第21話 元隠密戦闘部隊『一縷』の二人

 ネフィラたちがいる地下室はそれほど広い空間ではない。



 レイであれば教室半分くらいの広さと表現しただろうその場所は、小型犬くらいの大きさの子ドラゴンが入った籠やら、血を抜くための装置やらが置かれていて、実際にはより狭く感じる。



 戦闘などする場所ではもちろんない――剣など振ろうものなら相手に届く前に別の場所にぶつかってしまう。


 

 普通なら場所を変えるだろう。



 普通なら。



 だが、彼女たちは普通じゃない――元隠密戦闘部隊『一縷』の二人が普通な訳がない。



 棚の上のホコリが一瞬だけパッと舞う。

 机が揺れ、インク瓶の中に黒い波紋が現れる。



 天井、床、壁、机、籠が人差し指で叩いたようなコツッという音を次々に立てて、それでようやく、二人がそこにいるのだと解る。



 あまりにも静かに、二人はこの狭すぎる部屋を駆け回り、命のやりとりをする。



 時折、空中で何かが光る。

 金属音が響く。



 パタタッと血液が床の上を走り、



 その先の天井に口から血を流したネフィラがいる。



「班長、早くご主人様のこと助けに行った方がいいよー。イズメイはそっちの方がいいと思うなー。今頃どんな酷いことされてるか解らないしー。こんなとこ放っておいて行こうよー」



 イズメイは部屋の反対側の壁にしゃがみ込み、頬を膨らませて言った――その体には傷一つない。



 対するネフィラは口元の血を拭うと、



「わたしはレイヴン様に言われた任務を遂行するまでです。その子に回復薬を飲ませて、助けます。それが終わるまでここを離れる訳にはいきません」


「へー。やっぱりレイヴン・ヴィランはこのことに気づいてたんだねー。どうやって知ったんだろー?」


「さあ、わたしにも解りません。レイヴン様は全てお見通しだったんでしょう」



 もちろん、レイは気づいてなどおらず、いろんな勘違いが重なって結果こうなっているだけである。



 ただ、ネフィラを見つけ出した前例があるのでこの二人は当然ながら、レイがすべて承知の上だと考えていた。



 さらに言えば、



「当然、わたしが離れても構わないとレイヴン様は考えたに違いありません。誘拐されようが、襲われようが、レイヴン様なら平気でしょう」



 レイが聞いたら悲鳴を上げそうな勘違いをしているが、そう考えたからこそネフィラは子ドラゴンを救うと即答したのだし、その判断はおそらく間違っていない。



 実際、レイは勝手に助かった。

 これまた勘違いとユニークスキルによって。



 結局、ネフィラは現在彼女がしているように、目の前の敵――すなわち、イズメイを退けることに注力すればいいのだけれど、それが難題だった。



 ネフィラはこれでも監禁されていた数ヶ月のブランクがある――『先祖返り』を抑えるために人間界に行っていた間、少しはリハビリをしたとはいえ、完全に元の調子を取り戻した訳ではない。



 対して、イズメイは、明らかに場数を踏んでいる――ネフィラが背後をとられるくらいには。



「班長、それじゃあ、イズメイと遊んでくれるのー? でもどうかなー? 班長ちょっとなまってる感じするよー。イズメイの相手なんかしたら、死んじゃうかもよー?」


「あなた、わたしとの手合わせで勝ったことありましたっけ?」


「あるよー」


「嘘つきですね」


「あるよー!」



 そう言ってイズメイは剣を構える。

 短剣――ではない。



 この狭く入り組んだ場所にもかかわらず、イズメイは長剣を逆手に持ち、一切ぶつけることなく複雑に軌道をそらして振る――まるで、剣が自ら障害物を避けて進んでいるように。



 その上、



「あとで泣いても知らないからねー」



 そう言って、イズメイは槍投げの要領で剣を投げる――これが逆手に持っている理由の一つだった。



 ネフィラは天井から跳び、剣を避けようとしたが、イズメイの剣は急停止して、その場でグンと。一見すると透明な何者かが剣を持って振ったように見えるそれは、実際にはイズメイの技術だった。



