ACT 10

 海はいつもと変わりなく、波が寄せては返していた。


 けれど突然。それはおそらく、リューが死んだと同時刻だっただろう。


 海は突然音を失った。


 寄せては返し寄せては返す、その何億年も続けていたであろう営みをやめていた。


 セイは見ていた。


 ひたひたと、最後の波が打ち寄せてくる様を。


 彼は、両手をリューの首から離した。


 リューは物体と化し、大きな音を立ててセイの足元に崩れ落ちると、重たい音を立てて転がった。



 海はすでに波を立てていなかった。


 ただ余波が海を震えさせていた。


 それらが呼応して、最後の波が弱々しく砂地を湿らせ、リューの髪の毛や横顔を濡らした。


 セイはリューと自分が履いた長靴を濡らす波を、ぼんやりと眺めていた。


 これからいったいなにが起きるのか、セイには想像もできなかった。


 ただ、何か異変が起きるという予感だけで、海を凝視していた。


「最後の波」が寄せた後、深く低く、その音はとどろき始めた。


 セイが顔をあげるのと、海水が空に向かって、徐々に吹き上がり始めたのが同時だった。


 セイは、リューが最期の力を振り絞って、海水を空高く、宇宙空間へと放出させたことを知った。


 セイは狂喜して叫んだ。


幽霊セレステ! 聞こえるか。俺の勝ちだ! リューの力は海水とともに、おまえたちを宇宙空間へと放り出し、消滅させるんだ。惑星リウは俺たち陸棲人のものになった。ジョーカーは、俺を勝利に導いてくれたんだ。俺は最後の勝負に勝ったんだよ! 相対していた水棲人と、やがては我々を越える存在となるだろう新しい種の両方に、たった一度の、しかも最後の勝負に俺は勝ったんだ。もう我々を脅かすものは何もない。惑星リウは、俺たち陸棲人のものになった! これで『ジ・エンド』だ!」


 セイは勝利に酔って叫んだ。


 だが轟音ごうおんの中から、涼やかな声がセイの頭の中を貫いた。


「陸棲人。勝利の女神が、おまえに微笑むことはない。あの子は我々の切り札だった。だが、おまえたちにとっても切り札だった。おまえはあの子の力を使って、我々をこの惑星から追い出したかったのだろう?」


「そうだ。その勝負に俺は勝った」


「いや。我々の勝ちだ。おまえはジョーカーの使い方を間違えたのさ」


 水棲人の声に、セイは突然冷水を浴びたように、勝利の酔いから覚めた。


「え?」


「おまえたち陸棲人のトップは、少なくとも、彼女をこういう使い方をすることは、考えていなかったはずだ。おまえが間違えた。おまえは確かに、わしら水棲人をこの惑星から追い出すためにあの子を使った。しかし、本当の意味の『ジ・エンド』をおまえは知らない。おまえがやったことは、わしらの『ラスト・チャンス』だった。こういう使い方をして欲しくてね。おまえはわしらの思惑通りのことをしてくれた。感謝するよ、陸棲人」


 長の声が笑って続けた。


「おまえはある意味では勝った。わしら水棲人をこの惑星リウから追い出せたのだからな。陸棲人と水棲人の関係は『ジ・エンド』だ。けれどおまえがしたことは、惑星リウも『ジ・エンド』なのさ。その言葉の意味をよく考えるんだな。陸棲人」


 老人の声が一瞬途切れた。


 次の瞬間、セイの目の前で大量の海水が天高く昇る龍のごとく、何本もの水柱となって上昇し始めた。


「さらばだ、陸棲人。我々はこの海水に乗って宇宙へ行く。我々はもうここに留まれないほどに進化していたのだよ。我々は魂の解放を願うほどに宇宙を志向し、重力の呪縛じゅばくに苦しんでいた。しかし、自力では海からの脱出は不可能だった。そこにあの子が産まれた。わしらがここから脱出するための『ラスト・チャンス』に使われる『ジョーカー』としてね……」


 老人の声は喜々としていた。


「え? 陸棲人のために、俺はジョーカーを使ったはずだ。俺たちの『ラスト・チャンス』の切り札として……」


「あっはっは。お前が短絡たんらくな陸棲人でよかったよ。お前が言うところの『神祟りの能力』をこういう風に使って欲しくてね。おまえは文豪だな。『神祟り』。そうだ。おまえたち陸棲人は、神に祟られて滅亡するんだよ。我々は『神の祝福』を受けて宇宙で生きる。惑星の重力から解放されて、広大な宇宙空間を旅するキャラバンとなるんだ」


 声は嬉しそうなイントネーションで、セイの脳みそを揺るがせていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る