第15話 呼び方
シンヤの家へと帰ってきた。
既に外は日が落ちているが、この世界の建物の中は昼のように明るい。
まるで部屋の一つひとつに小さなお日様が付いているようで、今が夜であることすら思わず忘れてしまいそうになるほどだ。
帰りに立ち寄った、コンビニと呼ばれる場所も凄かった。
それほど広くはない敷地内に、食べ物から日用品まで多種多様なものが取り揃えられていたのだ。
昼に食べたパンや、夜に食べたドーナツまで置いてあり、思わず我はシンヤにお願いしていくつか買って貰ってしまった……。
本当に、今日一日で我は何回驚かされたのだろうか。
これまで感じた驚きを通算しても、今日一日で驚いた数の方が多いのではないだろうか……?
それ程までに、この世界には驚きしかなかった。
我はシンヤにバレないように、そっと服の上から自分の胸に手を当てる。
しっかりと、でも着用感がそれほどない下着が、しっかりと自分の胸を支えてくれている。
こんなもの、元の世界で売り出せば全ての女性が欲しがるに決まっている。
それ程までに、同じようなものですら全然違うのだ。
全くもって、この世界は末恐ろしい……。
「ワンワン!」
玄関を開けると、ジョンが帰りを出迎えてくれる。
ジョンの顔を見た途端、何だかほっとした気持ちになった我は、思わずジョンへただいまと抱きついてしまう。
モフモフしていて、本当に可愛いやつだ。
そんな我とジョンの姿を見ながら、シンヤは僅かに微笑んでいるように見えた。
相変わらず無表情なようだが、その無表情の中にある優しい微笑みを見つけられたことに、謎の喜びを感じてしまっている自分がいた。
「そうだ、魔王の部屋も用意しないとだよな……」
突然、思い出すようにそんな言葉を呟くシンヤ。
「部屋? いやいや、我は居候の身、あのソファーでも十分――」
「駄目だ。それは俺が気にする。空いてる部屋があるから、そこを使ってくれ」
魔王であろうと、今は居候の身。
急にやってきて、部屋まで与えられたいなどと思ってはいない。
もしもあの時シンヤと出会っていなければ、今頃我はこの世界で魔法もろくに扱えず路頭に迷っていたことだろう。
今になって、その恐ろしさがよく理解できるのだ……。
だからこそシンヤには、ここに居させて貰えるだけで本当に感謝しかない。
しかしシンヤは、そんな我にも部屋まで与えてくれようとしている。
きっとこうなっては、我が何を言ってもシンヤは譲らないのだろう。
――であれば、何か礼をすべきだよ、な。
思えば、我はいつも与えるより与えられるばかりだった。
だから、いざ自分から何かを与えようと思っても、何をどうしたら良いのかがよく分からない。
ましてやここは異世界、通貨も持っていないしまだまだ分からないことだらけなのだ。
そんな悩みを抱きながら、我はそのままシンヤに二階の一室を案内される。
「向こうの世界に帰れるまでは、ここの部屋を好きに使ってくれ」
「しかし……」
「気にするな。今敷布団を持ってくるから」
「あ、ああ……」
本当に、何から何までシンヤの世話になりっぱなしだな……。
今はすぐ叶わずとも、この恩は必ず返そう。
それが当面の、我のこの世界での目標となった。
◇
「……ところで、だ」
お互い交互に風呂を済ませ、リビングでテレビを観ながら寛いでいる時だった。
こちらを向いたシンヤが、改まって話しかけてくる。
テレビを観ながら笑っていた我は、そんなシンヤの変化に気を引き締める。
きっとシンヤは、これから我に大切な話をしようとしているのだと伝わってくるから。
「改めて言うが、この世界に魔王などいない。魔族、それから亜人やエルフもいなくて、いるのは人間だけだ」
「そ、そうか」
「だから、こっちでは魔王を魔王と呼ぶのは止めたい」
「なるほど……」
魔王のいない世界で、我を魔王と呼ぶのは目立つということだろうか?
まぁそれならば、言っていることは理解できる。
それに我だって、別にシンヤから魔王と呼ばれたいわけでもないのだ。
こっちの世界には、当然こっちのルールがある。
だから極論、そこに侮辱さえ含まれないのであれば、我のことは好きに呼んでくれて構わない。
そう思い我は、改めてシンヤへ名乗ることにした。
「では改めて、自己紹介といこう。――我の名は、イビア・グーディメルだ。シンヤであれば、我のことはイビアと呼んでくれて構わん」
「良いのか?」
「ああ、これだけ世話になっているのだ。それにシンヤは、あの時我に勝利した。だからシンヤには、我を好きに呼ぶ権利がある」
「なるほど、そっちの世界ではそういうものなのだな」
「いや、今我が決めた」
別にルールなどない。我が今そう思ったから、それでいいのだ。
そんな我の思い付きの言葉に、シンヤは少しおかしそうに微笑む。
そして――、
「分かったよ。改めてよろしくな、イビア」
シンヤの口から、初めて我の名が呼ばれる――。
自分から申し出たことだし、ただ名前を呼ばれただけ。
だというのに、どこかくすぐったいようで、照れ臭くも感じられるのは何故だろう――。
「……う、うむ、よろしく」
自分の頬が熱くなるのを感じながら、我は返事をするのがやっとだった。
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