第53話 おにーちゃんのおかげで

 俺の突然の立ち上がりに、ジュディさんは一瞬驚いた顔をした。


「っびっくりした。また肩を揺さぶられるかと思ったわ」

「悪い。でもあのカトリーナの情報を知るのは急務なんだ」


 俺の切実な気持ちは分かってくれたみたいで、ジュディさんは頷いた。


「もちろんよ、おにーちゃん。カトリーナはかなり複雑なキャラクターで、背景や動機も深いのよ。でも、それらはゲームのストーリーではっきりとは語られてないの。ゲームの発売時に付属してたキャラ設定集にだけ、関連情報が書かれてるんだ」


 そうか。設定集に詳しい情報があるなら、俺もこの先にあのカトリーナに上手く対処できるはずだ。ジュディさんがいてくれて本当に助かる。


「カトリーナは第二夫人派のメンバーが、エドウィン王子のことが大好き。でも、王子の婚約者になったのはカトリーナじゃなくて、悪役令嬢レイナなの。レイナが本来彼女のものであるべき立場を奪ったと考えていて、ずっとレイナに深い恨みと怒りを抱いてるのよ」


 それは痛いほど分かってる。初対面の時から、あからさまな憎しみを向けられて本当に困惑したもんな。カトリーナが俺を嫌ってるところは、ゲームと同じってわけか。


「小さい頃から王子に深い想いを抱いてた彼女は、王子の婚約者になりたいと願ってたけど、その家族が国王の第二夫人と同じだから、正室である第一夫人側とは通婚できない。だから、カトリーナは永遠に正式な王妃候補にはなれなかったの」


 なるほど。これは王子ですら俺に教えてくれなかった情報。根気強いのは認めるだな。その点だけは尊敬に値する。


「カトリーナと同じ第二夫人派の一族は、様々な手段で自分たちの地位向上を図ろうとして、第一夫人派と対立することもいとわなかった。だから、カトリーナは幼い頃から権力争いの渦中で育ち、強い競争心と嫉妬心を身につけたのよ」

「じゃあ、なんで後にレイナちゃんと組んでミリーちゃんを誘拐したりしたんだ?」

「それはそんなに難しいことじゃないわ。最大のライバル同士でも、共通の敵がいれば一時的に手を組むこともあるもの」


 共通の敵か……確かに。あの二人にとって、どこから出たのか分からない子爵令嬢に王子を取られるなんて、高位貴族としては黙って見過ごせるはずがない。


「ミリーが王子を攻略し始めて、王子もミリーに好意を抱き始めたのを知った時、ミリーがレイナにとってより大きな脅威になり得ると気づいたの。カトリーナにとって、ミリーが王子の想い人になるくらいなら、一時的にレイナと手を組んで、まずはミリーという共通の敵を片付けたほうがマシだったのよ」


 はぁ……。カトリーナは俺が思ってたよりもずっと賢くて打算的な奴みたいだな。必要な時は個人的な恨みを脇に置いて、かつての敵とも協力できる。俺だったら、そんなことできる自信はあんまりないな。すごいな。


 だからこそ、将来彼女が引き起こす可能性のあることには警戒しないと。


「ありがとう、佐藤さん。おかげであのカトリーナのことがよく分かった。それに、わざわざ誘拐イベントについての詳細情報まで提供してくれて。大げさじゃなく、その手紙がなかったら、俺の行動は失敗してた可能性が高い。だから、本当に感謝してる」

「いえいえ。情報提供しただけだから」

「謙遜しすぎだよ。情報も立派な武器だぜ。すごく重要なんだから」


 まさにその綿密な誘拐情報がなかったら、ミリーちゃんは今頃……。


 その考えを振り払うように頭を振った。今はもう無事だったんだから。


「でも、やっぱり一番気がかりなのは、あのカトリーナがこの後のストーリーで出てくるかどうかだな」

「うーん……もう出てこないと思うわ。結局のところ、このキャラはレイナの誘拐をもっと合理的に見せるために作られた使い捨てNPCみたいなもんだと思うの。ゲームのストーリー的に、存在意義のないキャラクターだから」


 使い捨てNPCか……本人が聞いたら怒って反論しそうだな。


 でも結局それもゲーム内のカトリーナの話だ。ここは紛れもない現実。ストーリーは俺によって崩されたんだから、ジュディさんの言う通りにはならないかもしれない。


 突然、恐ろしい考えが俺の頭をよぎった。


「なあ。もしかして……悪役令嬢レイナがいなくなった状況で、もともとNPCだったあのカトリーナが、その立場を奪うんじゃ……?」

「……っ!!」


 ジュディさんは俺の言葉に驚いたようだ。どうやら彼女もそんな可能性は考えてなかったみたいだ。


「……まぁ、あたしにも分からないわ。だって、そんな状況は想定したことがないもの。でも、おにーちゃんが困ったときは、いつでも原作でのイベントがどうだったか、キャラの情報を聞きにきてね」


