第22話 微かな容赦もない
無力。
絶望。
敗北。
キャット家にそれらをこれでもかと感じさせるのが、この計画の目的なんじゃないかとネフィラは思った。
それは正しい。
このときのネフィラは知らないが、イズメイたちの計画がうまくいっていれば、キャット家長女たるノヴァにも絶望が襲いかかっていたはずである。
ダルトンに裏切られ暴行を受け、その上、ドラゴンが屋敷を破壊する瞬間を見せつけられる。
助けなんて一生やってこない――ノヴァはそれを刻み込まれるはずだった。
レイが適当やってぶっ壊したけれど。
とは言え、屋敷側の計画はまだ壊れていない。
イズメイたちは屋敷中の使用人をあっという間に拘束し、当主と妻を吊るし上げ、そして、ずらりと中庭に並べることに成功している。
糸でぐるぐる巻きにするだけでは飽き足らず、全員の口角を笑顔になるように、無理矢理、糸で引っ張り上げて。
彼らは恐怖で真っ青で、中には涙まで流しているメイドもいるのに、顔は笑わされている。
(イズメイがやりそうなことですけど――あるいはお前らも嘘つきだって表現でしょうか? 聖人君子なんて嘘なんだから、殺される瞬間もその嘘で笑えってことでしょうか?)
悪趣味がすぎる。
それでも一目でその仕事が徹底されているのはネフィラにも解った――遊んでいるからと言って手を抜いている訳ではない。
当主だろうが、メイドだろうが、一切の区別なく同様の厳重さで締め上げられている。
まるで、「誰を救うか選べ」と選択を迫るように。
ネフィラはそれでもまずは当主――第二王子のところへと走っていき、その口につけられた糸を外して話せるようにした。
当主は口が動くのを確認すると、開口一番、
「ネフィラ様、私たちを置いて逃げなさい」
「それは――」
「これは第一王子の策略だ――あのアラクネ族たちがはっきり言ったからな。つまり、これは我が国の政治的な争いに過ぎない。ネフィラ様やレイヴン様にはまったく関係のない話だ。巻き込んでしまって申し訳ない。……あなたはレイヴン様を救いに行くべきだ」
「レイヴン様は無事です――絶対に。きっと大勢に囲まれようが縛られようが、あの方は簡単に切り抜けられます」
過大評価だった。
特に、「縛られようが」の部分が。
レイが聞いたら悲鳴を上げる。
とは言え、ネフィラは大真面である――本気でそう信じている。
だからいま、レイのことなど考えずになんとか当主だけでも解放しようと、糸で指を切り手を血まみれにしながら悪戦苦闘している。
当主はそれを見て痛々しげな、不甲斐なさに満ちた表情をうかべていたが、ネフィラは、
(あんまり痛くないですね。ああ、早くレイヴン様に虐められたい)
平常運転である。
そのとき、遠くからドラゴンの咆吼が聞こえ、キャット家当主は下唇を噛んだ。
「こんなそばまで……。ネフィラ様、もう間に合わない! 逃げなさい!」
「逃げませんよ」
ネフィラは無表情で、言った。
「あなたたちを縛ったのは『一縷』を破門になったアラクネ族です。わたしの家の汚点と言っても過言ではありません。だから逃げません。レイヴン様の命令でもありますから」
そこまで命令していない。
あの男は何も解っていない。
当主は、小さく呻くと、
「しかし、相手はドラゴンだぞ? あれはモンスターと言うより、災害だ。どうしようも……」
「策ならあります」
ネフィラは言って、一度地下に降りると、籠からドラゴンの子を出して抱き、血の入った瓶を持って戻ってきた。
もちろん、当主はドラゴンの子供の存在など知らなかったのだろう、かなり驚いた顔をして、
「それは……! そうか! だから、ドラゴンがここに!」
「そうです。そして、この子を使えばあのドラゴンをこの屋敷から引き離せるかもしれません」
ネフィラはイズメイの言葉を思い出す。
――その子供のドラゴンの血を使って、怒り狂ったドラゴンをすぐそばまで呼び寄せたからねー。もう、その子を見ても、自分の子供だと思えないくらいに、ぶち切れちゃってるよきっとー。
(あの子は
何が本当で何が嘘かなんてことは解らない。
けれどネフィラはそこに光明を見出した。
「待っていてください。この子を親に返してきます」
「しかし、ネフィラ様が危険に――」
「危険は承知です。いつだって承知です。それでもわたしはレイヴン様の命令に従います。
隠密戦闘部隊『一縷』として身体に染みこんでいるその言葉を呟いて、ネフィラは子ドラゴンに回復薬を飲ませると瓶を手にして屋敷の屋上へと飛び上がった。
ドラゴンが森のほうから飛んでくるのを確認すると、
「君を親に返してあげますね」
そう、子ドラゴンに呟いて屋根から飛び降り、駆け出した。
キャット家の屋敷は幸運にも街から離れていて、少し行けば誰もいないような『調教の森』にぶち当たる――ネフィラはそこでケリをつけようと考えていた。
