第26話 円盤

 わたしは今、異世界にいる。

 何度試みても失敗した異世界転移でしたが、これが最後の一回だと全魔力を籠めたところ、無事に異世界転移に成功したようです。

 色々腑に落ちないことはありますが、無事に目的の異世界へ転移し、そしてずっと会いたかった魔王様と再会できたのは奇跡以外の何物でもないでしょう。


 なので、目的は達せられました。

 達せられたのですが……。


 今わたしがいるのは、異世界のとてものどかな広場。

 周囲を見回せば、この世界の家族連れなどが思い思いの時間を楽しんでいるように見えます。


 そしてその周囲に溶け込むように、見たことのない動物とじゃれ合って笑っている魔王様のお姿――。


 魔王様といえば、常に厳格でカリスマ性に溢れており、いつだってわたし達のことを導いてくれる圧倒的な存在。

 そんな魔王様が、今はこの世界の見慣れない服に身を包み、魔獣のような動物と楽しそうにじゃれ合っているのです。


 それだけで、既にわたしの頭の中はパニックです。

 何がどう転べば、こんなことになってしまうのか理解が追い付きません。


 ……ですが、それすらも凌駕する驚きがあります。


 それは言うまでもなく、何故か魔王様があの勇者と行動をともにしていることです。

 勇者といえば、たった一夜で魔王城を墜としてしまった正真正銘の化け物。

 全魔族が束になったところで、敵う気が全く起きない最早歩く災害。

 そんな勇者と、何故魔王様がここまで親しくしているのか……。


「こら、あまり遠くへ行くなよー」

「はーい!」

「ワンワーン!」


 勇者の呼びかけに、とても無邪気な笑みとともに元気よく返事をする魔王様。

 そんな魔王様の姿に、やれやれしながらもどこか優しい笑みを浮かべる勇者の姿。


 ――ダメ、ちょっとクラクラしてきました……。


 もうこれは、意味が分からないどころの騒ぎではない。

 むしろ分かることが、ここには一つもないのです。


「……まぁ、なんだ。喉乾いてないか?」


 すると、そんな具合を悪くするわたしを気遣うように勇者が声をかけてくる。

 振り向くと勇者は、透明な容器に入った水のようなものを差し出してくる。


 ――だ、大丈夫なの……?


 あの勇者が、わたしなんかに施しをするとは思えない……。

 警戒するわたしに、勇者は困ったような笑みを浮かべる。


「大丈夫、毒なんて入ってないし、ほら」


 そう言って勇者は、鞄から同じものをもう一つ取り出すと、それを目の前で飲んで見せる。

 まぁ、そんな咄嗟に毒を仕込んだようには見えないし、この恐ろしい勇者が毒なんて使う必要もないでしょう……。


 飲まず食わずで異世界転移へ挑んでいたわたしの喉は、思えばカラカラ。

 ここは一旦、有難くその飲み物をいただくことにしましょう……。


 ゴクゴク――。


 ――んんっ!? 何ですかこれはっ!?


 見た目は完全に水そのもの。

 しかし飲んでみると、フレッシュな果実の甘い味わいが口に広がっていく。

 雑味もなく、まるで今摘んできた果実を絞って溶かしたような、それでいて濃密な味わい……。


 人間の血液をいただく時以上に、活力に漲っていく感覚――。

 気が付くとわたしは、全てを飲み干してしまった。


「はは、そんなに美味かったか?」

「……」


 恐ろしい……。もはやこの世界の全てが恐ろしいです……。

 この謎の飲み物、のどかで平和な広場。そして何より、ちょっと硬さはありますがやんわりと微笑む勇者の姿――。


 この世界の何もかもが、元いた世界では考えられないと驚愕するわたしの元へ、魔王様が走って戻ってくる。


「おいリリム、お前もこれを投げてみろ」

「これ、ですか……?」


 満面の笑みを浮かべる魔王様が差し出してきたのは、謎の円盤のようなもの。

 さっきから魔王様は、それを投げては一緒にいる魔物のような動物が咥えて取ってくるという謎の行為を繰り返していた。


「そう、これを遠くへ投げるとジョンが――って、リリムは知らなかったな。こいつはこの世界で『犬』と呼ばれる動物でな、名前はジョンだ。シンヤの家族で、魔物ではないぞ? お利巧でとっても可愛いやつだ」

「ワン!」

「そ、そうですか……」


 ごめんなさい魔王様。説明されてもよく分かりませんでした……。

 ただ、このジョンという名の動物に害はなさそうだということは理解できました。


 このまま断るわけにもいかないわたしは、仕方なく先程の魔王様を見倣って、円盤を遠くに投げてみる。


「ワンワーン!」


 するとジョンは、嬉しそうに投げた円盤目がけて広場を駆け出していく。


「おお! さすがリリム! ちょっとコツが必要なのに、一回で遠くへ飛ばすではないか!」

「そ、そうですか?」


 魔王様に褒められて、少し恥ずかしくなる。

 そのまま空を見上げれば、向こうの世界では中々見られない雲一つない青空が広がっている。

 風も心地よく、とても解放感に溢れるこの世界――。


「……この世界は、すごいですね」

「ああ、そうだな。ここは我が理想とした世界そのものなのかもしれないな」


 思わず口に出たわたしの疑問に、魔王様は微笑んで答えてくれる。


 そうか、ここが魔王様が目指した世界――。


「そうですか……」

「ん? なんだ? 何か言いたいことがあれば言うがよい」

「いえ、何でもありません」


 魔王様の言葉に、わたしはこの世界へきて初めての笑みを浮かべる。

 少しだけ、魔王様がそんな風に微笑んでいられる理由が分かった気がしたから――。

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