 そうか。それなら、これから起こりうることにも上手く対処できそうだ。ジュディさんがいてくれて本当に心強い。


「うん。分かった。改めて感謝するよ、佐藤さん。本当に助かった」

「だから、美希って呼んでって。さっきも言ったのでしょ」

「それはちょっと……」

「ふんふん。あたしを美希って呼ばないなら、おにーちゃんの恥ずかしいことを、全~部ミリーさんに教えちゃうかな。うっぷぷ~」

「……っ!? わわわ、分かったよ。その、美希……さん」


 なんでいつも俺がからかわれるんだろう……。


 そして、ジュディさんが悪戯っぽく笑い終わると、真剣な表情になった。


「実は、あたしからもお礼を言いたいの。おにーちゃんに」

「俺に礼を?」


 おもわず不思議そうにジュディさんを見た。彼女に感謝されるようなことをした覚えはないんだけどな?


「そうなのよ~」


 そして、ジュディさんの表情はさらに大げさで夢中になり、両手で頬を包み、目には星が輝いていた。


「おにーちゃんのおかげで、ヒロインのミリーを必死に攻略したせいで、彼女は他の攻略対象への注意がそれたから、今はあたしの一番推しで、一番愛しいウィル先輩を思う存分攻略できるの!」

「ああ……なるほどね」

「ウィル先輩ったら、本当に完璧な存在なのよ! その優しい笑顔、深みのある瞳、彼を見るたびに、心は溶けそうになるの! それに、とっつきにくそうに見えるけど、実は内面は優しいってところが、もう~このギャップがたまらなく可愛いのよね~。まるで天使みたい!」


 こいつ、兄のことどんだけ好きなんだよ。愛があふれ出しそうだぜ。


 そして彼女はこほん!と咳払いをして冷静になって続けた。


「実は原作では、ミリーとウィル先輩に少し絡みがあるなら、ウィルルートに入る可能性もあったの」


 そうか。ウィルさんは攻略対象の1人だったから、ゲームの中でプレイヤーに攻略されるのは当然だよな。


「でもミリーさんが今はレイナルートに入ったから、これでミリーがこれからウィル先輩と関わることは絶対にないって決まったの。あたしにウィル先輩に近づくチャンスが増えたのよ! あ~ああ、ウィル先輩~もう会いたくてたまらないわ~毎日近くでウィル先輩を見られるなんて~ああ~こんなに幸せでいいのかしら~」


 思わず笑ってしまった。ジュディさんのこの様子は本当に笑いを堪えられない。


「なるほどね。じゃあ、攻略がんばってね、美希さん——って......! レイナルートって何だよ!?」

「ウィル先輩~ああ~」


 興奮と期待でいっぱいの顔をしたジュディさんは、夢中で花痴を放っていて、俺の質問に答えてくれなかった。



 夜になり、俺は寮にある自分の部屋に戻り、疲れ果てて柔らかいベッドに横たわった。


「今日は本当に、情報過多だったな……」


 おもわずそうつぶやき、そして無力感を感じた。この世界に転生してから、運命を変えるチャンスを得たけど、これら全ては俺にとってあまりにも見慣れなくて難しい。


 特に、ゲームのストーリーを変えたのに自分が全く認識していないってこと。


 目を閉じて、思考を整理しようとした。ジュディさんが描いたゲーム内の悪役令嬢レイナ——その高慢で、利己的で、嫉妬深い少女の姿が頭に浮かんだ。


 彼女はずっとミリーちゃんと対立し、最終的に自滅の道を辿った。


 でもレイナちゃんの記憶を持ち、彼女の昔の感情を感じ取れる俺は、レイナちゃんがただの純粋な女の子だってことを知っている。まさか彼女がそんな道を歩むなんて……。


 誰かが言ったことがあるな、「誰の心の中にも悪魔がいる」って。でもまさかレイナちゃんの暗黒面がこんなものなんて。


 だから、そんな結末だけは、絶対に起こさせたくない。


「俺は自分の運命を変えるだけじゃなく、彼女の運命も変えないといけない、か」


 やることが多すぎる。どこから手をつけていいか全然分からない。そう思ったところで、眠気が襲ってきて、俺はもう疲れに耐えられず、深い眠りについた。

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貴族令嬢に転生した俺は女の子だけが狙いたいですが、婚約者の腹黒王子はしつこいだ 夜羽希斗 @YoruHane1107

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