ACT 5

「リュー! ちゃんと手を使いなさい!」


 セイは両手でテーブルを叩いた。


 その音で、空中に浮いていたコーヒーポットが大きな音を立ててテーブルの上に落ちた。


「きゃぁ! とうさんったらぁ!」


 こぼれたコーヒーを慌てて拭きながら、リューは抗議するような声を出した。


「ちゃんと手を使いなさい。そんな力を使うんじゃない!」


 セイは身体を小刻みに震わせて、唸るような声で注意した。


 リューは最近、あからさまに「物体移動能力」を使い始めた。


 悪気はなく、単に「便利だ」というだけの素朴な理由だとは分かってるが、リューの回りには、さまざまな日用品が常に取り巻くようになっていたのだった。


 それはまるで、風を操る魔法使いのようだった。


 リューがすっと指を動かすと、本が書棚に戻ったり、キッチンに置いてあったケーキがダイニングテーブルへ飛んでくるのだった。


「だって、とうさん。とっても便利なのよ。いちいち取りに行かなくてもいいし、タンスだって、とうさんの手を煩わせずに動かして、部屋の模様替えができたのよ」


 リューはその能力が自分にしかないとか、他の陸棲人はそんなことはできないとか、そういった情報は持っていなかった。


 それはそうだ。


 彼女はセイ以外の陸棲人と、滅多に会うことはない。


 彼女の生活に陸棲人社会も友人も、他人すら必要がないようにしてある。


「スクール」もこの能力については一切触れないから、本人すら能力についての知識はない。


 リューの存在を誰かに知られるわけにはいかないので、彼女に関する情報は「エンド・ファイル」と呼ばれる、最高機密になっている。


 上層部からは、セイにもその能力はあるが「使わないんだ」と思わせるように指令が出ていた。


「我々は、遠い昔から、その能力を封印するように言い伝えられてるんだ。『神祟かみたたりの能力』と呼ばれてるんだよ。使ったら、必ず悪いことが起きると言われてる。だから、使うのはやめなさい」


 よくもこんなでまかせが、するすると舌を滑って出てきたもんだと、セイは自分の文章力に辟易へきえきした。


「神祟り?」なんだそりゃ! 太古の昔「民俗学」って学問があったような気がしたが、そいつの受け売りか? そうだな。科学では解明できないもの。「神」という名の仮想創造主が、「惑星リュウに陸棲人と水棲人を創った」なんて記述が、どこぞの図書館で埃をかぶっていたことを思い出した。


 陸棲人たちは、右と左の区別より先に、聖なるものと俗なるものを区別したとも書いてあったような気がする。


 それによると、その境界には交わる部分があるという説が書いてあった。


(交わる部分?)


 セイは、はっとしてリューを見た。


(リューは、海水に浸かっていた、陸棲人と同じ肉体を持った赤子……。陸棲人であり、同時に水棲人でもある?)


 二つの円が重なった部分が、セイの脳裏に大写しになった。


(両者に重なっている子供? そんなこと有り得るのか? まさか、それが『新人類』だというのか?)


 聖なるものと俗なるものの狭間にいるものを、両者の仲介役として俗なるものたちは「畏怖いふの念」をいだき、「あがめる」という信仰があったと、確か書いてあったことを彼は思い出した。


(だから、俺はリューを恐れてるのか?)


