飛び立った心

病恋

飛び立った燕は二度と戻らない

私と彼が結婚したのは両家の合意によって決められたものだった。


20歳の燕が巣を作り始める時期の頃、見合いの席での顔合わせが初めての出会いだった。お互い裕福な家柄同士で事業の提携など親睦を深める為の一貫としての婚約、世間一般に政略結婚と呼ばれるものであった。


初対面の貴方は顔立ちはとても整っていたが、表情は薄く所謂堅物、よく言えば真面目なタイプの人物のように感じた。一見冷たそうに見える貴方だったが話して見ると意外にもユーモアがあり、私をとても笑わせてくれ、何よりさり気無い気遣いや私の全てを肯定してくれる優しさに、私の心は徐々に惹かれていった。


だからこそ私にとってこの結婚はとても満足のいくものであった。両親含む周りの人達皆が喜び笑顔で送り出してくれて、結婚後の生活は最愛の人がいつも隣にいるとても幸せに満ち足りた生活だった。


だがいつからだろう、貴方の笑顔に影があるのに気づいたのは。私と共にコメディ映画を観て笑う貴方、私は涙が出るまで笑っていたのに貴方の顔は笑っているけど何処か寂しげだった。燕舞う快晴な空の元、笑いかけた私に返ってきた貴方の笑顔はどこか不満を隠した笑顔だった。


違和感を感じる様になったのは半年前、結婚してから1年ちょうど経つ頃だった。私たちは少し早めの結婚1周年記念の旅行から帰ってきた翌日、貴方は

「今日は会議で少し早めに出る」

と何時もより2時間も早く出勤して行った。温もりが残るベッドにまだ貴方がいるような気がして、それを少し堪能し、遅めの朝食を食べるために私も後に続いた。街を歩いていた時偶然入ったカフェで貴方を見かけた、小さな再会ではあったが私の心は踊り、声を掛けようと近よった。


しかし私は凍り付いた。


貴方がとても美しい女性と二人でいたから。そして、その女性に向ける貴方の顔は、私に見せた事のない程目尻に皺を寄せた宝石の様な笑顔だった。

貴方は私に気づき少し驚いた様な表情をした後いつもの笑顔で私に紹介してくれた

「こちらは絵里、僕の幼馴染でここの近くで働いてたみたいで偶然再会したんだよ」

そう言って笑う貴方の目には私など初めから居ないかのように思えた。


それから貴方と絵里の交友は露骨に増え、食卓では毎日の様に彼女の話題が出る様になった。絵里の話をしている時の貴方の目は私に向けてくれた事のない煌びやかな笑顔だった。それから徐々に貴方と食事を共にする機会は減っていった。


貴方の帰る時間はとても遅くなるようになり、必然的に夜の回数も週に1回から月に1回を下回るようになってきた。そして最後にした時の貴方に纏わりつく匂いはいつもとは異なり甘く、そして知らない腰使いだった。


そんな中仕事の終わりに偶然見た貴方と手を繋ぎマンションに消えてく少しお腹の大きくなった絵里の姿。そして彼女に向ける宝石の様な笑顔の貴方、そんな2人を見た途端、薄々には気づいていたが心は抑えきれない嫉妬でいっぱいになり、その場から逃げ出すように走り去った。家に着き誰もいない部屋の暗闇が私に先程の光景が現実であったのだと、追い討ちをかけるかの様に突きつける。心が限界に達しかけた瞬間、私の頭の中でブチッと何かがちぎれる様な音がした。それからの事は覚えていない、気がついたら朝になっていた。朝になり悲しみを思い出したかのように喉は乾き、瞳は涙で溢れていた。いつの間にか隣にいた貴方は困ったかの様に笑い、

慰めてはくれなかった。


一度離れたとしても、いつか私の元に戻ってきてくれると信じて貴方の分まで夕食を作り待ち続ける日々、いつしか綺麗に洗って片付けられた食器だけが視界に映るようになっていた。まるで今の私たちの関係の様に。あんなに一緒に笑ったのに、私の隣で貴方は心の底から一度たりとも笑えていなかったのだろうか。


こんなにも好きにさせたのは貴方なのに。


先に彼を手に入れたのは私なのに、貴方の心は彼女の手に、心は自由な燕の様に1度巣立てば戻らない。


梅雨が近付き燕が巣立ち始める時期。


今日の天気は私の心を表すかの様なとても酷い土砂降りだった。


巣に残された燕は飛び立てない。

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飛び立った心 病恋 @komuragaeri1234

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