 柄に糸をくくりつけ、投げたあと鞭のように引っ張る。



 ぐるんと予想だにしない動きをした剣はネフィラの肩口を襲ったが、しかし、すでにその技は見飽きている――ネフィラは軽く短剣でいなして、何事もなかったかのように着地する。



 そのまま、ぐっと屈伸すると、イズメイの方へと突進した。



 イズメイの手に武器はない。すでに投げられた彼女の武器はネフィラの背後に落ちていて、イズメイは少しだけ焦ったような顔をする。



(それだって、嘘でしょうけど……ほらね)



 イズメイが微かに手首を後ろに返したのをネフィラは見逃さない――瞬間、背後に落ちていた剣が息を吹き返したように飛び上がって、イズメイの方へと戻ってくる。



 切っ先をこちらに向けて。



 ネフィラはくるっとイズメイに背を向けて後ろを向くと、ほとんど蹴り上げるようにして、その剣をそらす。



「そうするって解ってたんだー!」



 はっと見たときにはイズメイはネフィラに接近している。蹴り上げた剣は天井付近を舞っているが、服に隠していたのだろう、新しい長剣をどこからともなく取り出して、イズメイはネフィラの背後に迫っていた。



 体勢が悪い――という言葉はアラクネ族に存在しない。



 ネフィラはすでに天井に貼り付けていた糸を無理矢理引くことで、蹴り上げた姿勢から逆上がりをするみたいに身体を逆さにして、空中にも関わらずクンッとイズメイから距離をとる。



 鼻先を剣の切っ先が掠めたので、さらに距離をとって、ネフィラは天井に足をつく。



「避けたー? なんでー?」



 首を傾げるイズメイは右手で長剣を振っていたが、その反対、左手にはいつの間にか短剣を握っていた――その意図はネフィラにもよくわかる。



「わたしが突っ込んでいくと思ったんですね?」


「そうだよー、もちろん。だって班長倒錯してるじゃん。いつも手合わせの時には喜んで怪我するみたいに突っ込んで来て、ぎりぎりで斬撃を躱して、急所を攻めるでしょー。なんでなんでー? なんで避けたのー?」


「大人になったんですよ、わたしも」



(より正確に言えば、レイヴン様との出会いがあったからでしょうか)



 と、ロマンチックっぽいことを言っているが、実際に彼女を変えたのはレイと言うよりレイのユニークスキルの方である。



(レイヴン様のご褒美があれば、こんな戦闘で危険を冒してまで怪我なんてしなくていいですから。ああ、ご褒美。縛ってくれると言ってました。興奮します)



「涎でてるー」


「ああ、すみません。とにかく大人になったんですわたしは。レイヴン様に大人にしてもらったんです」



 その言い方は語弊がある。



 その意味を知ってか知らずか、イズメイはぷくっと頬を膨らませて、



「ずるいずるいー。イズメイも大人になりたいー。じゃあここで班長を倒したらイズメイも大人の仲間入りだー。けってー」


「倒せませんよ」



 言って、ネフィラは天井に足をつけたまま。三対の蜘蛛の足をばっと開いた。



 瞬間、



 イズメイの身体がガチッと硬直する。



 ネフィラの糸が絡まって。



「え?」


「バレないように糸を配置するのが大変でした。コツは緩く緩く壁や床に這わせることなんですよ。『一縷』の授業で習いませんでしたか……ああ、あなた授業聞いてませんでしたもんね」



 ネフィラが腰から伸びる足の一つを動かすと、イズメイの身体が地面を離れ、ぶら下がる。



「なんで? なんでなんで? 班長なまってたじゃん! 何ヶ月も実戦から離れてたじゃん! さっきイズメイの攻撃受けて口から血流してたじゃん!!」


「ああ、あれですか? あれはわざと攻撃を受けたんですよ――何せ実戦は久しぶりだったので、『実戦での痛みがレイヴン様の痛みより上なのか』というのを試したかったんです。ま、圧倒的にレイヴン様の方が気持ち良かったですけど。だから、さっきは避けましたよね?」



