ACT 7

 リューは自動車から降りると少しかがみ、車内に残っていたセイを見つめた。


「とうさん。まだ明るいから、もう少し海にいてもいい?」


 セイが頷くと、リューは嬉しそうに駆け出していき、すぐに姿を消した。


 セイは、消えたリューの背中の幻影を見つめていた。


(1トンを、軽々と……。ただ人差し指を上に向けただけだった)


 その後、リューが指を真横に動かすと自動車は道路へと移動し、その指をほんの数センチ下に向けただけで、道路に静かに降りた。


(お・し・ま・い!)


 セイの脳裏でリューの声が響いた。


 あまりにも軽々とやってのけたので、本当にリューがやったのか、確信できない自分がいた。


しかし、これが事実だ。


セイが勝手に命名した「神祟りの能力」を使う少女。


「神……なのか?」


 セイは襲ってきた悪寒に身体を震わせた。


 そんなセイの気持ちなんか知りもしないリューは、浜辺に降りる道を、ぴょんぴょんと飛びながらくだって行った。


 その「ぴょんぴょん」さえも、陸棲人の身体能力をはるかに超えていることを、リューは知らなかった。


 例の、とうさんが言う「神祟りの能力」をちょっとだけ使えば、数メートルの飛躍は簡単にできた。


 断崖から飛び降りて、数メートル下の岩場に着地する。


 その時にちょっと自分の身体を重力から解放してやるだけで、ふんわりと羽根のように着地できる。


 逆もしかりだ。重力なんてものは、いつだって無視できた。


 ちょっと膝に力を入れれば、数メートル上の岩場へと飛び上がることも造作なかった。


「神祟りの能力」を使っても、とうさんが見ていないから怒られない。


「スクール」でも、この能力についての講義を受けたことはないから、リューは呼吸と同じで、陸棲人なら当たり前に使えるものだとしか思っていなかった。


 リューは、小高い場所から一気に浜辺まで飛び降りた。風が髪の毛の中を通り抜けていく。


 両手をちょっと挙げて地面を見つめると、ふんわりと浜辺に着地した。


 そのままかがみ、サンダルのホックを外して脱ぎ捨てた。


 白い波が、いくつも寄り添うように足元まで近づいてきた。


「きゃぁ―――!」


 甲高い笑い声をあげて、リューは波から逃げた。


 セイや「スクール」の授業で、陸棲人は海水に触れると、燃えてしてしまうと教えられていたからだ。


「こんなにきれいな水なのに、なぜ触れられないのかしら?」


 リューは座り込んで、海を見つめていた。


(リュー)


 その声は突然に、しかも直接頭に飛び込んできた。


「なに?」


 反射的にリューは周囲を見回した。


(海の中だ)


「海? 水棲人ね!」


 リューは叫ぶと、勢いよく立ち上がった。


(そう。わしが見えるだろう?)


「見えないわよ! 幽霊セレステなんか知らないわ!」


 リューはこの場から逃げるために、海に背を向けた。


 彼女の身体の全筋肉が、走るために緊張した瞬間だった。


 それを予期していたような鋭い声が、リューの脳みそを貫いた。


(お待ち。わしの話を聞くだけじゃ。わしは海から出られない。おまえに触れることすらできないわしが、どうやってお前に危害を加えられる?)


 半分からからかうような声にリューは振り返り、海を凝視した。


(目ではわしを見ることはできんよ。眉間に神経を集中してごらん。おまえにはわしが見えるはずだ)


 リューは声が言う通りに、眉間に神経を集中させた。


「あなたは……白くて半透明?」


 リューの頭の中に、海の青に溶けた白い陽炎のようなものが浮かんだ。


(ああ)


「白くゆらゆらと動いてる。あなたたちを、私たち陸棲人が『幽霊ゆうれい』と呼ぶ意味がわかったわ」


 リューは感心したように呟いた。


(私たち? 君は陸棲人じゃないよ)


 水棲人がからかうように笑った。


(おまえの記憶をさかのぼってごらん。陸上の記憶ではなく海中の記憶が、おまえの中にはあるはずだ)


 水棲人はそう言い残すと、海底に沈み始めた。


(思い出してごらん。明朝、またここで会おう)


 ゆらゆらと白い影は青い海に溶けていき、やがて完全に消え去った。


 リューはいつも座っている、海につきだした岩の上に腰を下ろして、海面を眺めていた。


 けれど心は、記憶の糸を一生懸命に手繰たぐり寄せていた。


 海辺を歩いているシーンがよみがえった。


 ざわめく海。光を反射するマリン・ブルー。


 とうさん。


 セレステの入り江。


 とうさんと一緒に浜辺を歩く。


 波を避けて走る足。


 貝殻。


 拾ったらとうさんに怒られた。


 波の中から貝を拾い上げたら、ものすごく怒った。


 打ち寄せる波。


 冷たくて気持ちよかった。

 

 でも、とうさんが怒鳴った。


(海に入ってちゃいけない!)


「あれ?」


 リューはそこで、一度回想を止めた。


(私は海に入ったことがある。砂がしっとりと足の下で形を変えた。海水と一緒に、砂が足にあたって、さらさらと指の間を流れて行った。


 私は小さいころ、海に入って遊んでた。とうさんにすごく怒られてからは、海に入らなくなったけれど、確かに海水に触れたことがある。


 陸棲人は海水に触れられないはずだ。だってとうさんが、そう教えてくれた)


 リューは気がつかなかった。回想しているリューの足に、満潮で水位が上がった波が、ひたひたと寄せていることを……。


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