 セイは、相変わらず日用品を自分の回りにはべらせているリューを、畏怖の念をもって見つめた。


「その空中に浮かんでるものを、すべて元あった場所に戻しなさい。『神祟り』にあったらどうするんだ!」


 セイは恐怖心を押し殺して、リューをたしなめた。


「はぁい」


 セイの注意に、リューは一応うなずきはしたものの、表情は不満をあらわにしていた。


「わかったら、さっさと片付けて、お風呂にはいりなさい!」


 セイは一方的に言い捨てると、リューから顔をそらして立ち上がり、逃げるように部屋を出た。


 彼は自室のドアを乱暴に開け、後ろ手に勢いよく大きな音を立ててドアを閉めた。


 窓際に置いてある通信装置の前に座ると、苛つきながらスイッチを入れた。


 鈍い稼働音が消えるとディスプレイが白く発光し、一人の男が現れた。


「定時報告です」


 セイは怒りを抑えて呟いた。


「何を苛立ってるんだい?」


 ディスプレイに映っている男が、軽く首をかしげて笑った。


 その余裕に、セイはさらに苛立った。


「別に」


 そう言いつつも、あからさまに顔をそむけた。


「怒るなよ。それでリューの様子は?」


「あれは怪物です」


 セイは吐き捨てた。


「そういう表現はやめろよ」


 男はなだめるように答えた。


「それじゃぁ、何ですか!」


「新人類だ」


 セイが苛立てば苛立つほど、男は冷たく答えた。


「我々を越えるもの?」


 セイは恐怖を持って尋ねた。


「陸棲人でも水棲人でもない。全く新しいタイプの人類だよ。おそらく惑星リュウに住む生き物の中で、唯一水陸両方で生きることが可能な『高知能生命体』だ。君はまさか、彼女が『陸棲人』だと勘違いしてないか?」


 画面の男は両手を組んで顎の下にそえた。


 その質問にセイは小さく唸った。


 彼はリューを「陸棲人」だと思い込むように自分に言い聞かせていたが、先ほど確かに「狭間に生息するもの」と脳内で確認したばかりだ。


 それをすでに見透かされていたのだった。


「陸棲人ではない? あの力があるから? あの子は『陸棲人』から派生した『新人類』ではないのか?」


「違うね」


 ディスプレイの中の男は、呆れたように笑った。


「君。彼女をどこから拾ってきたか忘れたんか? 波打ち際だろう? そんなところに赤子を産み落とす陸棲人なんかいるもんか!」


「では、水棲人なのか?」


「それも、現段階では解明されてない。彼女の身体は『陸棲人』の生体組織と何ら変わりない。身体は『陸棲人』と言えるだろう。しかし、海水に触れられる。念じただけで物体を動かす力もある。そんな陸棲人が他にいるか?」


「では、何ですか!」


 セイは大きな声で詰問した。


「だから、『新人類』。惑星リュウの三番目の『高知能生命体』としか、我々にも言えない」


 男は椅子に深く腰掛けて、くるっと椅子を回した。


「それで? 現段階で、どのくらいの重量のものを持ち上げられるんだい?」


 男は興味津々な表情を浮かべた。


「さぁ?」


 暖簾のれん腕押うでおしの禅問答ぜんもんどうに疲れたセイは、投げやりに一言発しただけだった。


「1トンくらいか?」


 画面の中の真剣な男の表情を見て、セイは椅子から飛び上がるようなしぐさをして笑った。


「まさか。せいぜいタンスですよ。まぁ、割と軽々と……。とは見受けられますが。遊び程度にしか使ってませんよ」


「では、今度側溝に自動車を脱輪させろ。彼女に持ち上げさせるんだ」


 男は真剣な表情で告げた。


「1トンのものを動かせるかどうかを試せ、と言うんですか?」


 セイは真顔になって尋ねた。


「何ならトレーラでもいいぜ」


 画面の中の男はにやりと笑うと、一方的にスイッチを切ってしまった。


 暗くなったディスプレイをしばらく見つめながら、セイは空白の時間を過ごした。


 やがて疲れ切った老人のように、ゆっくりと身体を持ち上げると、リューの部屋へと向かった。


「リュー。明日はどこかへドライブに行こうか?」


 セイはドアにもたれて、彼女に尋ねた。


「本当? 素敵だわ」


 リューは彼を見上げて、目を輝かせた。


「ああ、どこがいい?」


「セレステの入り江」


 リューは即座に答えた。


「セレステの入り江?」


 同じ言葉をセイは眉をひそめ、暗に否定するようなイントネーションで反芻はんすうした。


「そう。素敵な音がするという入り江へ行きたいな」


「セレステ?」


 セイは再び眉をひそめた。


「そう。セレステ」


 逆にリューは、嬉しそうに繰り返した。


 リューのはしゃぐ声にセイは押されて、しぶしぶうなずいた。


「わかった。明日はセレステの入り江だ」


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