第54話 傍観者

「ここは……どこ?」


 目を覚ますと、辺り一面が真っ白だった。まるで虚無の中に放り出されたかのよう。視界に広がる果てしない空間に、混乱を覚えずにはいられなかった。


「……えっ!?」


 慌てて手を伸ばしてみると、自分の手が荒れたような感触になっているのに気づく。かつて馴染んでいた柔らかな手ではない。


 しかも……声も低くなっている。あの高い声ではなく、落ち着いた低音だ。


「これは……どういうこと?」


 独り言のように呟きながら、自分の服装に目をやる。白いシャツ、黒のスラックス、黒い革靴が視界に入った。


「なんで、こんな服を……?」


 見覚えのある服装だった。前世で仕事に行く時にいつも着ていた服。心臓が高鳴り、ありえない感覚が頭の中を駆け巡る。


「これって……前世の自分?」


 その事実に呆然と立ち尽くしてしまう。おかしい。俺はもうレイナちゃんとして転生したはずなのに、どうしてこんな姿に戻っているの?


 周りを見回しても、広がっているのはただの白一色。何の手がかりもない。でも、まずは落ち着かないと。深呼吸をして、混乱した頭を整理しようとする。


 この奇妙な空間と自分の変化に不安を覚えるが、なんとか冷静になり、この状況を理解しようと努めた。


 再び視線を落とし、自分の服装を確認する。馴染み深い白シャツと黒スラックス、革靴――間違いなく前世の姿だ。


「これは夢? それとも幻?」


 そう考えたところで、リアルすぎる感覚に身震いする。この空間は一体何なのか?


 周囲を探索しようとしたその時、白い空間が徐々に色づき始めた。そして、目の前の風景がだんだんと鮮明になっていく。


 気づけば、そこは見覚えのある場所――レイナちゃんが暮らす公爵家の屋敷だった。


 部屋の中は典雅な装飾に満ちており、一目で貴族の雰囲気が伝わってくる。壁には精巧な肖像画が飾られており、ナフィールド家の可憐な令嬢の姿が描かれている。


 厚手のカーテンが窓際に垂れ下がり、陽光を適度に遮って部屋を柔らかな光で包んでいる。足元には分厚い絨毯が敷かれ、歩けば雲の上を歩くような感触が足に伝わる。家具の上には精巧な装飾品が並び、部屋全体が丁寧に手入れされていることが分かった。


 しかし、よく見ると、部屋のレイアウトが俺の認識とうりと少し違う。そして、装飾品が新しい。


 その時、小さな女の子が椅子に座っているのが目に入った。一目で彼女が誰か分かった。幼い頃のレイナちゃんだ。


 彼女は7、8歳ほど。赤みがかった巻き髪が肩にかかり、輝く青い瞳には純粋さと好奇心が宿っている。白く滑らかな肌に、穏やかな微笑みを浮かべていた。身にまとった薄青のドレスには繊細な刺繍が施されており、端々に気品が漂う。


「これが……レイナちゃんの幼い頃の姿?」


 思わず呟いてしまう。その隣では、メイドのシェラさんが彼女の髪を梳いている。若かりし頃のシェラさんの姿に、しばし見入ってしまった。


 銀色の髪をきちんとまとめた髪型、黒と白の配色が映えるメイド服――清楚で優雅な雰囲気を漂わせている。その若々しい顔立ちには活気が満ち、優しさと献身がその瞳から伝わってくる。


「こんな若いシェラさんを見られるなんて……」


 心が暖かくなると同時に懐かしさを感じた。


「幼いレイナちゃんも可愛らしいなぁ……」


 呟きながら、目の前の光景をじっと見つめた。しかし、どうやら俺の姿には誰も気づいていないようだ。シェラさんは髪を梳く作業に集中し、レイナちゃんも微笑みを浮かべて椅子に座っている。


 恐る恐る彼女の肩に手を伸ばした。しかし――


「うわっ!」


 俺の手はまるで幻影のように、レイナちゃんの肩をすり抜けてしまった。触れた感触は全くない。


「これって……一体どういうこと?」


 何度試しても結果は同じ。彼女たちは俺の存在に気づかないどころか、初めからここに俺がいないかのように振る舞っている。


 周囲を見渡し、ようやく悟った。これは現実ではなく、過去の記憶か何かが再現されているのだろう、と。俺はただの傍観者で、直接介入することはできないらしい。


 この光景は、何を伝えようとしているのか?そして、なぜ俺がこれを見せられているのか?


 もしかしてゲームのシナリオの再現、みたいなもの?


 その可能性が頭をよぎる。ならば、目の前の幼いレイナちゃんは、元々の「レイナ」というキャラクターだというのだろうか?


 物語で高慢で意地悪な令嬢として描かれる、悪役令嬢レイナ。


「レイナちゃん……」


 そっと呟いた。無垢で無邪気な小さな少女が、どうしてあのような悪役令嬢へと変わってしまったのか。


 彼女は嫉妬心に押しつぶされ、冷酷な性格になり、最終的には悲劇的な結末を迎える運命だった。だが、今見ている幼いレイナは、どう見てもただの普通の少女でしかない。


「これが運命のいたずらというもの?」


 思わずつぶやいた。この再現された記憶は、俺に何かを伝えようとしているのだろうか。前世の俺も、そしてこの世界のレイナも、結局は環境や選択によって人生を翻弄されてきたのかもしれない。


 これはチャンスだ。近くからレイナの過去を知り、彼女の悲劇の真相を探る機会。


 レイナがなぜあのような結末を迎えることになったのか。それを突き止め、彼女の運命を変えるために、俺は進むべき道を見つけなければならない。


「レイナちゃん、絶対に救ってみせるから……」

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貴族令嬢に転生した俺は女の子だけが狙いたいですが、婚約者の腹黒王子はしつこいだ 夜羽希斗 @YoruHane1107

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