 と、無表情で言ったものの、内心ヒヤヒヤしていたのも事実。



(最初背後から近づかれたのは本当に気づきませんでしたからね。なまってるのは本当ですけど、まあ、本当に気づかれる前に捕らえられたのでよしとしましょう)



 ネフィラは気づかれないように小さく息を吐きだした。



 そのときだった。



 イズメイを縛っていたはずの何重もの糸が、突然、スパッと音を立てずに斬れ、はらりと床に舞い落ちる。



 ネフィラは驚いてもう一度イズメイを拘束しようとしたが――できなかった。



 なぜなら、ネフィラの身体はその瞬間、すでに糸で拘束されていたから。



「なんだー。手出ししなくていいのにー」



 イズメイはちょっとつまらなそうに言って、部屋の隅の方を見る。



 そこには小さな子がしゃがんでいる――鼻と口を覆うような仮面は、キャット家にいるからだろうか、デフォルメされた猫の口が描かれていてかわいらしいのに、覆われていない目はイズメイよりも暗く、何も見ていない。



(……いつからここにいたんですか、この子?)



 背後をとられるどころの話ではない。



 その場所はネフィラの視界の端に十分入っていたし、それに、ネフィラを糸で拘束した以上、その子は動いていたはずである。



 なのに、気づけなかった。



「何者ですか、その子」


「秘密だよー。ねー?」



 イズメイはスタスタと歩いて行くと、その子の手を取って立たせてあげた。イズメイが隣に立つとなおのこと、その子が小さく見える。



「班長、時間切れみたいなんだー。もうちょっと遊びたかったけどねー、イズメイもご主人様の命令には従わないといけないからさー。ドラゴンの子は好きにしていいよー。って言っても、好きにできるかどうか解らないけどねー」



 そう言って、イズメイはその子と一緒に階段を上り始めた。



「待ちなさい、イズメイ!」



 ネフィラは追うために拘束を解こうとして、その場にバタリと倒れる。身体を拘束している糸はおそらく必要最小限――ちぎられることを想定して巻かれているが、しかし、一定時間拘束するという要件は十分に満たしている。



 ネフィラは地上へ続く階段を見上げた。



 そこには数人の魔族が立っていてイズメイを待っている――逆光の上、仮面を被っているために顔は見えないものの彼らがアラクネ族だというのは身体のシルエットから十分に理解出来た。



 階段を上りきったイズメイは最後にこちらを振り返って、



「班長、次に会ったときにはもっと遊ぼうねー。って言っても次があるか解らないけどさー。その子供のドラゴンの血を使って、怒り狂ったドラゴンをすぐそばまで呼び寄せたからねー。もう、その子を見ても、自分の子供だと思えないくらいに、ぶち切れちゃってるよきっとー」



 いひひ、とイズメイは笑って、続けた。



「班長、失敗しちゃったねー。レイヴン・ヴィランも守れなかったし、子ドラゴンもキャット家も救えないなんてねー。イズメイ、ゾクゾクしちゃうよー。たくさんたくさん、その無力感に蝕まれてねー」



 ネフィラは歯を食いしばり、身体を拘束する糸を無理矢理外した。



 かなり無理をしたために腕と足を深く切ってしまったが、こんなものネフィラにとって傷には入らない。



 ネフィラはすぐに立ち上がると、階段を上った。



 が、すでにそこにイズメイの姿はなく、



 代わりに、縛られたキャット家の当主と使用人たちが十数名、中庭に横たわっていた。



 彼らの拘束を解けないわけではない。



 ただ強力なアラクネ族の糸でこれでもかと言うほど縛られている状態。



 拘束を解くには一人5分はかかる。



 ただし、注意すべきは、



 現時点でドラゴンが来るまで残り10分を切っているということだった。

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