全速力で森へとたどりつくと、少し開けた場所に瓶から血を撒いて目印にする。
(さあ、来なさい。ドラゴンがここを見つければ、キャット家からそらすという第一段階はクリアでき――)
ズンと地響きがして、目の前に何かが着地する。
(来ましたね)
その体はおそらく、ドラゴンの中では小柄な方だろうけれど、それでも、ネフィラよりずっと大きく威圧的。
黒光りする鱗はただの剣くらいなら簡単にへし折ってしまうだろう――と言って、ネフィラはいま短剣くらいしか持っておらず、両手は血まみれ、かつ、子ドラゴンを抱いているので攻撃などできようはずもないが。
ただし、ドラゴンの方は確実に臨戦態勢に入っている。
血走った目はネフィラをじっと見ているし、鋭い牙を剥きだして身を屈め、確実に威嚇をしている。
怒っている。
その理由はドラゴンの行動からよくわかる。鼻がピクピクと動いて、血の匂いを嗅いでいる――第一段階は確実に成功した。
(さて、ここからどうしましょうね)
ネフィラはすぐに動けるように糸を周囲に忍ばせて、その状態で、子ドラゴンを差し出すような仕草をした。
「ええと、この子をお返しします」
「きゅー! きゅー!」
子ドラゴンが鳴き始める――まるで全ての状況を説明してくれているように。
ただし、親ドラゴンは、それを聞き入れていない。
突然、大きな咆吼を上げる。
「きゅー?」
子ドラゴンが当惑したように鳴く。
イズメイの言葉がまた響く。
――もう、その子を見ても、自分の子供だと思えないくらいに、ぶち切れちゃってるよきっとー。
「それも全部真実って訳ですか」
ネフィラは糸を思い切り引いて、逃げようとしたが、しかし、ドラゴンの攻撃は恐ろしく素早い。
振られた尻尾が飛び上がったネフィラの脇腹を捉える。
衝撃で身体が吹っ飛び、ゴロゴロと地面を転がる。
(ふふ。なかなかの痛みですね。嫌いじゃないです)
言ってる場合か。
かろうじて、子ドラゴンを守ることはできたが、裏を返せば、それは守らなければ子ドラゴンを傷つけてしまったということ。
微かな容赦もない。
ネフィラは大きく咳き込んで血を吐くと、子ドラゴンを抱き直した。
(ん? 左腕折れてますね。ブラブラしてます。スパイダー家にいたときのわたしみたいですね)
ふざけないと生きていけないらしい。
その痛みに快感を覚えつつ、とは言え、浸っている訳にもいかず、ネフィラはドラゴンの方を見た。
ドラゴンは大きく口を開けている。
「っと、まずいです!」
ネフィラは慌てて、腰から三対の足を出すと糸を引く。
瞬間、
純粋な魔力が幾層も重なった光線がドラゴンの口から放たれる。
爆音。
ネフィラはそれを避けた。
避けたが、風圧と魔力圧によって身体を支えていた糸は切れ、彼女の身体はまたも吹っ飛び、そして、木に背中をしたたかぶつける。
(あ、頭打ちました。これまずいです)
意識が朦朧とするなか、ズンズンと地響きが近づいているのが聞こえる。
ドラゴンの二つの瞳がこちらを睨んでいるのだけがはっきりと見える。
「きゅー!! きゅー!!」
ネフィラの腕の中で子ドラゴンが叫んでいるが、親ドラゴンは気にした様子もなく、ただじっとこちらを見ている。
(こちらを観察している? ……いえ、違いますね。魔力を溜めてるんです)
逃げないと、とは思うものの、身体の感覚を奪われてしまったかのようにうまく動かない。
痛みすらすでに鈍く、ネフィラは監禁されていた頃のことを思いだす――『先祖返り』で身体の感覚が失われ始めたあの頃を。
(嫌です。痛みはわたしのものです。せめて最期くらい痛みを感じていたいのに……)
子ドラゴンはネフィラの服の裾を噛んで引っ張っている。
ネフィラはなんとか口を開くと、
「あなただけでも逃げてください」
「きゅー!! きゅー!!」
子ドラゴンはいやいやをするみたいに叫ぶ。
親ドラゴンがまた大きく口を開けるのが見えた。
(ああ。こんなことならもっとレイヴン様に虐めてもらうんでした。もっとたくさんレイヴン様のそばにいるんでした)
凝縮された魔力が煌々と光を放つ。
(もっとたくさん……頭を撫でてもらうんでした……)
「レイヴン様……」
そう呟いたネフィラの頭にぽんと手が乗る。
骨と魔力でできた手が。
「よくやった、ネフィラ!」
レイの声が聞こえる。
小さくて――大きな背中がいつの間にかネフィラの前に立って影を作っている。
ドラゴンがまた、光線を放った。
地面を抉り、魔力圧と風圧で周囲をこれでもかとふっとばして進み来るそれをレイは、
いとも簡単にはじき返した。
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