだ。
「私、ここから新しい人生を歩めるんだ」
晴れやかな気持ちで、結衣は空を仰いだ。
降り注ぐ雪が、頬にそっと触れる。
その冷たくて優しい感触に、結衣は目を閉じた。
「さぁ、新しい世界の始まりだ」
かすかに微笑み、結衣はまた歩き出す。
輝ける未来に向かって。ゆっくりと、けれど力強く。
リカバリー・ガール 島原大知 @SHIMAHARA_DAICHI
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